悪夢の幕開け! デッドムーンサーカス


入り組んだ路地裏に、硬質なガラスがぶつかり合うような不快な音が響いた。 薄暗い街灯の下で、気を失った青年の胸から美しい夢の鏡が引きずり出されている。その周囲を囲むように立ちつくす四人の少女たちは、無邪気な瞳で鏡の表面を覗き込んでいた。
「ゴールデンミラーじゃないの」
「この中にもペガサスいないの? つまんない」
「ただの平凡な夢ね。美しくないわ」
パラパラが不満げに頬を膨らませ、セレセレが退屈そうに扇子を揺らす。彼女たちアマゾネス・カルテットが次の獲物を探そうと踵を返したその時、夜気を切り裂くように凛とした声が響き渡った。
「そこまでよ!」
路地を見下ろすブロック塀の上。月明かりを背に受けて、五つのシルエットが舞い降りた。 ブーツがアスファルトを打ち、セーラームーンがビシッと指を突きつける。
「人の美しい夢を土足で踏みにじるなんて許さない! 愛と正義の、セーラー服美少女戦士セーラームーン! 月に代わって、おしおきよ!」
その口上に合わせるように、セーラージュピターが拳を鳴らして一歩前に出る。
同時にセーラーヴィーナスが腰のチェーンに手をかけ、退路を塞ぐように素早く立ち回った。
「もう逃げられないわよ」
セーラーマーズが炎の気配を指先に宿し、鋭い視線で四人を射抜く。
セーラーマーキュリーはバイザーを展開し、周囲にレムレスや他の伏兵がいないことを瞬時に確認した。 数でも状況でも、セーラー戦士側が完全に圧倒している。ベスベスが忌々しげに舌打ちをした。
「チッ、また出たね、おジャマ虫。せっかくの遊びの時間が台無しじゃないか」
「ここは一旦引くよ! ほら、追いつけるものなら追ってきな!」
ジュンジュンが身軽な連続宙返りでヴィーナスの頭上を飛び越え、包囲網の薄い一点を強引に突破する。残る三人もしなやかな身のこなしでそれに続き、暗い夜の底へと駆け出していった。 取り残された夢の鏡が、安全な持ち主の胸の中へと戻っていくのを確認し、ムーンは力強く頷いた。
「待ちなさい!」
「みんな、追うわよ!」
セーラー戦士たちは陣形を保ったまま、逃走するカルテットの背中を追って深夜の住宅街を駆け抜ける。 敵の足取りは妙に軽く、まるで鬼ごっこでも楽しんでいるかのようだった。しかし、曲がり角の先にある十番公園へと逃げ込んだところで、四人の足がピタリと止まる。
「追い詰めた!」
公園の入り口に降り立ったムーンが叫ぶ。背後には頼もしい四人の仲間が並び、カルテットを中央の広場へと完全に追い込んでいた。 だが、息を乱すこともなく振り返ったカルテットの顔には、焦りどころか満面の笑みが浮かんでいた。
「あははっ! 本当についてきちゃった!」
「バカだねえ、アタシたちの罠とも知らずにさ!」
ベスベスの嘲笑に、セーラー戦士たちに微かな緊張が走る。マーズが僅かに腰を落とし、マーキュリーが再びバイザーの数値を凝視した。
「パラパラ、あっちの玉がいい!」
「えー、じゃあ、これで遊ぶ!」
パラパラが手にした奇妙なまりを高々と放り投げた瞬間、公園の空気がぐにゃりと歪んだ。 硬いアスファルトの感触が足裏から消え失せ、ゴムのように分厚く弾む床へと変質する。周囲の木々は極彩色のオブジェに変わり、夜空は巨大なサーカステントの天井へと塗り替えられていく。
「な、何ここ……!」
トランポリンのような足場に足を取られ、ムーンがたたらを踏んで姿勢を崩す。
「みんな、気をつけて! 空間そのものが書き換えられているわ!」
マーキュリーが叫ぶが、計器の数値は意味を成さない記号の羅列を返すだけだった。日常の空間は切り離され、物理法則を無視した悪夢の結界に閉じ込められてしまったのだ。
「さあ、今夜のメインイベント! アマゾネス・カルテットのオンステージ、開幕よ!」
ベスベスの声と共に、乾いた鞭の音が空気を裂いた。
「きゃああっ!」
「ムーン!」
戸惑っていたムーンの胴に、ベスベスの鞭が生き物のように巻き付く。強い力で上空へと引き上げられ、テントの天井近くに吊るされた豪奢な鳥籠の中へ乱暴に放り込まれた。 紫色の魔力が走る格子に阻まれ、ムーンは外に出ることができない。
「う、うう……! 開けて!」
「うふふ、主役のお姫様はそこで大人しく特等席を満喫しててね」
セレセレが優雅に笑い、四人の少女たちはそれぞれの獲物を手に、残された四人のセーラー戦士へとゆっくりと包囲の輪を縮めていく。
「どうしてセーラームーンを捕らえたの! あなたたちの目的は何!?」
泥のように沈み込む足場に抗いながら、ヴィーナスが鋭く問い詰めた。腰のチェーンを握り直す手には力がこもっているが、四方を取り囲むアマゾネス・カルテットの瞳には、微塵の緊張感も宿っていない。
「決まってるじゃない。お姫様がアタシたちの獲物だからさ!」
ベスベスが自慢の鞭をヒュンと鳴らし、得意げに胸を張る。その横で、ジュンジュンがトランポリンのような地面を軽く蹴って宙返りを打ち、着地と同時にニヤリと笑った。
「でもさぁ、ただ捕まえて帰っただけじゃ、アンタたちすごくうるさそうじゃん?」
「うんうん! お姫様のためなら、地獄の果てまででも追いかけてきそうだよね!」
パラパラが無邪気に手を叩きながら、手元のまりを弾ませる。その言葉の奥にある異様な冷たさに、マーズは背筋に悪寒が走るのを感じた。
「だからね……ここであなたたちを、二度と立ち上がれないくらい、ぐちゃぐちゃに壊してあげるの。そうすれば、誰にも邪魔されないでしょ?」
セレセレが扇子で口元を隠し、くすくすと上品に笑い声を上げる。 獲物を奪うためではない。獲物を持ち帰った後の「後顧の憂い」を断つために、彼女たちはあえてセーラー戦士をこの特設ステージへと誘い込んだのだ。
「みんな、逃げて! 私のことはいいから!」
頭上の鳥籠の中から、ムーンが悲痛な声を張り上げる。紫色の魔力が走る格子を素手で掴もうとするが、バチッと鋭い火花が散り、たまらず手を引っ込めた。
「逃がすわけないじゃない! さあ、猛獣使いのショータイムだよ!」
ベスベスの号令と共に、空気を切り裂く連続音が響き渡った。 一本の鞭が、生き物のように分岐し、狂い咲くように空間を乱打する。強烈な破裂音が四人の戦士の足元や顔の横を掠め、必然的に彼女たちの陣形はバラバラに引き裂かれた。
「くっ、連携が……!」
マーキュリーがバイザー越しの視界で仲間たちの位置を確認しようとするが、激しく波打つゴムのような地面のせいで、互いの間合いを測ることすらままならない。
「ちょこまかと……だったら、力ずくで止めるまでよ!」
ジュピターが重心を低くし、強引に足場を踏み抜いて前方へ突進する。狙うは陣形の起点となっているベスベス。雷の気配を右拳に集中させ、一撃で鞭ごと粉砕しようと踏み込んだ。 だが、その力強い初動は、カルテットにとって「読み通り」の反応でしかなかった。
「遅い遅い! アタシらの舞台で勝手な動きは許さないよ!」
頭上から降ってきたのは、重力を完全に無視した軌道で落下してくるジュンジュンだった。ジュピターが拳を振りかぶったまさにその瞬間、鼻先を掠めるように宙返りを打ち、落下の勢いのままジュピターの首と肩を両足で挟み込む。
「なっ……!?」
「ほら、落ちな!」
アクロバティックな遠心力と体重を利用した強烈な投げ技が決まり、ジュピターは背中から弾力のある地面に叩きつけられた。大きくバウンドした体が姿勢を制御できず、無防備な状態を晒す。
「許さない……マーズ・フレイム・スナイパー!」
マーズが炎の弓を引き絞り、ジュピターに追撃をかけようとするジュンジュンへ向けて必殺の矢を放つ。完璧なタイミング。赤い閃光が直撃するかと思われた瞬間、不規則に弾みながら飛んできた巨大な玉が、炎の矢の軌道上に割り込んだ。
「パラパラの玉乗り、見て見てー!」
炎の矢は巨大な玉に弾かれ、虚しく虚空へと消える。驚愕するマーズの視界を、今度は優雅に舞い散る無数の花びらが覆い尽くした。
「野蛮な火遊びはお断りよ」
セレセレが指先を振るうと、花粉のようなものが猛吹雪のようにマーズとマーキュリーの頭上から降り注ぐ。
「しまっ……息を止めて!」
マーキュリーの警告も虚しく、甘く痺れるような香りが肺を満たしていく。マーズの視界がぐらりと揺れ、炎の弓が形を保てずに霧散した。咳き込むたびに体力が奪われ、膝に力が入らなくなる。
「ああっ……みんな!」
鳥籠の中でムーンが声を上げるが、どうすることもできない。
足場は不安定で、踏み込みも回避もままならない。視界と呼吸は花粉に奪われ、間合いすら把握できない。的確な状況判断を下し、反撃を試みたはずの戦士たちは、カルテットの「遊びのルール」によってすべての行動を無効化され、ただ体力を削り取られていく。
「みんな、一度中央に集まって! バラバラに戦っては駄目よ!」
マーキュリーの切実な声が、サーカステントと化した特設空間に響いた。 敵の目的が自分たちの徹底的な破壊であるなら、各個撃破を防ぐことが最優先の戦術となる。マーキュリーは即座に水流を放ち、宙を舞う幻覚の花粉を払いながら仲間たちの合流経路を確保しようと試みた。
「マーキュリー・アクア・ラプソディー!」
美しい水の竪琴から放たれた強力な水流が、カルテットの包囲網を一時的に押し留める。
「今よ!」
ヴィーナスが泥のように沈み込む足場から強引に足を抜き、マーキュリーの方向へと駆け出そうとした。だが、その一歩を踏み出した直後、鋭い風切り音がヴィーナスの鼻先を掠めた。
「あっはは! 猛獣が勝手に檻から出ちゃ駄目じゃない!」
ベスベスが手首をスナップさせると、鞭が幾重にも枝分かれしてヴィーナスの周囲を取り囲むように乱打された。バチンッ、バチンッという破裂音とともに地面が弾け、ヴィーナスは後退を余儀なくされる。踏み込みを封じられ、合流地点への直線距離が物理的に断たれてしまった。
「ヴィーナス!」
ジュピターが援護のために雷を放とうと身を乗り出す。しかし、彼女の視界は上空から降り注ぐ凶悪な影によって唐突に遮られた。
「よそ見してる暇なんてないよ!」
ジュンジュンがサーカステントの天井を蹴り、トランポリンのような床の反発力を利用して弾丸のような速度で突撃してくる。ジュピターは咄嗟に両腕を交差させて防御姿勢をとるが、重力と遠心力が乗った重い飛び蹴りが両腕に激突した。
「ぐうっ……!」
凄まじい衝撃にジュピターの体が後方へと大きく吹き飛ばされる。ブーツの裏で弾力のある床を削りながらなんとか踏み止まるが、両腕は深く痺れ、反撃の初動が完全に遅れてしまった。
「あはは、パラパラも遊ぶー!」
間髪入れずにパラパラが手元のまりを蹴り飛ばす。ビリヤードの球のように不規則に跳弾し巨大化した玉が、ジュピターとマーズの間を猛スピードで駆け抜け、両者を物理的に分断する壁となった。
