ピンクエレファンツ
あの楽しかった遊覧飛行すら忘れてしまいそうなほど、ユウリの生活は多忙に満ちている。探偵のアルバイトをこなす傍ら、ロンダースを追い、トゥモローリサーチの家事もこなす。家事についてはマメな竜也の方がよっぽど上手で、そのことがユウリのプライドに火をつけていた。
「なんだよーこれー」
ドモンがユウリの作った料理に悲鳴を上げた。合成食材が三〇世紀には流通しており、天然食材は滅多なことでは手に入らない。四人ははじめはどんなものでも興味しんしんだったが、徐々に舌が慣れてくると、ユウリがごまかせる限界を越えた。
「でも、おいしいですよ、これ」
シオンがご飯と一緒に詰め込み、アヤセはマグカップを手に複雑な顔をしていた。
「食べれないことは、無いよな」
「そうそう!」竜也が無理に微笑んでみせる。
「いいわよ。みんな!」
ユウリはテーブルにおぼんを叩きつけると、淡いピンクのエプロンを脱ぎ捨て、実室へ駆け込んだ。それを見た四人がほっとした様子で顔を見合わせる。
「さすがにこれをほめるのは無理だ」と、アヤセ。
「え、おいしいじゃないですか?」
シオンは無理して食べていたわけではないらしい。
「おまえ、こんなの食えるのか……」ドモンは呆れていた。
「はい!」
「ハバード星人の味覚はわかんないな」
「ドモン、いいすぎだぞ」竜也もそういいながら、無理にほめなくてよくなったことにほっとした表情だ。「明日のおにぎりの具にすれば、いけるかもな」
「焦げ目はとってくれよ」
「なんでですかー、アヤセさん、焦げ目が」
「解ったから」真ん中の皿に手を伸ばしたドモンがタクワンを噛んだ。「これだよなー、これこそ本物の味」
「オヤジ臭いな、ドモン」
「でも、この味は合成食材には出せない味だぜ」
四人の笑い声を壁に聞きながら、ユウリは拗ねていた。
ふっと思い出して、ベッドの下に手を伸ばすと、化粧箱を引き出した。蓋を開けると、化粧品は無い。代わりにアルミ製のウイスキーのミニボトルが入っていた。
「はあぁ」
ため息をつくと、フラスコの口をまわして開けた。
「ふああぁぁ」
食道を通じて胃の中に熱い液体が流れていく。焼けるような感覚がたまらなかった。
ユウリは疲れていた。インターシティー捜査官時代からずっと孤独だったし、タイムレンジャーとして戦うのは容易ではない。飲酒をしたのはいつだか覚えていない。
あの、遊覧飛行《ベイフライト2001》は愉快だった。沢山飲んで、いつ飛行機を降りたのかも覚えていないくらいだった。油断していたが、それぐらいしないと、まともな精神を保てなかった。世の中には嫌なことばかりある。嫌なことばかり見てきた……身体を駆け巡るウイスキーが身体をぼーっとさせた。
「はぁ……」
ベッドに沈む。回転をはじめた。いくら飲んでも強くはならない。でも、だから、多くは飲まずに済んだ。意識が遠のいていく。ウイスキーフラスコの口を閉じると、箱に戻した。ブラウンの上着とスカート、薄いピンクのインナーの普段着だったが、もう眠りたくなった。あくびを噛んだ。
「おーい……ユウリ…」
竜也はユウリの部屋をノックした。
「もう寝たんじゃねえの?」
「え、まだ八時だよ」
「ユウリさん、最近寝る時間早くなったみたいですよ」
「さしずめお肌の健康を、ってとこじゃね?」
「かも、知れないな」
竜也はユウリを察した。お風呂に入っていないことが気がかりだったが、明日の朝にシャワーを浴びてもいいし、シーツだって交換すればいい。彼は納得して、白熱するトランプの「大貧民」に戻った。
「あーっくそー、シオンはなんでこんなに強いんだよ」
その頃、シーツを汗で濡らしてユウリは夢の住民だった。
「やめなさい、ギエン!」
