雌猫、狂う!
フラワーオルグは緑色の身体に、顔を白い花びらに包まれていた。
「オルグ! 現われたわね!」
大河冴はとっさに構えた。郊外の森を探索していたガオレンジャー、彼女の目の前に現われたオルグは、高い声で笑い出す。
「ガオホワイト、今日がアンタの最期だわっ」
「勝手なことを言わないで! あんたみたいな雑魚、さっさとやっつけちゃうわよ!」
「あーら、そんなこといっていいのかしら」
フラワーオルグの背後から不意に長い杖を持ったデュークオルグ――ツエツエが姿を現した。
「今日は、私も小生意気な子猫ちゃんを倒すために、と・く・べ・つにやってきてあげたわ!」
「何が、と・く・べ・つよ!」冴は声をあげ、憤る自分を感じた。「笑わせないでよね! と・く・べ・つに皺を減らしたら!」
「言わせておけば! フラワーオルグ、さっさと殺っちゃいな!」
「御意、さあてと、猫を倒す餞をあげるわ。どうしてあげようかしら……」
「ガオアクセス!はっ!」冴は空中へ飛び出す。身体にスーツが定着し、マスクを顔が覆う。全身を包み込むような昂揚感と漲る力の強さに、冴は無敵な自分を感じた。
「麗しの白虎! ガオホワイト!」
ポーズを崩すと、ガオホワイトは重心を低く取る。左脚を前に突き出し、両腕を猫のように構えた。冴は勝機を感じていた。フラワーオルグの動きは、どちらかというと散漫で、強くは見えなかった。ツエツエの存在は未知数だったが、それはフラワーオルグを倒してからだ。
「いいわね、いくわよ!」
「あ~私の台詞をとらないでよ」
いささか緊張感の無い声をガオホワイトは発する。駆け出したフラワーオルグを受け流し、上側に踊り出る。
「タイガーバトン!」
白い身体が踊るような動きを見せた。白とピンクのカラーリングの短めのバトン――タイガーバトンのピンク色の宝珠のほうから虎の顔のプリントが施されたほうに入れ替え、フラワーオルグへ振り下ろした。
「はっ!」
「ギョェ!?」
フラワーオルグの顔から火花と身体の一部と思われる粉状のものが飛び散った。
「汚いもの撒き散らさないでよね!」
ガオホワイトはわずかに距離を取り、腕に力を込めた。その両腕に力が感じられ、再び踊り出た。
――呆気ないじゃない。冴は感じた。
「白虎十文字斬り!」
ガオホワイトの身体が白銀を纏い、両腕を広げた彼女の右手に握られたタイガーバトン。両腕を扇のように閉じながら、精神を集中させた。精神の集中が白銀のベールを爆発しそうな攻撃エネルギーへと変わり、フラワーオルグへ激突した。
「ハッ――エイッ!」
倒した――短い感慨、とっさに獣皇剣を構えた。油断は禁物――フラワーオルグの『いいわね! いくわよ!』の時に発した緊張感の無さや、隙を全く感じさせない完ぺきな動きだった。
「グハアァァ!」
専門学校生、十七歳の少女の全身に宿るものは、ネオシャーマンの女戦士だけが持つ、優美さと危うい妖艶さだった。
「やった!」
「……と・こ・ろが…ネッ」
ツエツエの声。地面に倒れるフラワーオルグは、何事も無かったかのように立ち上がった。
「どうして!」抗議の声を冴はあげた。
いや何事も無いわけではなかった。顔は爆発したように変貌し、その中から赤黒い血と肉塊のようなものを見せていた。冴は気持ち悪さを感じた。それが口の中で噛み続けた肉の塊にそっくりだったからだった。
「フラワーオルグにとっては、こんなものは準備体操だわ」
「そうです……ガオホワイト、そろそろきいてきたかしら?」
「きいてきた……何が?」
「もうすぐ解るわよ」