「……なんてデタラメな動きなの……!」
マーズが炎の護符を構えながら歯噛みする。合流しようにも、予測不能な軌道を描く玉を避けるだけで精一杯だった。さらに悪いことに、先ほどの花粉の影響でまだ呼吸が浅く、視界の端が僅かに歪んで焦点が定まらない。
「あら、まだ元気があるのね。お花をもっと散らしてあげましょうか?」
セレセレが扇子を優雅に翻すと、今度は鋭い刃のように硬質化した花弁の吹雪がマーズを包み込んだ。
「きゃあっ!」
チリチリとスーツの表面が削られ、マーズは防御のために顔を覆ってしゃがみ込む。反撃の要である彼女の機動力が、文字通り削り取られていく。 四人の戦士たちは、互いの距離を詰めるどころか、次々と繰り出される演目によってさらにテントの四隅へと追いやられていた。
「やめて! みんなに手を出さないで!」
鳥籠の中からムーンが叫ぶが、その声は戦士たちの荒い呼吸音と、カルテットの楽しげな笑い声にかき消されていく。
「大変だわ」
マーキュリーはバイザーの奥で目を細め、戦慄を覚えた。 宙を舞う四人の少女たちの動きは、一見するといつも通り無軌道でデタラメな「遊び」に思える。しかし、その軌道や間合いの取り方を計算すればするほど、彼女たちの異質さが浮き彫りになっていった。
「なんなの、マーキュリー!」
マーズが硬質化した花弁の嵐を腕で防ぎながら、余裕のない声で叫ぶ。
「普段の彼女たちは、もっと享楽的で隙だらけのはずよ。でも今は……無邪気な言動とは裏腹に、一切の無駄がない。遊びの皮を被った、明確な『殺意』のようなものを感じるわ!」
その報告に、戦士たちの間に冷たい緊張が走った。 獲物を弄んでいるように見えて、カルテットの攻撃はセーラー戦士の体力を最も効率的に削り、反撃の芽を確実に摘み取るように構築されている。どうしてそこまで冷酷になれるのか、理由は分からない。だが、今の彼女たちが「本気で自分たちを壊しにきている」ことだけは間違いなかった。
「……だったら、こっちもやり方を変えるまでよ!」
ヴィーナスが泥のような地面に膝をつきながらも、闘志の消えない瞳で前を睨み据えた。
「攻撃の特性は分かってきたわ。アタシとマーズでターゲットを交換する! マーズは猛獣使いの鞭の死角に炎を流し込んで! アタシはチェーンで花使いを牽制するわ!」
「分かった! ジュピター、あなたは軽業師の飛び込みをカウンターで落として!」
「任せな! 玉乗りの牽制はマーキュリー、頼む!」
ジュピターの力強い声に合わせ、四人は同時に動いた。 足場の悪さを逆手に取り、沈み込む反発力を利用して一気に踏み込む。ジュピターが上空のジュンジュンへの迎撃姿勢をとり、ヴィーナスとマーズが互いの位置を交差させるように走り出し、それぞれの標的へ向けて必殺技のモーションに入った。 敵の攻撃パターンを逆手に取った、完璧なタイミングでの戦術変更。渾身の反撃が突き刺さるはずの、まさにその瞬間だった。
「はい、演目チェンジ!」
パラパラの無邪気な声が響いた直後、カルテットの動きが唐突に、そして完全に切り替わった。
「なっ……!?」
ジュピターの頭上に降ってくるはずだったジュンジュンが、空中であり得ない方向へ軌道を急転回させ、ジュピターの視界からふっと消滅する。代わりに彼女の眼前に迫ったのは、牽制を引き受けていたはずのパラパラが放った、規格外の質量を持つ巨大なまりの壁だった。 さらに、マーズがベスベスの鞭を掻き潜って炎を放とうとした瞬間、足元のゴム状の地面が波打ち、セレセレの花弁がマーズの足首を硬い蔓のように絡め取った。
「嘘でしょ……!?」
「あははっ! アタシらのショーに決まった台本なんてないんだよ!」
的確な状況判断と連携によって放たれたはずの戦士たちの反撃は、敵が唐突に「ルール」を変えたことによって、すべての前提を崩された。 予測していた敵の行動が裏返り、力を込めた反撃の初動が空を切る。その結果生じたのは、致命的なまでの体勢の崩れだった。
「きゃああっ!」
空振りで無防備になったヴィーナスの背中を、ベスベスの鞭が容赦なく打ち据える。ジュピターは巨大な玉に撥ね飛ばされてトランポリンのような床を何度もバウンドし、マーズは足首を拘束されたまま不自然な姿勢で地面に引き倒された。
「みんな!」
鳥籠の中でムーンが悲痛な叫びを上げる。 状況を打破しようともがけばもがくほど、それは巨大な隙となって自分たちに跳ね返ってくる。
トランポリンのように分厚く弾む床の中央へ、四つの影が次々と放り出された。 ベスベスの鞭に打たれたヴィーナスが前のめりに倒れ込み、巨大な玉に撥ねられたジュピターが重い音を立てて転がる。足首を拘束されて引き倒されたマーズと、その救護に入ろうとしてジュンジュンの蹴りを浴びたマーキュリーも、二人のすぐ傍へと弾き飛ばされていた。
「う、くっ……!」
「みんな、大丈夫……?」
泥のような足場に手をつき、ヴィーナスが顔をしかめながら身を起こす。純白のスーツには容赦のない黒い汚れがこびりつき、肩や膝には痛々しい擦過傷が刻まれていた。 互いをかばい合うようにして立ち上がった四人は、ふと周囲を見渡し、ハッとして息を呑んだ。背中合わせになるように身を寄せ合った彼女たちは、奇しくも先ほどマーキュリーが提案した「中央への結集」を完璧に果たしていたのだ。
だが、安堵の表情を浮かべる者は誰もいない。 それは彼女たちの戦術が実を結んだ結果ではなく、アマゾネス・カルテットの手によって、ただ中央へ「投げ集められた」だけに過ぎないからだ。
「あーあ、つまんない。一対一でいじめるの、もう飽きちゃった」
ベスベスが退屈そうに鞭の柄で肩を叩きながら、ふう、と息を吐く。その頭上をジュンジュンが軽快な宙返りで飛び越え、ふわりと着地してニヤリと笑った。
「だよねー! 一匹ずつ潰すよりさ、まとめてぶつかってきてもらったほうが絶対に面白いって!」
「そうそう! みんなでドッカーンってやったほうが、パラパラも楽しい!」
「ええ、そのほうが舞台もより一層美しく散るというものよ」
パラパラが無邪気に玉を弾ませながら深く頷き、セレセレが扇子を広げて優雅に同意する。 彼女たちは「戦術的に敵を分断し続ける」という絶対的な優位を、ただ「飽きたから」という理由であっさりと手放した。四対四の総力戦などという、セーラー戦士側にとって反撃の糸口になり得る状況を、まったくの無防備な態度で自ら提供してきたのだ。
「あなたたち……ふざけないでよ……!」
マーズが炎の気配を失いかけた指先を強く握り込み、震える声で絞り出す。カルテットにとって、自分たちがどれだけ血を流し、必死に連携を試みようと、それはショーの余興の一つでしかない。
「お姫様、特等席からの眺めはどう? あんたの大事な家来たちが、これからまとめてぐちゃぐちゃになるんだから、しっかり見ててよね!」
ジュンジュンが頭上の鳥籠を見上げて悪戯っぽく笑う。紫色の魔力の檻に囚われたムーンは、両手で顔を覆いながら悲痛な声を上げた。
「やめて! もうやめて……っ!」
ムーンの叫びが響く中、カルテットの四人は再びじりじりと包囲の輪を縮めていく。 互いの背中を守り合える陣形にはなった。
「私たちを甘く見ないことね。後悔させてやるわ!」
泥のように沈み込む足場でなんとか体勢を立て直し、マーズが炎のように目を細めて言い放つ。 その言葉に呼応するように、ジュピターが両拳を強く打ち鳴らし、ヴィーナスが腰のチェーンを鋭く振り抜いた。マーキュリーもバイザー越しの視線を研ぎ澄ませ、四人の戦士は満身創痍の体を奮い立たせて再び前を向く。
「まとめて相手をしてやるって言ったのはそっちだよ。自分たちの遊びを、きっちり後悔させてやるわ!」
ジュピターの力強い宣言と共に、四人は同時に動いた。 もはや小細工や時間差の連携は通用しない。四人がそれぞれ持てる最大の火力を一点に集中させ、カルテットの包囲網を正面から食い破る。それが、極限状態に追い詰められた彼女たちが導き出した最後の戦術だった。
「ヴィーナス・ラブ・ミー・チェーン!」
「マーズ・フレイム・スナイパー!」
ヴィーナスの放った光の鎖と、マーズの放った炎の矢が、弾力のある空間を切り裂いて猛スピードで突き進む。それに続くように、ジュピターが雷を纏った拳を振りかざして突進し、マーキュリーが水流による援護で敵の視界を塞ぎにかかった。
四人の息の合った、文字通りの総力戦。しかし、それを迎え撃つアマゾネス・カルテットの顔に浮かんでいたのは、相変わらず無邪気で残酷な笑みだった。
「くすくすっ。お姉さんたち、すっごく怖い顔してるー」
「でも、ちっとも美しくないわね。お遊戯にもならないわ」
パラパラがケラケラと笑い、セレセレが呆れたように扇子を閉じる。 次の瞬間、カルテットの四人は遊具で遊ぶ子供のような気軽さで、それぞれの獲物を振るった。
「はい、ストップ!」
ベスベスの鞭がうねりを上げ、ヴィーナスの光の鎖をあっさりと絡め取る。そのまま手首を軽く返すだけで、鎖はヴィーナス自身の体を縛り上げるように逆流し、彼女の動きを物理的に封じ込めた。 同時に、マーズの炎の矢はセレセレの放った分厚い花弁の壁に衝突し、あっけなく鎮火させられる。
「きゃああっ!」
セレセレが優雅に指を鳴らすと、焦げた花弁が鋭い刃となってマーズへ吹き返し、彼女の純白のスーツを容赦なく切り裂いて地面に這いつくばらせた。
「マーズ! ヴィーナス! くそっ、だったらアタシが……!」
仲間が倒れるのを横目に、ジュピターが渾身の力で床を踏み込み、正面のジュンジュンへと雷の拳を叩き込もうとする。しかし、その顔面に不自然な軌道を描く巨大な影が覆い被さった。 パラパラの蹴り出した巨大なまりが、ジュピターの突進を真っ向から受け止めたのだ。
「パラパラの玉、すっごく硬いんだよ!」
雷のエネルギーごと弾き返され、ジュピターは成す術なくトランポリンのような床へと激しく叩きつけられる。 さらに、後方から死角を探ろうとしていたマーキュリーの背後には、いつの間にかジュンジュンが音もなく着地していた。
「司令塔はアンタでしょ? 大人しくしてな!」
振り返る暇すら与えず、ジュンジュンのしなやかな蹴りがマーキュリーの背中を的確に打ち据える。
「ああっ……!」
たった一瞬の出来事だった。 四人がかりの決死の反撃は、カルテットの手によって冗談のように軽くいなされ、完全に封殺されてしまった。
全身の痛みに顔を歪めながら、マーキュリーは泥のように沈み込む地面に手をつき、どうにか上半身を起こした。視界の端では、ヴィーナスやジュピターも満身創痍の体を引きずり、再び立ち上がろうともがいている。
「あーあ、もう終わり? つまんないの」