「……破壊こそ最高の媚薬」
音を立ててギエンがユウリの腕をあらぬ方向へ曲げていく。骨の鈍い音がして、右腕が使用不能になる。まるで腕がもがれたみたいだった。
「うっ…くううぅ…」
とてつもない痛みに一瞬で涙ぐむ。舌を噛み千切って耐えた。普段着のユウリにはインナースーツがあっても、衝撃などほとんど吸収もしてくれない。関節をねじられればそのままねじれていく。
「……痛いんだろう、怖いんだろう、死にそうなんだろう」
不気味な笑いをギエンはあげた。
「お前らを逮捕するまであたしは」
ふっと意識が遠のいた。ギエンが三重に重なっていた。血が眼の裏に見える。お腹が生暖かい。死ぬんだ、はっきりと意識した。
「あたしは……死なないっ!」
「よい心構えだなあ、タイムレンジャー。それでこそ壊しがいがあるよ」
その手がドリルみたいに回転している。
「アアアアアアアアアアアアァァーーーッ!」
――ユウリは全身に汗を欠いていた。
「へ?」
冷気が腋の下を抜けていく。鳥肌が立つ。夢のギエンの表情が脳裏に貼りついていた。ぐっしょりとなった自分の身体は気持ち悪かった。ベッドで前身起こしていた。シャワーが浴びたい、思うだけで、足を床に下ろしていた。
ドアを開け、リビングに出た。暗い。テーブルの上にトランプが散乱したままだ。ユウリは寝癖のうなじをかきあげた。頭がクラクラする。熱いシャワーを浴びて、もう一度寝ればスカッとするはず――時計を見ると、四時を過ぎていた。上着のボタンをはずす。着替えていなかった。インナーが汗ではりついていた。
背後に気配――ユウリの身体を腕が包み込む。
「何なの!」
「ユウリ……」
「た、竜也、ちょ、ちょっと、何するの! 変態!」
「俺、ユウリのことが」
竜也の顔がユウリに迫った。茶色の髪が彼女の耳たぶに触れて、身体の力が抜けた。ドギマギした。振り払おうとするのだが、自分でも受け入れている。
「それ以上、言わないで」目を閉じて背中に触れる胸板との感触をなぞった。「解ってるから――」
「解ってるなら、いいよな」
胸の上で腕に力が入っていた。
「そんなまだ早すぎるわ」
語尾がもつれた。はっきりとした眼で竜也を見た。優しそうな眼差しと穏和な口元――
「なに、高校生みたいなこと言ってるんだよ。な、ユウリ」
竜也は優しすぎた。ちゃらちゃらしているように見えて、なかなか世の中をしっかり見ている。ユウリはそのことを知っている。そんな彼に想いを寄せていた。彼も同じだと考え、そのとおりだった。目を閉じた。
「ええ…うっ」
口元が唇と触れた。キスがどんどん深くなり、生暖かい舌と唾液、ユウリに迷いは無かった。竜也の胸板にすがりつき、キスを貪った。彼の腕がブラジャーのホックをはずし、解けた。
「シャワーに…」
「いいさ」
抱きしめあい、絡み合ったまま、二人は立ちつくしていた。想いが重なると、ユウリはもつれ合いながら、自室へ戻った。竜也が後ろ手に扉を閉める。意外に大きな音だった。彼はベッドにユウリを押した。豊満なバストが揺れて、引き締まったヒップで尻餅をついた。
「優しくする」
「ちょっと待って、服を……脱ぐから」
ユウリは袖を脱ぎ、インナーを小さなテーブルの上においた。
「あとは俺がやる」
ジーンズ越しにその突起が解る。腕の中でユウリは驚くほど竜也に従順だった。もう一度唇を重ねると、肩の力を抜いた。背中に回った竜也の指がブラジャーを噛み砕く。締め付けられていた胸が谷間を崩した。
「あぁ…竜也…」
「ユウリ…」
腕を竜也の胸に寄せた。ストレートヘアを撫でられた。緩慢な動きだったが、気づいたときには、ペニスが見えた。暗がりの中ではっきりと存在を現す好きな人のペニス、腕を伸ばすと、手が払われた。