獣皇剣を構えながら、ガオホワイトはいぶかしく思った。フラワーオルグの周りにはその身体の欠片が粉のように巻き上がっていた。冴は地面の砂利を脚で噛んでいた。不意に、身体がむず痒いような感じに襲われるのを感じた。それはまるで、くすぐろうとする手管がわっと全身へ殺到したかのようだった。
「何のことだか、さっぱり解らないわ!」
その感覚は、冴にとって変身の昂揚感にも似ていた。敵を倒したときに感じる充足感――そして、憧れの人――鮫津海と話した時に抱く感情と似ていた。
「どうやら、そろそろのようね?」
「な、何ッ……」
ガオホワイトはフラワーオルグに向かって駆け出そうとした。だが、身体が糸で引かれているように上手く動くことが出来ない。二歩、三歩進み、敵に近づくのは危険だと思った。敵の攻撃を避けきれるだけの精神の統一を保てない……
「アハハハッ! なら、こっちがいくわよ! いいわね!」
わざとらしく声をあげるフラワーオルグの陰が、ガオホワイトに覆い被さった。冴は身を翻そうとした。だが、身体は構えから無防備に変わり、距離が迫る。
「きゃやぁあぁ!」
その声が自分があげているかどうかも、釈然としない。ガオホワイトの威嚇的なフェイスがフラワーオルグを見ていた。冴はその中で真っ赤に腫れた瞳をしていた。充血して、瞬きを繰り返さないと、目の前のものもよく見えなかった。
「ほらほらホラッ!」
畳み掛けるような声と自分の身体がV字型に折れる様、地面に落ちる獣皇剣と、タイガーバトン、胸を掻き毟る苦しさに冴は口を空け、舌を出して声をあげた。背中が壁にあたり、身体がその中に沈みこむ。だが、それよりも、大河冴にとっての苦痛に――彼女は胸を押さえ、その膨らみを下側から掴みこんでいた。
「ああぁっ――なんなの――コレェ……」
「小生意気な子猫ちゃんには、マタタビが一番なのよ」
「マタタビイ!?」
冴は叫んだ。赤や黄色にうつりかわる視界の中で、冴は声を嗄らして叫んだ。問いというよりは悶絶の口調だった。
「ガオホワイト、アンタはネオシャーマンとして、ガオタイガーと同化してるじゃない。それなら、簡単だわ。ツエツエに若い男、テトムにガオシルバー、猫にマタタビよっ!」
「そ、そんな……」
ネオシャーマンとは言え、冴は人間だった。そんな自分が獣のように地面を仰け反り、その正体不明の掻き毟る苦しさに悶えなくてはならなかった。冴はうつ伏せになって、身体を起そうとした。
敵にしてみれば、そんなガオホワイトを屠るのは簡単だったかもしれない。だけど、冴はからだがうまく動かなかった。
「はふっ……」
噴出す汗が純白の身体のあちこちに染みを作った。そこに砂利や泥が付着し、薄汚れた身体――ガオホワイトは目の前にある木を、思わず両手で掴んだ。ふらふらする頭を振って、意識をはっきりさせようとした。そこにあるのは木ではなく、紫色の布だった――ツエツエだった。
「汚い手で触れないでくれるっ!」
身体を覆うベールからガオホワイトの腕はいとも簡単に離れていく。ガオホワイトは砂利を掴み、しきりに頭を振っていた。その様は頭を殴られた獣のようだった。
「なんて卑怯な……弱点を攻撃するなんて……」
それは彼女にとっても思わぬ弱点だった。言葉を口にしながら、それは啖呵を切るというよりも、独り言になってしまう。
「やっぱり、効果覿面ね……ガオホワイト、今まで色々お世話になったけど、今日はタップリ返してあげるわ。その身体にね……」
「えっ」というガオホワイトの背中をフラワーオルグが掴みあげた。その花びらの中心はマタタビが特に強くて、冴の頭のなかは、ふわふわとした感じに濃密なミルクの海へとおちていく。
「これであたしもハイネスデュークの一員だわっ!」