見下ろすベスベスが、鞭をくるくると手首に巻きつけながら退屈そうに息を吐いた。 四人の少女たちは、倒れ伏す戦士たちを囲むように立ち、まるで遊園地のアトラクションを終えた直後のような無邪気な笑顔を浮かべている。
「ねえねえ、どうだった? アタシたちの特別ステージ! 感想を聞かせてよ!」
「パラパラの玉、すっごく硬くてびっくりしたでしょ? ね? ね?」
ジュンジュンが屈み込んで顔を覗き込み、パラパラが楽しげに手を叩いて同意を求める。 その悪気すらない純粋な問いかけが、セーラー戦士たちの神経を逆撫でした。だが、怒りよりも先に、マーキュリーの脳裏には先ほどの攻防の違和感が色濃く渦巻いていた。 四人がかりの連携も、最後の総力戦も、カルテットにはすべて防がれた。いや、「防がれた」というよりも、まるで最初からそう動くことが決まっていたかのように、手玉に取られていたのだ。
「あなたたち……」
マーキュリーが荒い息を整えながら、バイザー越しの鋭い視線をカルテットに向ける。
「私たちの攻撃が、完全に読まれているみたいだったわ。どんなタイミングで踏み込んでも、誰を狙っても、あなたたちは最初から待ち構えていた。どうしてそこまで的確に……」
「もしかして、読まれてるとでもいいたいわけ?」
マーキュリーの分析を聞いたジュンジュンが、きょとんとした顔で首を傾げた。その直後、カルテットの四人は顔を見合わせ、お腹を抱えてけたたましい笑い声を上げ始めた。
「あははははっ! 何言ってるのこの人たち!」
「読まれてるも何も、あんたたちの動き、これっぽっちも予想外のことがなかったじゃない!」
涙目になるほど笑い転げたベスベスが、ビシッとマーキュリーを指差す。
「大声で技の名前を叫んで、まっすぐ突っ込んできて、お行儀よく順番に攻撃してくるだけ。そんなの、次に何をしてくるかなんて誰だって分かるわよ!」
「そうそう! 絵本の中のお姫様みたいに、決まった動きしかしないんだもん。ちっともワクワクしなかったわ」
セレセレが扇子で口元を隠しながら、冷たく言い放つ。 その言葉は、熟練の戦士である彼女たちのプライドを根本からへし折るものだった。これまで数々の強敵を打ち破ってきた「セーラー戦士としての誇り」や「必殺技の型」が、彼女たちにとっては単なる『古臭くて退屈な台本』でしかなかったのだ。
「な、舐めないで……っ!」
マーズが擦り切れた手袋を握り締め、悔しさに唇を噛む。しかし、傷ついた体は反発する力を持たず、立ち上がろうとした膝が再び無様に折れてしまった。
「ほーら、またそうやって怖い顔する。つまんないお遊戯を見せられたこっちの身にもなってよね」
ジュンジュンが冷酷な目でマーズを見下ろし、ゴムのような床を軽く蹴ってふわりと宙に浮く。
「もういいや。あんたたちには飽きちゃったかな。そろそろとどめ、さしてあげようかな」
マーキュリーは、次なる致命的な衝撃に備えて身を強張らせた。体力を根こそぎ奪われ、回避も防御もままならない今の状態では、どんな攻撃であれ耐え切ることは不可能だ。 だが、いつまで経っても予想された痛みは降ってこなかった。
代わりに耳を打ったのは、極彩色のテント内に響き渡る、鼓膜を劈くような甲高い笑い声だった。
「あはははっ! なーにガチガチに固まってんの? アタシたちがアンタたちの息の根を止めるって思った?」
目を開けると、ジュンジュンがマーキュリーの鼻先でしゃがみ込み、腹を抱えて笑い転げていた。そのまま面白半分に手を伸ばし、マーキュリーの額を指先で軽く弾く。
「ばっかみたい。壊れちゃったら、もう遊べないじゃん」
「そうよ。アタシたちの言う『とどめ』っていうのはね、こういうこと」
ベスベスが歩み寄り、泥のように沈み込む足場に這いつくばるヴィーナスの顔の横へ、わざとらしく大きなため息を吐いた。
「愛と正義のセーラー服美少女戦士、だっけ? アタシたちにとっては、ただの時代遅れなお笑い草なんだけどさ」
「月に代わって、おしおきよ!……だって! あはは、だっさーい! パラパラ、あんな恥ずかしいこと絶対に言えない!」
パラパラがまりの上にポンと飛び乗り、大げさな身振り手振りでポーズの真似事をしては、ケラケラと無邪気に笑う。
「ええ、本当に。その泥だらけで惨めな姿こそ、あなたたちにはお似合いだわ」
セレセレが優雅に扇子を畳み、マーズの汚れたヒールの先端を冷たく小突く。 幾度となく強敵を打ち倒してきた純白のスーツは、今や見る影もなく汚れ、擦り切れ、無様な敗者の烙印として彼女たちの身を包んでいる。
「ふざけ、ないで……っ!」
マーズが震える声で叫び、トランポリンのような地面を引っ掻くようにして身を起こそうとする。だが、その頭をベスベスのブーツが容赦なく踏みつけ、再び深く沈み込む床の中へと押し戻した。
「あははっ、いい顔! 正義の味方気取って大見得切って突っ込んできたのに、アタシたちの手駒みたいに転がされて、今どんな気持ち?」
ベスベスはマーズの頭を踏みにじったまま、残酷な笑みを深める。 肉体的なダメージよりも深く、その悪気すらない純粋な嘲笑が、戦士たちの心を容赦なく抉っていく。圧倒的な実力差を見せつけられた上で、意思を持つ人間としてではなく、ただの壊れかけのおもちゃとして扱われる屈辱。
「くそっ……!」
ジュピターが泥だらけの拳で力なく地面を叩くが、立ち上がる力はもう残されていなかった。敵の戦術を読み、連携を試み、持てる力のすべてをぶつけた結果が、この無残な見世物であるという事実が、彼女たちの心を重く縛り付けていく。
「やめて! みんなを笑わないで!」
頭上の鳥籠の中で、ムーンが紫色の魔力が走る格子を強く握り締め、涙ながらに叫ぶ。バチバチと火花が散り、手袋が焦げても、彼女は手を離そうとしなかった。 だが、その悲痛な叫びすら、カルテットの楽しげな哄笑にかき消されてしまう。
踏みにじられた誇り。全身を苛む疲労と痛み。 それでも、セーラー戦士たちの瞳から闘志の炎が完全に消え去ることはなかった。
「……ふざけ、ないでよ……!」
ジュピターが、泥のように波打つ極彩色の床に両手をつき、震える膝に無理やり力を込める。擦り切れたブーツが弾力のある足場に沈み込みながらも、彼女は歯を食いしばって立ち上がった。 それに呼応するように、ヴィーナスも息を乱しながら腰のチェーンを握り直す。マーズとマーキュリーも、互いの肩を支え合うようにしてゆっくりと身を起こした。
「私たちは……何度だって立ち上がるわ。あなたたちの思い通りになんて、絶対にさせない!」
ヴィーナスが鋭い視線でベスベスを睨み据える。だが、決死の覚悟で放たれたその言葉を受けても、アマゾネス・カルテットの四人はくすくすと意地悪な笑みを深めるだけだった。
「あーあ、まだやるの? しつこいおもちゃは嫌われるよ?」
ジュンジュンが呆れたように首を振り、ぽりぽりと頬を掻く。
「いくわよ!」
ジュピターが雄叫びと共に、再びジュンジュンへと突進した。雷を纏わせる余力はなく、純粋な身体能力だけを頼りとした右ストレート。だが、極度の疲労と足場の悪さで、その初動は悲しいほどに遅かった。
「はい、おしまい」
ジュンジュンは回避すらしようとしなかった。迫るジュピターの拳を片手で軽く受け流すと、すれ違いざまに彼女の軸足をチョンと軽く蹴り払う。 骨を砕くような威力は一切ない、ただバランスを崩すためだけの悪戯のような足払い。だが、限界を迎えていたジュピターの体はそれだけで容易く宙を舞い、無様に床へと転がった。
「ジュピター! ええいっ!」
ヴィーナスがチェーンを振るうが、ベスベスは猛獣使いの鞭を広げることすらしなかった。手首のスナップだけで鞭の先端を軽く弾き、ヴィーナスの手甲の隙間をピシャリと叩く。
「痛っ……!」
火膨れになる程度の、威力を完全に殺した一撃。しかし、的確に神経を打たれた手首から力が抜け、ヴィーナスの手からチャラリとチェーンが滑り落ちる。その隙を見逃さず、ベスベスは鞭の柄でヴィーナスの膝裏を軽く小突き、彼女を再び床へと這いつくばらせた。
「パラパラも遊ぶー! えーい!」
マーズが炎の護符を取り出そうとした瞬間、パラパラが無数の小さなまりをばら撒いた。巨大化もしていない、ただの硬いゴムまりの群れが、トランポリンのような床で猛烈な勢いで跳弾を始める。 パチンッ、パチンッと、小石をぶつけられるような軽い痛みがマーズとマーキュリーの額や肩、手首を絶え間なく打ち据えた。
「きゃあっ! なにこれ……っ!」
「目を開けていられない……!」
致命傷には到底至らない、物理的な牽制。だが、全方位から不規則に飛んでくるまりのせいで、二人はまともに目を開くことすらできず、防御の姿勢をとってうずくまることしかできない。
「あらあら。お行儀の悪い子たちには、少しお昼寝が必要みたいね」
セレセレが優雅に息を吹きかけると、微かな甘い香りを帯びた花粉が四人の周囲に漂った。幻覚を見せるほどの濃度ではない。ただ、鉛のように体を重くし、意識をほんの少しだけ微睡ませる程度の、ごく弱い作用を持った鱗粉。
「あ、ああ……力が……」
マーズが膝をつき、そのまま力なく横倒しになる。マーキュリーも抗おうと指先を床に立てたが、深い溜息と共に意識の焦点がぼやけ、その場に崩れ落ちた。
全身を打ち砕くような強力な魔法も、息の根を止めるような鋭い一撃も、そこにはなかった。 カルテットが用いたのは、子供が虫を棒でつつくような、意図的に威力を殺した「手加減」の攻撃。それが意味するのは、もはやセーラー戦士たちが、彼女たちにとって全力で叩き潰す価値すらない、ただの『壊れかけの玩具』に成り下がったという残酷な事実だった。
「ほらね、言ったでしょ。お姫様の家来たちは、ここでぐちゃぐちゃにしてあげるって」
床に転がる四人を囲みながら、カルテットの四人が満足げに笑い合う。
マーズは震える腕で強引に上体を起こし、眼下を見下ろす四人の少女たちへと鋭い視線を向けた。
「……私たちのことは、好きにすればいいわ」
掠れた、しかし芯のある声だった。その言葉に、ヴィーナスも、ジュピターも、マーキュリーも、苦痛に顔を歪めながら力強く頷く。
「あなたたちの言う通り……私たちを、好きにおもちゃにすればいい。徹底的に壊れるまで遊べばいいわ。……だから、ムーンだけは助けて! 彼女を解放しなさい!」
それは、誇り高き戦士たちが自らの命と尊厳を天秤にかけ、ただ一人の大切なプリンセスを守るために提示した、決死の交換条件だった。 鳥籠の中でその言葉を聞いたムーンが、弾かれたように顔を上げる。
「駄目よ! みんな、何を言っているの!? 私のためにそんなこと……絶対に駄目!」
悲痛な叫びが響く中、当のアマゾネス・カルテットの四人は、ふと動きを止めた。 彼女たちはきょとんとした顔で顔を見合わせ、それから、弾けるように笑い出した。
「あーっはははははっ!」
「ちょっと、聞いた!? ねえ、今の聞いた!?」