「えっ…」
「ほおら……いいこだ…」
「うっ…」潤んだ縁の間で歓喜が迸るのと、確かな存在が狭い襞をこじ開けて内側へ潜り込むのはかなりの間があった。ストップモーションに流れ、沸騰した存在を確かに覚えた。焼きごてのようなペニスを受けて、内股になる。身体が悲鳴をあげるのはずっとあとだったが、思わず声に出した。
「あああぁ! うううん!」
そのとき、ユウリの中の何かが蠢き始めた。身体の奥底からの未知の感覚に戸惑う前に、思考が爆発した。
「はあああああぁぁん! いい!」
「どうした?」
「そう、はあああぁ、竜也! もっとぉやってぇ!」
額に大粒の雫が浮かび上がると、うなじを流れた。陰ったままの記憶の奥底から確かに浮かび上がってくるものがある。確かな快楽だった。異様な違和感だった。気持ちいいという考えとは裏腹に戸惑いつつ、気持ちよかった。
「どうしたんだよ、ユウリ」微笑みながら竜也は軽快に腰を振るい、ストレートヘアを撫でていた。
「あからないけど、キモチいい! そう、もっと、ううん! うう!」
愛液が滴る。雫だけではなく、溢れるほどだった。何本もの糸が伸びて、シーツを濡らす。あっという間に汗だくになった。コントロールできない、おかしかった。身体ばかりが感じる。全身が性感帯になって、オナニーされたってこんなには感じない。
「なかなか、タイムピンク……」
「ええっ?」
「なんでもないよ、ユウリ」
「そ、そうなの、もっとして……」
「お安い御用だ。寂しかったんだよな」
むず痒いとか痛いとか無く、ただ感じる感じる限り感じる。それだけ溢れている。涙も汗もまじりあっている。よだれが口元につき、ゆっくり頬を流れた。
「はああああぁん、いやあああぁん、そ、そんなぁ!」
靄った記憶に研ぎ澄まされた性感だけが鋭敏に輝いている。その中には、何かの記憶があるが、ユウリはそれどころではなかった。
「あああああぁ…………っ……」
「いくぞ…」竜也はゆっくりと囁いた。
「い、いくうううぅぅ!」
オルガズムを迎えたことに、驚くほど違和感は無かった。実に久しぶりだというのに、つい昨日も淫乱であったかのように、日常の出来事だった。だが、その感覚は鋭利な刃物よりも研ぎ澄まされていて、大きな波だった。
「……はあああぁあ……い、いっちゃった……」
「早いぞ、ユウリ。次はもっと喘いでみような」
「…うん、竜也、もっと抱いて」
視界が煽動している。煮えたぎった白濁した液体の存在を膣の中に感じながら、自分の液体も身体の内外を溢れていることを意識していた。
夢から醒めたような休日の朝だった。
「!?」
おもわず内腿の付け根に手を伸ばした。昨晩、竜也とセックスをした。いつまでしてたか記憶にない。でもたくさんのプレイをした。竜也がサディスティックで、日ごろの鬱憤がマゾの自分をかきたてたから、最後はほとんどSMプレイだった、と思う。
不思議と二日酔いせず、ドアの外からまな板を包丁で叩く音がした。竜也だ。即座に解った。ベッドから身体を起すと、ひどい寝癖だと触れただけで解った。机の鏡を見ると、確かにひどい髪だった。顔もひどかった。むくんでいて、いつもにもましてだめ、ユウリは眼を細めて、大きなあくびをした。
「ふああぁぁ……」
でも納得できた。好きだったんだから。
ユウリは髪を直すのもそこそこに部屋のドアをあけた。やはり竜也がキッチンに立っている。色合い鮮やかなキャベツの千切りが出来つつあった。トースターからきつね色のトーストがポップアップした。
「おはよう」
「あ、おはよう、珍しいな、ユウリ」
「何が?」
「いつも起きるの遅いのに、今日は一番乗りじゃん」
「え、まあ」