中間管理職の哀愁が漂っていた。その一本角が心なしか輝いたように見える。ツエツエのもつ杖の先端、いくつモノ鋭利な刺に分かれた部分が火をついたような状態になり、ツエツエは笑った。口元が顔を越え、後頭部に達する――そんな笑みだった。
「ガオホワイト、本当にあんたには世話になったわね!」
声は上擦っていた。その力の篭ったショックが杖を伝い、ガオホワイトのベルトへ殺到した。実際には狙いはわずかにズレ、スカートを直撃した。脚の付け根とそこにある生殖器を襲う強烈な傷みは、スーツを通しても衰えることなく、腰の骨がいくつもの細かい破片に割れてしまったかのようなショックを、冴に与えた。
「ャアアアアーーーーァッ!! カァアァァアーーーー!」
まさしく獣の雄たけびだった。黄色い悲鳴が森を伝い、その静寂の中を突き破っていく。
「あぁ……ああぁっ…」
マタタビの与える昂揚感は、その傷みを幾分も弱めはしなかった。フラワーオルグの束縛から解放され、ガオホワイトは二本足で立つこと自体、奇跡のような状態に追い込まれていた。
「ああ、あぁ、あぁあぁん、あふっ……」
冴の口元は無残に歪み、涎が両側から零れていた。傷みと冴がこれまで感じたことの無い昂揚感――快楽に、突き落とされるような思考は今にも破裂しそうな、妖しさを湛えていた。
「おこちゃま、子猫ちゃんには、チョット刺激が強すぎたかしらね」
フラワーオルグもツエツエも、そんなガオホワイトが徘徊する様をあざ笑うように見ていた。
「ツエツエ、あんたぁ……はふっ」
冴にはよく解らなかった。身体が仰け反り、その感覚に戸惑いを覚えた。それはまるで小水が流れたかのようだった。だが、密着し、引き締められた足の付け根で、それはちょっと違うような気がしていた。
「ひはっ……ふっぁ……」
最早、そこにはかつての正義の女戦士の面影はなかった。ガオソウルの器に囚われの少女は、一本の樹にぶつかると、その幹を抱きしめ、全身に幹と摩擦を与え合いはじめた。卒倒しそうな意識の中で、冴は無我夢中に股間を幹に擦り合わせていた……
「ああぁ」
巻き込まれるスーツが引き締まった身体を、猛烈な感情の中、長い腕を伸ばして、奈落へとガオホワイトを堕していった。
「はっ…ここは……」
その正体不明の昂揚感がまず頭に浮かんだ。それから逃れられたらしい安心感に、身体を動かそうとすると、肢体は椅子のようなものにくくりつけられているのを感じた。冷や水を浴びせかけられるように、安心感は身を潜め、代わりに泥のように汚い絶望がじわりじわりとベールを広げつつあった。
「私は確か――フラワーオルグに……」
頭を振って全否定したいほどの感情だった。
「子猫ちゃん、元気かしら?」
「ツエツエ……」
目の前にいるのは、冴が今最も憎み、最も見たくない相手だった。
「そんな声あげるなんてお門違いじゃないかしら。あんたが木とオナニーをはじめたから、このツエツエは助けてあげただけじゃない?」
「オ、ナニー……」
その言葉の響きは妙な嫌悪をもたらした。冴とて、言葉を知らないわけではない。鹿児島の中学時代、にきびを浮かべた男の子たちが口々にその言葉を発し、何を話しているのか関心を抱いたことはあった。
「そう、オナニー!」
女の子同士の話の中にも――女の子だけになれば――偶に登場する言葉だった。だが、大河冴自身性欲や快楽などというものは、ある種の恐れから、自分の観念の中に蓋をしめ、きつく記憶の奥底へしまってきた言葉だった。
「その白いスーツで、汚い木に身体を摺り寄せてるのは、本当に見ものだったわよ」
冴は頭を振った。
「やめてぇっ!」
腕の自由がきくなら、マスクがあおうが無かろうが、耳を抑えたかった。その屈辱的な言葉を敵からきかされ、また屈辱的な姿を敵に――本当に心から憎むツエツエに晒したことは、冴の心が許さなかった。