鼓膜を刺すような、キラキラと輝く無邪気な哄笑。 ジュンジュンが腹を抱えてトランポリンのような床を転げ回り、ベスベスが涙を拭いながらマーズを指差す。
「信じらんない! 指一本まともに動かせない絶体絶命のピンチだってのに、まだ自分たちから交換条件を持ちかけられると思ってるんだ!」
「あんなに泥だらけで無様な格好なのに、ちっともプライドが折れていないのね。ええ、本当に恐れ入ったわ」
セレセレが扇子で口元を隠しながら、腹の底から可笑しそうにくすくすと笑う。 命を賭した悲壮な覚悟も、彼女たちにとっては滑稽なコメディに過ぎない。自分たちが圧倒的な強者であり、生殺与奪の権を完全に握っているというのに、足元に這いつくばる敗者が対等な取引を求めてきたことが、彼女たちのツボにひどくハマったようだった。
「でもね、パラパラたちが聞きたいのは、そんなつまんないセリフじゃないの」
パラパラがまりを抱え直し、氷のように冷たい瞳で四人を見下ろした。 笑い声がピタリと止む。極彩色のステージに、突如として背筋が凍るような静寂と、どす黒い悪意が満ちた。
「そうだよ。お姫様を助けるために自分たちが犠牲になるなんて、綺麗事すぎるじゃん」
ジュンジュンが這いつくばるマーキュリーの顔を覗き込み、残酷な笑みを耳まで裂くように広げる。
「アタシたちがアンタたちに求めてるのはさ……『ムーンを差し出すから、自分たちだけは助けてほしい』っていう言葉だよ」
「……なっ……!?」
思いもよらないおぞましい要求に、ジュピターが息を呑み、ヴィーナスの顔から血の気が引いた。
「自分たちの命が惜しくて、大事なお姫様を売り飛ばす。涙と鼻水まみれで這いつくばって、アタシたちの靴を舐めながらそうやって命乞いをしてよ。ねえ、そっちのほうがずーっと面白くて、最高のショーになると思わない?」
ベスベスが猛獣使いの鞭の柄で、ジュピターの顎をクイッと持ち上げる。
肉体ではなく、心そのものを泥の底まで引きずり落とし、最も尊い絆を自らの言葉で汚させること。それこそが、無邪気な悪魔たちが用意した真の「オンステージ」の結末だった。
「誰が……誰がそんなこと、言うもんですか……っ!」
ジュピターが、喉の奥から血を吐くような声で叫んだ。 泥のように沈み込む極彩色の床に這いつくばりながらも、彼女の瞳には激しい怒りの炎が宿っていた。震える両腕でどうにか上体を支え、見下ろすアマゾネス・カルテットを睨み上げる。
「私たちは……絶対に、ムーンを裏切ったりしない……!」
「どんなに痛めつけられようと、あなたたちの思い通りになんてならないわ!」
ヴィーナスもまた、擦り切れた手袋でトランポリンのような地面を強く握り締めながらジュピターに続いた。マーズとマーキュリーも、限界を超えた疲労と痛みに顔を歪めながら、決して屈しないという強い意志を瞳に灯している。
大切なプリンセスを差し出し、自分たちの命乞いをする。そんな卑劣な言葉を口にするくらいなら、このまま砕け散ったほうがよほどマシだ。四人の戦士の心は、その一点において完全に結束していた。
だが、その悲壮なまでの決意を前にしても、カルテットの四人は退屈そうに肩をすくめるだけだった。
「あーあ。やっぱりそう言うんだ」
ジュンジュンがひどくつまらなそうに呟き、ジュピターの背中にポツンとブーツの先端を乗せた。体重をかけるわけでもなく、ただ「いつでも踏み潰せる」という事実を突きつけるような、ひどく無造作な仕草だった。
「今はまだ、負けていても自分たちは正義の味方だって信じてるから、そんな強がりが言えるんだよね」
「ええ、本当に。その泥だらけの惨めな姿のどこに、そんなつまらないプライドを隠し持っているのかしら」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、冷ややかな視線で這いつくばる戦士たちを眺めまわす。
「あなたたち、自分がどれだけ絶望的な状況にいるか、まだ本当には分かっていないのよ」
その声は、相変わらず鈴を転がすように美しく、そして底なしに残酷だった。 ベスベスが猛獣使いの鞭をくるくると手首に巻きつけながら、ふふっ、と意地悪な笑みをこぼす。
「今はまだ『痛い』とか『苦しい』とか、その程度でしょ? でもね、アタシたちの遊びはこれからが本番なんだよ。指一本動かせなくなって、呼吸をするたびに肺が焼けるように痛くなって、助けなんてどこからも来ないって心の底から理解した時……」
「その時、お姉さんたちはパラパラたちの言葉を、本気で考えるようになるよ!」
パラパラが無邪気にまりを弾ませながら、残酷な宣告を放った。
「『ああ、ムーンさえ差し出せば、この苦しみから解放されるんだ』って。自分の頭の中で、何度も何度もその言葉を繰り返すようになるの。ねえ、絶対にそうなるよ!」
「……っ!」
背筋に氷をねじ込まれたような悪寒が走り、マーキュリーは弾かれたように息を呑んだ。 彼女たちは単に肉体を破壊しようとしているのではない。肉体を極限まで痛めつけることで精神を削り落とし、最後の一線である「誇り」すらも自分たちの手でへし折らせようとしているのだ。
「やめて……もうやめてよぉっ!」
頭上の鳥籠の中で、ムーンが耐えきれずに叫び声を上げた。紫色の魔力が走る格子にすがりつき、ボロボロと大粒の涙をこぼしている。
「みんなを傷つけないで! お願い、私ならどうなってもいいから……みんなを助けて!」
自らを犠牲にしてでも仲間を救おうとするプリンセスの涙。しかし、その美しい自己犠牲すらも、カルテットにとっては最高のスパイスでしかなかった。
「うふふっ、お姫様が泣いてるわ。ますます傑作ね」
「さあて、じゃあ続きをはじめよっか。誰から一番最初に音を上げるかな?」
ジュンジュンが意地悪く笑い、再び四人の少女たちがゆっくりと包囲の輪を縮めてくる。
絶望的な宣告が響く中、ヴィーナスは泥だらけの床に這いつくばったまま、隣で息を乱すマーズへと微かに視線を送った。 言葉を交わす余裕すらない。だが、幾度となく死線を潜り抜けてきた戦士たちの間には、僅かなアイコンタクトだけで伝わるものがあった。ジュピターとマーキュリーもまた、痛みに歪む顔の奥で静かに覚悟を決めた瞳をヴィーナスに向ける。
まともに戦えば、勝ち目は万に一つもない。 ならば残された道は一つだけ。自らの命を燃やし尽くすような過剰なエナジーを必殺技に込め、敵の懐で暴走させて差し違えるという、自爆まがいの特攻戦術だった。 そのためには、縦横無尽に飛び回るアマゾネス・カルテットを、確実に一箇所へと誘導しなければならない。
「……だったら、まとめて相手をしなさいよ……!」
ヴィーナスが血を吐くような声で挑発し、よろよろと立ち上がった。その背中を守るように、マーズたちが這いずるようにしてヴィーナスの周囲へと身を寄せる。
満身創痍の獲物たちが、自ら身を寄せ合って最後の抵抗を見せようとする姿。それは、絶対的な優位を確信しきっているカルテットにとって、格好の「見世物」に他ならなかった。
「あははっ! なにそれ、仲良く一緒に潰されたいの?」
「いいよ! じゃあパラパラたちが、まとめてぺちゃんこにしてあげる!」
ベスベスとパラパラが嘲笑いながら歩み寄り、セレセレとジュンジュンも面白そうにその場へと舞い降りた。四人の少女たちは無警戒に肩を並べ、戦士たちを嘲りながら完全に一箇所へと密集する。敵の驕りが生んだ、最初で最後の好機。
「今よ……っ!」
ヴィーナスの悲痛な叫びを合図に、四人のセーラー戦士は残された全生命力を振り絞った。 極彩色のテント内に、本来ならあり得ないほど眩い光が迸る。限界を超えてエナジーを引きずり出し、己の肉体ごと吹き飛ばす覚悟で練り上げられた必殺技のモーションが、四人の体を包み込んでピカピカと激しくフラッシュした。
「ヴィーナス・ラブ・アンド・ビューティ・ショック!」
「マーズ・フレイム・スナイパー!」
「マーキュリー・アクア・ラプソディー!」
「ジュピター・オーク・エボリューション!」
絶叫と共に放たれる、捨て身の総攻撃。 突如として膨れ上がった凄まじい光と熱量に、さすがのアマゾネス・カルテットも目を見開き、咄嗟にそれぞれの武器を構えて身構えた。
「なっ……!?」
「ちょっと、これ……!」
強大なエネルギーの奔流がカルテットを飲み込み、すべてを終わらせる。 誰もがそう確信した、次の瞬間だった。
――プシュゥゥゥン……。
間抜けな破裂音が鳴り響き、テント内を照らしていた極彩色の光が、まるで電源を落とされた電球のように唐突に消失した。 ヴィーナスの鎖は形を成す前に霧散し、マーズの炎の矢は火花を散らして消滅する。ジュピターの纏った雷光も、マーキュリーの水の竪琴も、放たれる直前にあっけなく虚空へと溶けていった。
激しい疲労と度重なるダメージによって、戦士たちの体内には、必殺技を放つためのエナジーがすでに一滴も残されていなかったのだ。
「あ……」
構えた腕を虚しく突き出したまま、ヴィーナスが絶望に染まった声を漏らす。 支えを失った四人の戦士たちは、糸の切れた操り人形のようにトランポリン状の床へと崩れ落ち、今度こそ指一本動かせない完全な沈黙へと陥った。 静まり返るステージ。カルテットの四人は、防御姿勢をとったまま数秒ほど瞬きを繰り返し、やがて目の前で起きた「現象」を正確に理解した。
「…………あっははははははははっ!!」
静寂を打ち破り、ジュンジュンが腹を抱えて床を転げ回った。
「うそっ、信じらんない! 自爆覚悟で突っ込んできたと思ったら、ただのガス欠!?」
「あーっははは! なにあれ、すっごくピカピカ光って、すっごく大声出したのに、ぷすーって消えちゃった! パラパラお腹痛い!」
「ひいっ……だ、駄目、お腹よじれる……っ! 傑作すぎるわよアンタたち!」
パラパラが涙を流しながら床をバンバンと叩き、ベスベスは鞭を取り落として息も絶え絶えに笑い転げる。普段は優雅に振る舞うセレセレでさえ、扇子で顔を隠すことすら忘れて膝から崩れ落ち、ヒステリックなほどの笑い声を上げていた。
絶体絶命の窮地から放たれた、悲壮なる特攻。それが完全に空回りし、敵のツボをこれ以上ないほど強烈に刺激するだけの「最高のギャグ」として消費されてしまったのだ。
「やめて……っ」
頭上の鳥籠の中で、ムーンが耳を塞いで泣き崩れる。
ヴィーナスは力なく投げ出された自分の両手を、ただ呆然と見つめていた。
すこし前まで、そこには確かに光の鎖を生み出すためのエナジーが満ちていたはずだった。だが今は、擦り切れた手袋に包まれた指先が微かに痙攣しているだけで、何の力も湧き上がってこない。
隣では、ジュピターが泥のように沈み込む床に額を擦りつけ、悔しさに唇を噛み破らんばかりに顔を歪めている。