「それにしてもひどい髪だな、ドモンたちが起きる前に直したほうがいいよ」
「うん……ねえ?」
甘い声を残しつつ、ユウリは竜也に歩み寄った。その広い背中にすがりつく。
「なにするん……痛ッ!」
「あ、ごめん――見せて!」
ユウリは竜也の手をとった。薬指の先に傷口が出来て、真っ赤な血が滲み始めた。千切りの中に沈んだ包丁にも同じ血がついていた。口元に薬指を寄せて吸った。朝の木漏れ日が窓を射している。フライパンのベーコンエッグの焼ける音だけがした。
「わりい」
「ううん、わたしのせいだもの」
引き出しからカットバンを取り出すと、竜也は薬指に貼った。
「――何か、手伝えることはある?」
「その前に髪型を」
「解ったわ」
逆立った髪を抑えて、ユウリは洗面台に歩いた。
「ねえ、竜也」
「夜はよかったよ」
「何言ってるんだよ。八時にはユウリはさっさと寝ちゃったじゃないか」
竜也は優しい笑みをした。特に気にも留めず、洗面台の鏡をみると、ますますひどい顔に見えた。
「あーあ、休みがあっても暇だなあ」
「だよなあ、行くとこはないし、お金はないし、ロンダースも暴れないし」
「大変です!」
その日の午後、トゥモローリサーチの面々がそれぞれの休日を潰していると、タックの前でヘッドホンをつけたシオンが突然メモを取り始めた。そのヘッドホンはタックを介して、警察庁-治安維持省-シティーガーディアンズのデジタル暗号化されたホットラインにつながっていた。
「どうしたんだ、シオン」アヤセはいい加減にしろという感じだった。
「ロンダースがかなり大きい取引を第四十五埠頭の倉庫でやるらしくて、治安維持省が破防法を掲げて、シティーガーディアンズに指揮権を渡しちゃったんです」
「どういうことだよ、このドモンさんにも解るように説明してくれ」
「つまり、あれよ」ユウリが立ち上がり、シオンの背後からパソコンを覗き込んだ。
「ついに決心したのよ。ロンダースを殲滅する気なんだわ」
「おい、それって」
「そんなこと絶対させないわ」
暗殺された家族のためにも、ロンダースは必ず三十世紀の法の下で裁く、そうしなければ気は済まないし、ユウリはそのために生きてきたのだ。
三十世紀、時間保護局で一人の長身がコンソールに向かっていた。
「隊長、お呼びですか?」
「ああ、研究所長、話があるんだ」
言って振り返り、エナメルグレーの制服を着た男のほうを向く。
「これがなんだか解るかね」
「……そ、それは。アルファ三〇〇〇」
「そうだ。これが三日前、部下の報告で廃棄場の廃液缶に捨ててあったことがわかった。きみは第三指定物質の処理方法を忘れたというんじゃないだろうな」
「そんなことはあるはずが……」
「では、私のもっているこれは何だ? きみのところの危機管理がなってないから、私のところはいつも苦労する。これが犯罪組織に流れれば、ドラッグと犯罪に伝染病が媒介するスラムがこのインターシティーだけでなく、過去や未来に無限に発生してしまう」
「申し訳ありません」
男はハンカチで頬の汗を拭く。
「では、これと残りが下で保管してあるから、さっさと持って帰りたまえ」
「解りました。以後気をつけます」
彼が消えると、「隊長」と呼ばれた長身は執務机の端末を操作した。
時空ネットワークの裏回線を介して、データが送られてきたことを示すメッセージに眼をやった。それをダウンロードして解凍すると、長身は満足した。内ポケットから青いアンプルを取り出し、手の中で転がした。実のところ、アルファ3000は廃棄場にあったわけではなく、彼が持ち出したのだった。
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