「やめて欲しい?」
俯き、冴は頷いた。言葉も無かった。
「……当たり前…」
そう言うガオホワイトのマスクの前には、ガラスの管が示され、その中には白い粉状のものが入っていた。
「これはフラワーオルグから採集したガオホワイトの神経をおかしくするマタタビよ……」
喉が鳴った。それを求めているのか、それで本能が暴かれるのを怖れているのか、その粉はガラス管の中でかすかな埃をたてていた。
「これを吸えば、キモチよくなるわよ?」
「いらない……いらないいらないいらないっ!」
言い聞かせるように呟く冴、ツエツエはその管を彼女の見える場所にある台の上へと置いた。
「ホワイトの子猫ちゃんはまだ、負けを認めないようね……」
「あたり前……」
その言葉は先ほどより、力が弱く感じられた。
「あのマタタビはいずれあげるわ。だけど、その前にガオホワイト、大河冴、あなたの真意をききたいわ……」
「……真意?」
「そう、あなたの狂い方は尋常じゃなかった。それはつまり、あなたが敵に隷属したいと思ってるからだわ」
「そ、そんなこと……」
隷属という言葉を冴は心の中でかみしめていた。そうなのだろうか、そんなはずはない。ガオタイガーに選ばれしガオの戦士として、彼女は敵を倒すため、血を飲むような苦難を乗り越えてきた――そんな自分が、敵に隷属するなど……だが、冴の頭は徐々に、隷属という言葉に満ち、その響きに昏倒しそうな頭を、動物のように振っていた。
「あぁ! やめて、もう何もきかないで!」
「やっぱり……」そう呟く妖艶なツエツエは、ガラス管を再び手に取った。
「身体できくしか無さそうね……安心しなさい。ガオレッドもまもなく、フラワーオルグの毒牙に掛かってここに来るから」
ツエツエはガオホワイトの頭へ向かって、ガラス管を振り下ろした。鉛よりも強いそのマスクがガラス如きに傷一つつくはずなかった。音をたてて、割れたガラスの破片と粉が彼女の頭の上から降りかかる。
「何があっても……私は決して、オルグなんかに……」
途切れ途切れ言葉を費やす冴の声は徐々に力を失っていく。その目は血走った目から徐々にとろんと変わり、がっくりと頭を落したまま、動かなかった。
「なんて……ことなの……」
媚薬ならまだ良かったかもしれない。だが、マタタビは彼女の神経を突いた。そしてその神経よりも前に、スーツに宿るガオソウルそのものが酒に酔ったように酩酊をはじめる。身体を這う何匹もの虫がガオホワイトを覆い尽くすかのようだった。
「……死にたくは無い…」
ガオホワイトは猛った。その朦朧たる意識の中で、冴は思った。まだたくさんやりたいことがあった。だが、この快楽の坩堝に再び堕ちれば、もう命は無い。
「ツエツエ…助けて……」
弱りきった口調で、冴は求めた。ツエツエは狂気を見せた。
「助けて? 何いってるのかしらね。私は隷属したいかどうかきいただけで、あなたを助ける気なんてないわ」
「…………!?」
「ガオホワイト、私はあなたを倒して、晴れて中間管理職を脱出して、ハイネスデュークになるわ。あなたはこれから巻き起こる快楽の中に身を委ねているわけでいいわ。その中で、マスクを割って額に一本の角が生える……」
最早、言葉も無かった。
「ガオシルバーが狼鬼として、正義の心を封印され、オルグとして遣えたように、ガオホワイトあなたはさしづめ、雌虎鬼とでも言うデュ-クオルグとなって、私の配下で、中間管理職として遣えるのよ! ハッハハッ!」
冴はツエツエの言葉を最期まできいてはいなかった。押し寄せる快楽の奔流は、ツエツエの言葉よりも早くガオホワイトを押し流しはじめていたのだった。