マーズとマーキュリーも、限界を迎えた体を動かすことができず、ただ荒い呼吸を繰り返しながら絶望の淵に沈んでいた。
「あー……お腹痛い。死ぬかと思った……っ」
ひとしきり笑い転げていたジュンジュンが、目尻に浮かんだ涙を拭いながらゆっくりと立ち上がる。ベスベスも鞭を拾い上げ、ヒクヒクと肩を揺らしながら深く息を吐いた。
「もう、ほんっと最高。あんたたち、最高のコメディアンになれるわよ」
「ええ、あんなに滑稽で惨めなショー、ちょっと他では見られないわね」
セレセレが扇子で口元を隠し、くすくすと上品な笑い声を漏らす。パラパラはまりの上でポンポンと跳ねながら、「ぷすーって! ぷすーって!」とまだ先ほどの光景を思い出してケラケラと笑い続けている。
「……くっ……」
這いつくばるマーキュリーが、震える声で呻きを漏らした。 敵の驕りに乗じた、完璧なタイミングでの特攻。それ自体は間違っていなかったはずだ。だが、自分たちの体に、それを実行するためのエナジーが残されていなかった。その残酷な事実が、幾度も死線を潜り抜けてきた熟練の戦士としての自信を粉々に砕いていく。
「でもさぁ」
ジュンジュンが、這いつくばるヴィーナスの顔を上から覗き込み、悪戯っぽく口角を上げた。
「最初からそれでくれば良かったのにね?」
「……え?」
ヴィーナスが虚ろな瞳でジュンジュンを見上げる。その反応に満足したように、ベスベスが横から口を挟んだ。
「そうよ。この舞台に引きずり込まれた直後、アタシたちがまだ手探りで遊んでるうちに、四人まとめて最初からその大技をぶっ放してくれば良かったのよ。そうすれば、少しはアタシたちも焦ったかもしれないのにさ」
「無駄に陣形を作ったり、ちまちまとした攻撃を繰り返したり、お利口さんな戦い方なんてするから、エナジーがすっからかんになっちゃったんだよ」
パラパラが無邪気に首を傾げながら告げたその言葉は、セーラー戦士たちにとって、どんな物理的な打撃よりも深く心を抉るものだった。
敵の戦力を分析し、的確な判断を下し、連携を試みる。それは、セーラー戦士として正しい戦術だったはずだ。しかし、このルール無用の悪夢のステージにおいては、その「正しい手順」を踏むこと自体が、カルテットの遊びに付き合い、無駄に体力をすり減らすだけの致命的な悪手だったのだ。 すべては、この結末を迎えるために仕組まれていた。彼女たちが的確に動けば動くほど、自らの首を絞める結果になるように。
「そういうこと。あんたたちのプライドが、あんたたち自身をこんな状況に追い込んだってわけ」
セレセレが冷ややかに言い放ち、扇子をパチンと閉じる。
「さあ、笑うのはここまでよ。無様なお姫様の家来たち、そろそろ本当の『とどめ』の時間にしましょうか」
その言葉と共に、四人の少女たちの瞳から一切の笑い意が消え去った。 冷酷な殺意だけを宿したアマゾネス・カルテットが、反撃の力を完全に失い、身を寄せ合って倒れ伏す四人の戦士たちを、今度こそ確実に仕留めようと武器を構え直す。
「待って……」
仲間たちが無惨に嘲笑われ、希望の光すらも無残に費やされた絶望的な光景。 頭上の鳥籠の中で、ムーンは流れる涙を乱暴に拭い去り、ふらつく足で立ち上がった。
「これ以上……みんなを傷つけさせないっ!」
悲痛な叫びと共に、ムーンはティアラに手を伸ばそうとする。だが、それよりも早く、彼女は自らの両手で紫色の魔力が走る格子を力任せに掴み込んだ。バチバチとけたたましい放電音が鳴り響き、高圧電流のような痛みが純白の手袋を焦がして両腕を駆け上がる。
「う、あああああっ!」
「ムーン! やめて!」
マーズが泥のような床に顔を押し付けたまま、血を吐くような声で制止する。だが、ムーンは手を離さない。歯を食いしばり、自らの身を焦がす痛みにも耐えながら、強引に魔力の檻をこじ開けようと力を込め続けた。しかし、アマゾネス・カルテットが用意した特等席の檻は、捕らわれた獲物の抵抗を容易く許すような作りにはなっていなかった。
「……はあっ!」
檻そのものが脈打つように膨張したかと思うと、先ほどとは比にならない強烈な衝撃波が内側に向かって放たれた。
「きゃあああっ!」
ムーンの小柄な体は容赦なく弾き飛ばされ、鳥籠の反対側の格子へと背中から激しく叩きつけられる。そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ち、苦痛に顔を歪めてうずくまった。
「ムーン……っ!」
「駄目よ、動かないで……!」
ジュピターとヴィーナスが、満身創痍の体を必死に床から剥がそうともがく。エナジーはとうに枯渇し、指先一つ動かすことすら地獄のような苦痛を伴う状態だというのに、彼女たちの瞳は傷ついたプリンセスへの気遣いだけで満ちていた。
「私たちは……大丈夫だから……ここは、私たちがなんとかするから……!」
マーキュリーが、すっかり焦点の合わなくなった視線で鳥籠を見上げ、掠れた声で強がってみせる。なんとかできる見込みなど、どこにもない。それでも、大切な主君をこれ以上傷つけまいとする、意地と誇りだけが彼女たちの命を辛うじて繋ぎ止めていた。
だが、その崇高で悲壮な絆の姿すらも、極彩色の舞台においては最悪の娯楽として消費されてしまう。
「あーっははは! なにそれ、最高!」
ジュンジュンがトランポリンのような床をバシバシと叩きながら、腹を抱えて笑い転げた。
「そうだよねえ! 家来はお姫様のかわりに、ぜーんぶ背負い込んでくれなきゃね!」
「うんうん、お姫様が傷ついたら可哀想だもんね。パラパラたちがいーっぱい遊んであげるから、あんたたちがお姫様の分まで痛い思いをしてよ!」
パラパラが無邪気に玉を弾ませながら、同意を示す。 自分たちを犠牲にしてでもプリンセスを守ろうとする、戦士としての究極の自己犠牲。カルテットの少女たちは、その美しい決意を『身代わりのおもちゃが自ら進み出た』というふうにしか受け取っていなかった。
「ええ、本当に健気なこと。お姫様が安全な場所から見下ろしている中で、泥水すすって身代わりになるなんて、家来の鑑だわ」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、倒れ伏す戦士たちを冷たく見下ろす。 ベスベスが猛獣使いの鞭をくるくると手首に巻きつけながら、這いつくばるジュピターの背中へと無造作に歩み寄った。
「あんたたちが『なんとかする』んでしょ? だったら、アタシたちの遊びにも、壊れるまで最後まで付き合ってもらわなきゃね」
「さーて、おしゃべりはおしまい! 次の遊び、はじめよっか!」
パラパラが無邪気な声を上げ、手にしたまりを極彩色の床へと強く叩きつけた。 ポンッ、という軽快な音と共に、まりは無数に分裂し、トランポリンのように分厚く弾む床の上で狂ったような乱反射を始める。それらはただのゴムまりではない。ぶつかるたびに硬度を増し、不規則な軌道を描く凶器となって、這いつくばる四人の戦士たちへと容赦なく降り注いだ。
「きゃあっ!」
「くっ……みんな、頭を……!」
エナジーを使い果たし、回避する力すら残されていないセーラー戦士たちにとって、それは逃げ場のない嵐だった。 ジュピターが咄嗟に身を投げ出し、意識の混濁しかけているマーキュリーの上に覆い被さる。無数のまりがジュピターの背中や肩を容赦なく打ち据え、鈍い打撃音が連続して響いた。
「ジュピター……! 駄目、避けて……!」
「気に、するな……っ! これくらい……!」
マーキュリーが掠れた声で気遣うが、ジュピターは歯を食いしばって防御の姿勢を崩さない。だが、その悲壮な庇い合いすらも、カルテットにとっては「面白いリアクションを返す的」でしかなかった。
「あははっ! もっと弾めー!」
パラパラが手を叩いて喜ぶ中、今度はジュンジュンがゴムのような床を大きく蹴り上げた。 重力を無視した跳躍。彼女は空中で身を捻ると、的確な軌道で落下し、倒れ伏すマーズの背中を「足場」にして再び跳び上がった。
「がはっ……!」
「マーズ!」
肺から空気を搾り出され、マーズが苦悶の声を上げる。 しかし、ジュンジュンの軽業は止まらない。マーズの背からヴィーナスの肩へ、そしてジュピターの腰へと、まるで公園の遊具を渡り歩くかのように、次々と戦士たちの体を踏み台にして飛び跳ねていく。
「やめなさい……っ!」
ヴィーナスが顔を上げ、すがりつくようにジュンジュンの足首を掴もうと手を伸ばす。だが、その動きはあまりにも遅かった。ジュンジュンは容易くその手を避け、逆にヴィーナスの伸ばした腕を蹴って空中へ逃げる。 バランスを崩したヴィーナスが泥のような床に顔から突っ込むと、すぐさまベスベスの鞭が容赦なく飛んできた。
「ほーら、勝手に動かないの! 的が散らばったら遊びにくいじゃない!」
ピシャリと、威力を殺した鞭がヴィーナスのブーツの先を打ち据え、彼女を強引に中央の密集地帯へと引き戻す。 少しでも陣形を広げて被害を分散させようとする戦士たちのささやかな抵抗は、猛獣使いの鞭によって物理的に封じ込められていた。四人は互いの体を盾にするように身を寄せ合うことしかできず、その結果として、敵の攻撃の格好の標的になり続けている。
「ふふっ。お姫様の身代わりになるなら、もう少しリラックスしてくれないと、おもちゃとして長持ちしないわよ?」
セレセレが優雅に扇子を扇ぐと、甘く痺れるような香りを帯びた鱗粉が再び戦士たちの上へと降り注いだ。 ただでさえエナジーが枯渇し、鉛のように重くなっている四人の体に、抗いがたい脱力感がのしかかる。泥のように波打つ極彩色の床が、まるで底なし沼のように彼女たちの体を絡め取り、立ち上がる気力そのものを吸い取っていくようだった。
「やめてぇっ! お願いだから、もう……!」
鳥籠の中で、ムーンが格子にすがりついて泣き叫ぶ。紫色の魔力に焼かれた両手はすでに黒く焦げ、触れているだけで激痛が走っているはずだが、彼女は仲間たちの惨状から目を逸らすことができなかった。
「お姫様、いい声で鳴くねえ! でも、アタシたちのショーはまだまだ終わらないよ!」
ジュンジュンが空中でくるりと宙返りを打ちながら、悪びれもせずに笑い声を上げる。 呼吸をするたびに肺が痛み、純白だったスーツは無数の擦過傷と汚れで無惨な姿へと成り果てている。
抵抗する力も、反撃の手段もない。ただ、カルテットの気が済むまで「遊び道具」として痛めつけられ続けるだけの無限地獄。不規則に跳弾する無数のまりが、エナジーを使い果たした無防備な肉体を容赦なく打ち据える。身を呈して仲間を庇うジュピターの背にも、ヴィーナスの肩にも、鈍い衝撃と共に確実なダメージが蓄積し、純白のスーツは擦り切れ、痛々しい汚れに覆われていた。
「はぁっ、はぁっ……くっ……!」
呼吸をするたびに肺が焼け付くように痛み、全身の筋肉が悲鳴を上げている。それでも彼女たちの瞳から、抗う意志の光が完全に消え去ることはなかった。 だが、その張り詰めた悲壮な決意すらも、彼女たちにとっては「醜い」ものらしい。
「ああ、本当に見ていられないわ。そんなに顔をしかめて、強ばった体で転がり回るなんて。ちっとも美しくないお遊戯ね」
セレセレが優雅に扇子を広げ、心底呆れたようにため息を吐いた。
「お姫様の身代わりになるんでしょ? だったら、もっと喜んでアタシたちのおもちゃにならないと」
「……なにを……」
マーズが泥のような足場に額を擦りつけながら、震える声で睨み上げる。セレセレはその視線を受け流し、扇子をふわりと上空へ向けて扇いだ。
「リラックスさせてあげるわ。とびきりの甘い夢でね」
テント内の空気が、唐突に変わった。 これまで漂っていた微かな鱗粉とは違う、濃厚で、ひどく甘ったるい香りを帯びた桃色の花粉が、粉雪のように上空から舞い落ちてくる。 逃げ場のない密閉空間。激しい息を繰り返していた戦士たちの肺へ、その花粉は容赦なく吸い込まれていった。
「……っ!? みんな、息を……止めて……!」
マーキュリーが危険を察知し、掠れた声で警告を発する。だが、限界を迎えた体は酸素を欲しており、呼吸を止めることなど不可能だった。 次の瞬間、跳弾した硬いまりの一つが、ジュピターの頬を強烈に打ち据えた。
「くうっ……!」
当然、顔をしかめるほどの鋭い痛みが走るはずだった。 しかし、ジュピターの口から漏れたのは、苦悶の呻きではなく、微かな吐息だった。打撃を受けたはずの頬から、じわりと温かい痺れが広がり、それが脳の芯を甘く撫で回すような「心地よさ」へと変換されていく。
「な……なに、これ……」
異常事態に、ジュピターの表情が凍りつく。 まりが背中を打つたびに、鞭の先端が手足を掠めるたびに、本来なら神経を焼くはずの鋭い痛みが、すべて甘やかな快感と深い安堵感にすり替えられていく。擦り切れた傷口から、泥のように重い疲労感から、泥酔したような多幸感が全身の血管を駆け巡る。
「駄目……! 騙されないで、これ……痛覚を、強制的に……っ」
マーキュリーが朦朧とする意識の中で必死に状況を分析しようとするが、彼女自身の声もすでに、ろれつが回らないほどにとろけ始めていた。 痛みを心地よさに変える魔法の花粉。それは一見すると慈悲のようでありながら、戦士たちの根底を破壊する最悪の猛毒だった。
「どう? 痛くないでしょ。苦しくないでしょ?」
セレセレが倒れ伏すマーズの頬を扇子の先でそっと撫で、くすくすと上品に笑う。
「傷つけられるのが気持ちいいなら、もう無理に立ち上がろうなんて思わないわよね。そのまま大人しく、アタシたちが飽きるまでぐちゃぐちゃに壊されていればいいのよ」
「あははっ! なにそれ、傑作! 痛いのに気持ちいいの?」
ジュンジュンが腹を抱えて笑い、パラパラがさらに勢いよくまりを蹴り飛ばす。 痛みがなければ、危機感は生まれない。危機感がなければ、戦意は保てない。 セーラー戦士たちの脳は「これ以上攻撃を受ければ体が壊れる」と警鐘を鳴らしているのに、肉体はその破壊を「至福の快感」として受け入れてしまっている。戦うための最大の武器である『怒り』や『誇り』が、甘い花粉によってドロドロに溶かされていく。
「やめ……ああ……っ」
ヴィーナスが抗おうと泥のような床を掻き毟るが、指先に刺さるささくれの痛みすらも、彼女の体を甘く痺れさせる引き金にしかならない。 ピンと張り詰めていた戦士たちの体が、ゆっくりと、抗いがたい快楽の沼へと沈み込むように弛緩していく。苦痛に歪んでいたはずの彼女たちの顔に、虚ろで恍惚とした表情が浮かび始めた。
「みんな! 駄目ぇっ! 起きて! お願い、目を覚まして!」
鳥籠の中で、ムーンが狂乱したように叫び、紫色の魔力が走る格子に何度も体を打ち付ける。
トランポリンのように波打つ極彩色の床の上で、ジュピターは自分の体に起きている異常な変化に戦慄していた。硬いまりが背中を打ち据えるたびに、本来なら神経を焼き切るはずの『痛み』が、酷く甘く、じんわりと温かい痺れにすり替えられていく。 それは極限まで疲弊しきった肉体にとって、あまりにも抗いがたい毒だった。
「くっ……ふざけ、ないで……!」
ジュピターは歯を食いしばり、痛覚を強制的に麻痺させる花粉の作用に逆らおうと両拳を握り直す。痛みこそが自分が戦い続けている証であり、立ち上がるための起爆剤だ。 だが、何度力んでも、全身の筋肉は意志に反してドロドロに弛緩していく。交感神経を無理やり鎮められ、戦うためのアドレナリンが甘い痺れの中に溶かされてしまっていた。
「あははっ! 面白い顔ー!」
その混乱と抵抗の姿が、アマゾネス・カルテットの無邪気な嗜虐心をさらに燃え上がらせた。 ジュンジュンがゴムのような床を蹴って宙に舞い、倒れ伏すジュピターの背中へと容赦なく踵落としを振り下ろす。
「ああっ……!」
骨が軋むほどの重い一撃。しかし、ジュピターの口から漏れたのは悲鳴ではなく、緊張の糸がプツリと切れたような弱々しい吐息だった。床に叩きつけられた衝撃すらも分厚い真綿で包まれたような感覚に変換され、彼女の体は反発力を失ってだらりと投げ出されてしまう。
「ほんとだ! 痛がらない! じゃあ、もっともっと遊べるね!」
パラパラがケラケラと笑いながら、無数に分裂したまりを一斉に蹴り飛ばした。 パチンッ、パチンッと、四人の戦士たちの手足や背中を硬いゴムまりが絶え間なく打ち据える。
「や、やめて……っ、体が……」
ヴィーナスが這いつくばったまま腕で顔を覆う。まりが当たるたびに、そして鞭の先端が手甲を掠めるたびに、甘やかすような脱力感が波紋のように広がっていく。 立ち上がりたくても、足に力が入らない。痛みに耐えて睨み返そうとしても、怒りの感情が強制的に凪のように鎮められてしまう。
「うふふ、なんだかだらしないお顔ね。お姫様の前なのに、そんなに気持ちよさそうに転がってていいの?」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、桃色の花粉をさらにテント内へと充満させていく。 マーズが泥のような床に爪を立て、必死に痛みを呼び覚まそうと自分の唇を強く噛んだ。ツーッと一筋の血が流れるが、それすらも微かな熱を伴う心地よさに変わってしまう。
「くうっ……はぁっ……」
マーズの瞳から、ついに悔し涙が溢れ出した。 痛みを奪われることが、これほどまでに恐ろしく、屈辱的だとは思いもしなかった。
「ほーらほら、もーっといくよ!」
ベスベスが鞭をうねらせ、戦士たちの周囲の床を乱打する。弾けるような破裂音と共に床が激しく波打ち、四人の体は無抵抗な人形のようにポーンと軽く宙へ跳ね上げられた。 トランポリンのような極彩色の床へと再び落ちるたびに、まりが、鞭が、容赦のない打撃を加えて彼女たちを甘い痺れの底へと沈めていく。
「やめてぇっ! みんなに触らないで!」
鳥籠の中で、ムーンが紫色の魔力が走る格子に何度も体を打ち付ける。両手はすでに黒く焦げ、声は悲痛に掠れているが、彼女は狂乱したように叫び続けた。
「あははははっ! お姫様、すっごくうるさい!」
「でも、いい声! もっと鳴いてよ!」
カルテットの四人は、ムーンの悲鳴を最高のBGMにするかのように、無邪気で残酷な攻撃の雨を降らせ続ける。
「やめてぇっ! みんなに触らないで!」
鳥籠の中で、ムーンが焦げた両手で必死に格子を叩き、枯れるほどに声を張り上げている。 だが、その悲痛な叫び声すらも、極彩色のテントの中では残酷な遊戯のスパイスにしかならなかった。
「あははっ! お姫様、すっごくうるさい!」
ジュンジュンが空中で宙返りを打ちながら、楽しげに笑う。
「でも、いい声! もっと鳴いてよ!」
その言葉に、セレセレがふふっと艶やかな笑みをこぼし、倒れ伏すマーズの耳元へと顔を近づけた。
「ねえ、聞こえるかしら。あなたたちの大切なプリンセスの、あんなに悲痛で可哀想な声が」
ビクッと、マーズの肩が跳ねる。怒りと絶望で睨み返そうとするが、甘い花粉に浸された体は、その視線に明確な殺意を込めることすら許してくれない。
「……く、う……っ」
「あらあら、そんなにトロンとした顔をして。もしかして……」
セレセレは優雅に扇子を口元に当て、目を細めて囁いた。
「なんだったら、その大切なお姫様の悲鳴でだって、心地よくなれてるんじゃないの?」
「……な……っ!?」
信じられない悪魔の言葉に、マーズだけでなく、這いつくばるヴィーナスやジュピターの顔からもサッと血の気が引いた。
「あはははっ! なにそれ、最高!」
ベスベスが猛獣使いの鞭を派手に鳴らし、涙を拭いながら大笑いする。
「お姫様が泣き叫べば叫ぶほど、家来たちが気持ちよくなっちゃうの!? どんだけ変態なのよあんたたち!」
「パラパラもそれ見たい! お姫様、もっと泣いて! もっと大きな声出して!」
パラパラが無邪気に手を叩き、まりを高く放り投げる。
「ふざけ……るな……っ! 誰が……そんな……」
ジュピターが血を吐くような声で否定しようとする。彼女たちの聴覚から入り込むムーンの叫び声は、脳髄を浸す甘い花粉の作用と混ざり合い、すでに純粋な『悲哀』として処理されなくなっていた。 プリンセスが泣いている。その絶望的な状況を認識したはずの心が、強烈な精神的苦痛をすべて「快楽」に変換してしまう毒のせいで、ゾクゾクとした温かい痺れにすり替えられていく。
「あ、ああ……っ」
マーキュリーの口から、自らの意志に反して甘い吐息が漏れた。仲間の悲鳴、主君の涙。それらすべての絶望が、肉体的な快感の引き金になってしまう。
「ほら、お姫様の声を聞いて、体が震えてるじゃない。正直なものね」
セレセレがマーズの顎を扇子で持ち上げ、その虚ろな瞳を覗き込んでくすくすと笑う。 鳥籠の中でそのやり取りを見ていたムーンは、ハッと息を呑んだ。自分が泣き叫ぶことで、大切な仲間たちの心がさらに壊れていく。その残酷な事実に気づいた彼女は、黒く焦げた両手で自らの口を強く塞いだ。これ以上声を出すまいと必死に歯を食いしばり、声にならない嗚咽をこぼす。
「あれー? お姫様、黙っちゃった。つまんなーい」
「じゃあ、もっと声が出るように、この子たちをもっといじめてあげなきゃね!」
ジュンジュンが冷酷な笑みを浮かべ、再びセーラー戦士たちへ向けて重力を無視した蹴りを放つ。 声を上げれば、仲間の心を凌辱することになる。声を殺せば、仲間がより激しく痛めつけられる。
自らの悲鳴が仲間を凌辱する甘い毒に変わる。その絶望的な事実に気づいたムーンは、黒く焦げた両手で口元を強く塞ぎ、歯を食いしばって声帯を震わせるまいと必死に耐えていた。
「あーあ。お姫様、本当にだんまり決め込んじゃった。つまんないの」
ジュンジュンが退屈そうに唇を尖らせ、宙返りの着地と同時にヴィーナスの背中を軽く踏みつけた。
「……あ、あっ……」
ヴィーナスの口から、苦悶ではなく、甘く掠れた吐息が漏れる。踏みつけられた圧迫感すらも、桃色の花粉に浸された脳髄は「ご褒美」のように処理してしまうのだ。彼女は屈辱に涙を流しながらも、自らの意志に反して体が震えるのを止めることができなかった。
「でもさ、お姫様が黙ってても、この子たちすっごく気持ちよさそうだよ?」
「うんうん! パラパラがいーっぱい当ててあげるから、もっとゴロゴロしてー!」
パラパラが無邪気に玉を蹴り出し、ジュピターとマーズの体を不規則な軌道で乱打する。 パチン、パチンという軽い打撃音が響くたび、二人の体はビクッと跳ね、その表情には虚ろで恍惚とした色が濃くなっていく。
「みんな……しっかり、して……」
マーキュリーが、焦点の合わない目で仲間たちに呼びかける。だが、彼女自身の声も泥酔したようにとろけており、トランポリンのような極彩色の床に這いつくばる四肢には、立ち上がるための力が一ミリも残されていない。
「ふふっ。お姫様が黙っているなら、この子たちの口から直接、楽しい言葉を聞かせてもらおうかしら」
セレセレが優雅に歩み寄り、マーキュリーの鼻先へ扇子をひらりと翳した。さらに濃厚な花粉が舞い散り、マーキュリーの視界がピンク色にぐらりと歪む。
「さあ、お利口さんたち。痛いのと気持ちいいの、どっちも終わらせてあげてもいいわよ。アタシたちが聞きたい言葉、覚えているわよね?」
「……っ……」
「『ムーンを差し出すから、自分たちだけは助けてほしい』。……そうやってアタシたちの靴を舐めてすがってくれば、この甘い悪夢から解放してあげる」
ベスベスが這いつくばるジュピターの髪を無造作に掴み、強引に顔を上げさせた。
「言えないとは言わせないよ。あんたたちの体はもう、アタシたちの遊びなしじゃいられないくらい、ドロドロになっちゃってるんだからさ」
悪魔の囁きが、甘い花粉の効力と混ざり合って戦士たちの耳元で反響する。 理性では絶対に拒絶しなければならない言葉。
「……むぅ、ん……を……」
ジュピターの唇が微かに震え、掠れた音が漏れた。 アマゾネス・カルテットの四人が、期待に満ちた意地悪な笑みを浮かべて身を乗り出す。鳥籠の中のムーンが、絶望に目を閉じた。 だが、限界まで削り取られた精神の底で、ジュピターの『戦士としての誇り』は決して折れてはいなかった。
「誰が……っ、ムーンを……売るものですか……っ!」
泥のような極彩色の床に這いつくばりながら、ジュピターは血を吐くような声で叫んだ。 その声はひどく掠れ、息も絶え絶えだったが、込められた意志は鋼のように硬かった。
彼女の叫びに呼応するように、隣で倒れ伏していたヴィーナスも、震える腕で強引に上体を起こす。
「私たちは……絶対に、屈しない……! あなたたちの思い通りに……なるもんですか……!」
「体が……どうなろうと……私たちの心までは……壊せないわ……っ!」
マーズが焦点を結ばない目で敵を睨みつけ、マーキュリーも荒い息を繰り返しながら力強く頷いた。 肉体を凌辱され、精神を極限まで追い詰められてもなお、彼女たちはプリンセスを裏切る言葉だけは絶対に口にしなかった。最後の意地を見せつけるように、四人は満身創痍の体を寄せ合い、アマゾネス・カルテットへと反抗の意志を叩きつける。
だが、その崇高なまでの魂の輝きは、極彩色の舞台では無残な笑いぐさにしかならなかった。
「あーっはははははっ!」
一瞬のきょとんとした間の後、ジュンジュンがお腹を抱えてトランポリンのような床を転げ回った。
「な、なにそれ! 最高! さすが正義の味方、言うことだけは立派だね!」
「あははっ、でもさあ、体はぜーんぜんそんな風になってないよ?」
パラパラがケラケラと笑いながら、まりの一つをマーズの背中へと軽く蹴り当てた。 ポスッ、という軽い衝撃。それだけで、マーズの口から「ああっ……」と、熱を帯びた甘い吐息が漏れ出てしまう。強気な言葉を紡いだ直後だというのに、彼女の体は甘い花粉の快楽に完全に支配されており、ささいな刺激にすら恍惚として打ち震えていた。
「ほんと、笑っちゃうわ。心は壊せないなんて立派なこと言ってるけど、あんたたちの体、アタシたちのお仕置きが気持ちよくてたまらないって、正直に反応してるじゃない」
ベスベスが猛獣使いの鞭をうねらせ、ヴィーナスとジュピターの足元を軽く乱打する。 パチンッ、パチンッと威力を殺した鞭が掠めるたび、二人の体はビクンと跳ね、膝の力が抜けて泥のような床へと崩れ落ちた。必死に睨みつけようとする瞳はとろけるように潤み、荒い呼吸は熱を孕んで甘く乱れている。
どれほど心が反発しようと、神経を書き換えられた肉体は「もっと痛めつけてほしい」と乞うようにだらしなく弛緩しきっていた。
「ええ、本当に滑稽。口では偉そうなことを言いながら、泥だらけの体は快楽に溺れてビクビク震えてる。そんな無様な姿で意地を張ったって、惨めさが増すだけなのにね」
セレセレが優雅に扇子を広げ、くすくすと冷酷な笑い声をこぼす。 言葉と肉体の完全な乖離。戦士としての誇りを叫べば叫ぶほど、それに反逆する肉体のだらしなさが浮き彫りになり、彼女たちの尊厳をこの上なく醜い形へと歪めていく。
「くっ……あ、ああ……っ」
ジュピターが床に爪を立てて己の体を律しようとするが、その指先から力が抜け、抗いがたい痺れの底へと再び沈み込んでいく。 鳥籠の中で声を殺して耐えていたムーンは、心と体を切り離され、ただのおもちゃとして徹底的に辱められる仲間たちの姿に、ついに耐えきれず両手で顔を覆った。
「あーっ、そっかぁ! アタシ、やっと分かった!」
ポンッと大げさに手を打ち鳴らし、ジュンジュンがトランポリンのような床の上で楽しげに跳ね回った。その顔には、最高のおもちゃの遊び方を見つけた子供のような、無邪気で残酷なひらめきが浮かんでいる。
「体はこんなに気持ちよさそうにしてるのに、口では『絶対に屈しない』なんて強気なこと言っちゃってさ。なんだか変だなって思ってたんだけど……これってアレだよね!」
「アレって?」
パラパラが小首を傾げると、ジュンジュンは這いつくばるマーズの鼻先まで顔を近づけ、意地悪く口角を吊り上げた。
「『屈しない』って言うのはね、『もっと屈させに来て』っていう合図なんだよ。強気な言葉を漏らすのは、アタシたちにもっと遊んでほしいっていう『おねだり』だったんだね!」
「……っ! な、にを……ふざけたこと……っ」
マーズが血の気を失った顔で睨み返そうとするが、熱を帯びて潤んだ瞳では微塵の威嚇にもならない。 だが、ジュンジュンのその突拍子もない解釈は、他の三人にとって最高に面白いアイディアとして瞬時に受け入れられた。
「あははっ! なるほどね! 『やめて』は『もっとやって』の意味なんだ! 素直じゃない家来たちだこと!」
ベスベスがゲラゲラと笑いながら、猛獣使いの鞭をヴィーナスの太ももへと軽く打ち据えた。 ピシャリ、という軽い音と共に、ヴィーナスの口から「あ、ぁっ……」と甘く掠れた吐息がこぼれる。痛みを快楽にすり替える花粉の作用によって、鞭打たれた刺激がゾクゾクとするような痺れに変わって全身を駆け巡ったのだ。
「ちが……う……っ。私たちは、そんな……っ」
「ほら、また強気な言葉でおねだりしてるわよ。ベスベス、もっと欲しがっているみたい」
「任せな! ほーら、おねだり上手なお姉さんたちには、たっぷりご褒美をあげなきゃね!」
セレセレが優雅にくすくすと笑い、ベスベスが面白半分に鞭の乱打を再開する。 パチンッ、パチンッと、威力を殺した鞭の先端が四人の戦士たちの背中や手足をリズミカルに弾いた。
「やめ……やめなさい……っ!」
そのたびに四人の体はビクンと跳ね上がり、苦痛に歪むべき顔が、抗いがたい快感によってだらしなく蕩けていく。
「私たちを……愚弄するな……っ!」
ジュピターが泥のような床に爪を立て、必死に言葉を紡ぐ。自分がセーラー戦士であるという最後の矜持を保つため、声を振り絞って敵を拒絶しようとした。 だが、その悲壮なまでの抗議の言葉も、極彩色のテントの中では完全に意味をねじ曲げられてしまう。
「あははっ! ジュピターは一番おねだりが激しいね! しょうがないなぁ、パラパラも特別に遊んであげる!」
パラパラが無邪気に笑いながら、分裂したまりを一斉にジュピターへと浴びせた。 ポスッ、ポスッと硬いゴムまりが背中を打つたび、ジュピターの全身から力が抜け、反逆の言葉が熱い吐息の中に溶かされていく。
「くうっ……あ、ああ……っ」
「みんな……言葉に、しちゃ……駄目……」
マーキュリーが朦朧とする意識の中で必死に警告しようとするが、彼女の言葉すらも「もっと苛めて」という哀願として処理されてしまう。
戦士たちが意地を見せようと言葉を重ねれば重ねるほど、カルテットはそれを「おねだり」と解釈し、喜々として手加減された攻撃を加えてくる。そして、花粉に支配された肉体は、その攻撃を受けるたびに正直に快楽の反応を返し、敵のねじ曲がった解釈を肯定する「証拠」を突きつけ続けてしまうのだ。
「もう、ほんっと傑作。プライドが高い正義の味方さんたちが、アタシたちの足元で気持ちよさそうに転がりながら、もっと苛めてっておねだりしてくるんだもん」
ジュンジュンが腹を抱え、涙を流しながら笑い転げている。 もはやセーラー戦士たちの言葉が持つ本来の『意味』など、彼女たちにはどうでもよかった。
彼女たちの目には、目の前で地べたを這いずる敗者たちが、自分たちの攻撃を欲して強がっている滑稽なおもちゃにしか映っていなかった。
「違う……違うのに……っ」
ヴィーナスが、極彩色のトランポリンのような床に爪を立てながら、泣きそうな声で首を振った。 誇りを込めた反逆の言葉が、すべて「おねだり」として処理され、新たな快楽の暴力となって跳ね返ってくる。
その絶望的な悪循環の中で、アマゾネス・カルテットの四人は楽しげに顔を見合わせた。
「えー? 違うって言うならさ」
ジュンジュンがしゃがみ込み、這いつくばるヴィーナスの顔を真上から覗き込んだ。
「じゃあ、どう違うのか教えてよ」
「……え……?」
「口では『ふざけるな』って怒ってるのに、体は鞭で叩かれるのを待ってるみたいにビクビク震えてて、実際に叩かれたら熱い息を吐いて喜んでる。これって、どう見ても『もっと苛めて』っていうおねだりじゃない。違うっていうなら、ちゃんとアタシたちが納得できるように説明してみてよ」
子供特有の、残酷なまでの純粋な問い詰めだった。 だからこそ、その無邪気な論理は恐ろしく鋭かった。
「それは……っ」
ジュピターが言い返そうと息を吸い込むが、その肺には甘い桃色の花粉がたっぷりと満ちている。声を出す前に脳の芯が痺れ、思考がドロドロに溶け出しそうになるのを必死に堪えた。
「私たちは……誇り高き、セーラー戦士よ……! あなたたちみたいな悪に、屈するわけにはいかないから……だから、言葉で……っ」
「うんうん、それで?」
パラパラがまりの上に座り、両手で頬杖をつきながら興味津々に先を促す。
「言葉で抵抗してるのは分かったけど、パラパラのまりが当たったら、ジュピターすごーく気持ちよさそうにしてたよ? 悪に屈しないなら、体もちゃんと嫌がってくれないと変じゃない?」
「くっ……これは、あなたたちの毒が……強制的に、痛みを……」
「強制でもなんでも、今この瞬間、あんたたちの体がアタシたちの遊びを欲しがって、喜んで受け入れてるのは『事実』でしょ?」
ベスベスが猛獣使いの鞭を指に巻きつけながら、冷ややかに言い放った。
「心の中ではどう思っていようと関係ないの。あんたたちは今、アタシたちに攻撃されることでしか快楽を得られない体になってる。なのに口では『絶対に負けない』だの『ふざけるな』だのって、アタシたちを挑発するような言葉ばっかり並べ立てる」
ベスベスはそこで言葉を区切り、倒れ伏す四人の戦士たちをねめつけるように見下ろした。
「体が欲しがってるのに、口では嫌がるフリをして、相手の攻撃を誘い出す。……ねえ、これをおねだりって言わずになんて言うの?」
「……っ!」
マーキュリーが、ハッと息を呑んだ。 屁理屈だ。完全な詭弁であり、悪魔の証明だった。だが、今の彼女たちにそれを論破する力は残されていなかった。 なぜなら、敵の指摘する通り、彼女たちの肉体がその詭弁を「真実」として裏付けてしまっているからだ。反論しようと口を開けば、花粉の快楽に蕩けた甘い吐息が漏れてしまう。睨みつけようとすれば、潤んだ瞳が熱を帯びて相手を見つめてしまう。
「ほら、何も言えないじゃない。やっぱりアタシたちの言った通りだったわね」
セレセレが優雅に扇子を閉じ、勝利を確信したように微笑んだ。
「あなたたちがどれだけ立派な言葉を並べても、それはぜーんぶ、アタシたちの気を引くための悲しい強がり。言葉の上では、もう『おねだり』だって認めるしかないのよ」
「ちが……あ、ああ……っ」
ヴィーナスが否定の言葉を紡ごうとした瞬間、ジュンジュンが容赦なくその背中を踏みつけた。花粉の作用が働き、ヴィーナスの口から苦悶ではなく、甘く痺れるような嬌声が漏れる。
「ね? ほーら、すぐにこうやってお返事してくれる」
「あははっ、ほんとだ! 言葉なんていらないくらい、体が正直にお話ししてるね!」
言葉の定義すらも完全に奪われた。 自分たちの放つ反逆の意志が、論理的にも肉体的にも「敵に媚びへつらう哀願」としてしか機能しないという事実を突きつけられ、四人の戦士たちはこれ以上ない絶望に突き落とされた。言い返す気力すら根こそぎ奪われ、極彩色の床に沈み込んだまま、彼女たちはただ己の無力さと醜態を突きつけられ続ける。
「……ちが……」
ヴィーナスが乾いた唇を震わせ、もう一度だけ否定の言葉を紡ごうとした。だが、声帯を震わせるよりも早く、彼女は気づいてしまった。 ここで何を言っても無駄だ。 敵を拒絶する言葉を叫べば、カルテットはそれを「もっと苛めて」という哀願として受け取り、喜々として攻撃を加えてくる。そして攻撃を受ければ、花粉に侵された肉体は否応なく快楽に打ち震え、その醜い反応が『言葉の裏付け』として相手の詭弁を完全に証明してしまう。
論理の逃げ場がない。肉体の逃げ場もない。 その絶対的な事実を理解した瞬間、ヴィーナスの瞳からスッと光が消え、抗議のために持ち上げていた腕が力なく床へと崩れ落ちた。
「あら。どうしたの、ヴィーナス。さっきまでの威勢の良さはどこへ行ったのかしら?」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、勝ち誇った笑みを浮かべる。ヴィーナスは泥だらけの床に顔を押し付けたまま、ただ悔し涙を流すことしかできなかった。
「……無理よ……」
マーキュリーが、虚ろに焦点の合わない目で呟いた。
「この空間で……私たちの言葉は、もう……意味を持たない……。体が……こんなに、だらしなく反応してしまっている以上……私たちが何を言っても、彼女たちの言う通りに……なるしか……っ」
「あははっ! さすがマーキュリー、頭いい! やっと自分の立場が分かったみたいだね!」
ジュンジュンが嬉しそうに手を叩き、這いつくばるマーキュリーの背中をポンと軽く蹴った。
「あ、あっ……」
軽い衝撃。それだけでマーキュリーの体はビクンと跳ね、口から甘い嬌声が漏れる。もはや彼女は、その声を隠そうとすらできなかった。強気な言葉で取り繕う気力すらも、完全な論破によってへし折られてしまったのだ。
「……くっ……ああああっ!」
ジュピターが、己の不甲斐なさと絶望に耐えきれず、泥のような床を両拳で激しく叩きつけた。だが、その自傷めいた衝撃すらも、花粉の作用によって甘い痺れへと変換され、彼女の怒りをドロドロに溶かしていく。 力を込めるたびに快感が走り、ジュピターの全身から戦意が急速に抜け落ちていく。
「……そうよ……」
不意に、マーズの掠れた声が響いた。 泥だらけの純白のスーツを引きずりながら、マーズはゆっくりと上体を起こした。その瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れ出し、プライドに満ちていた顔は、屈辱と快楽に歪んで見る影もない。
「マーズ……?」
「……あなたたちの、言う通りだわ……」
マーズは震える声で、自らの敗北と屈服の言葉を口にした。
「私たちの言葉は……全部、強がりよ。……この体は、あなたたちに苛められるのが……痛めつけられるのが気持ちよくて、たまらない……っ。だから……強気な言葉で、あなたたちの攻撃を……おねだり、していたの……っ!」
「マーズ! 駄目よ、そんなこと言っちゃ……!」
ヴィーナスが悲鳴のような声を上げるが、マーズは首を横に振った。
「事実じゃない……! どんなに心で否定しても、体が……これ以上苛めてほしくて、震えてるんだもの……! 認めない限り……この惨めな時間は、終わらない……っ」
その血を吐くような告白に、ヴィーナスもジュピターも反論できなかった。 事実なのだ。彼女たちの肉体は、すでにセーラー戦士としての誇りを手放し、カルテットの攻撃を快楽として受け入れるただの肉の塊へと成り下がっている。その惨状を否定し続けることこそが、最も滑稽で痛々しい悪あがきだった。
「あーっははははは! 言った! ついに言ったよこの人!」
「あははっ! 自分のお口で『苛められるのが気持ちいいからおねだりしてた』って認めちゃった! すっごく面白い!」
ベスベスとパラパラがお腹を抱えて大爆笑し、極彩色のテント内に無邪気な哄笑が響き渡る。
「ええ、とても素直でよろしいわ。最初からそうやって、自分たちの惨めな立場を認めていればよかったのよ」
セレセレがマーズの顎を扇子で持ち上げ、満足げに微笑む。 ついに四人の戦士たちは、自らの口で己の誇りを否定し、敵のねじ曲がった解釈を真実として受け入れてしまった。
マーズの完全な屈服宣言を聞き届け、セレセレは満足げに目を細めた。 彼女は優雅に扇子を翻し、テント内に充満していた桃色の花粉をフワリと風に乗せて舞い散らせる。 その瞬間、むせ返るような甘い香りがスッと薄らいだ。セレセレは誰にも告げることなく、花粉に付与していた「痛覚を快楽に書き換える魔法」を解除し、ただの無害な花の粉へと戻したのだ。
「うふふ。自分から素直におねだりできたご褒美よ。もっともっと、気持ちよくしてあげるわ」
セレセレが扇子で口元を隠しながらくすくすと笑い、それに合わせてベスベスが猛獣使いの鞭を派手に振り上げた。
「さあ、お望み通りたっぷり遊んであげる!」
ピシャリッ! 乾いた破裂音と共に、鞭の先端がマーズとヴィーナスの背中を鋭く打ち据える。
「……っ!?」
その瞬間、二人の脳裏に微かな違和感が走った。 先程まで全身を蕩けさせていた、芯が痺れるような温かい快感がない。代わりに走ったのは、皮膚が裂け、神経を直接焼かれるような純粋な『痛み』だった。当たり前だ。魔法はすでに解けており、物理的な打撃がそのまま肉体に伝わっているのだから。
しかし、限界まで追い詰められ、自らの口で「痛めつけられるのが気持ちいい」と認めてしまった彼女たちの心は、その『ただの痛み』を正しく処理することを拒絶した。 痛いと認識してしまえば、先ほどの屈辱的な屈服がすべて無駄になり、自らの心を保つための最後の逃げ道すら失われてしまう。壊れかけた精神は、矛盾する肉体の信号を強引に上書きした。
「あ、ぁあっ……んっ……」
マーズの口から、苦悶ではなく、熱を帯びた甘い吐息が漏れた。 痛いはずなのに。何かおかしいという違和感が警鐘を鳴らしているのに。彼女の体は条件反射のようにビクンと跳ね上がり、打たれた箇所から無理やり快楽を搾り出すように身をよじった。
「くうっ……あ、ああ……っ」
ヴィーナスもまた、泥のような極彩色の床に顔を押し付けながら、恍惚とした表情で身震いする。擦り切れた傷口にただの痛みが走っているにもかかわらず、彼女の脳はそれを「ご褒美の刺激」として処理し、自ら進んで快楽の底へと沈み込んでいった。
「あははっ! パラパラももっとご褒美あげるー!」
パラパラが無邪気に放った硬いゴムまりの群れが、ジュピターとマーキュリーの体を容赦なく乱打する。 ボコッ、ドスッと鈍い音が響き、当然のごとく確実なダメージが蓄積していく。それでも二人は身を丸め、痛みに顔をひきつらせながらも、その口からはだらしなく蕩けた嬌声だけをこぼし続けていた。
「……ちょっと、セレセレ。これ……」
ジュンジュンがふと動きを止め、驚いたように目を丸くしてセレセレを見た。ベスベスとパラパラも、戦士たちの異様な反応に気づいて顔を見合わせる。 魔法をかけた張本人であるセレセレは、扇子の陰で三人にだけ聞こえるように小さく囁いた。
「ええ。もうとっくに、魔法は解いてあるわ」
「うそっ! じゃあ、今あいつら……ただ痛いだけなのに、あんなに気持ちよさそうに声出してるの!?」
「あははははっ! なにそれ、傑作すぎる!」
真実を知ったカルテットの四人は、腹を抱えてトランポリンのような床を転げ回った。 もはや魔法の力など必要ない。セーラー戦士たちは自らのプライドをへし折られた反動で、ただの暴力を快楽だと思い込むように精神を書き換えてしまったのだ。自分たち自身に呪いをかけ、進んでおもちゃになり下がったその姿は、あまりにも滑稽で、あまりにも惨めだった。
「やめてぇっ……! 目を覚まして、みんなっ!」
鳥籠の中で、ムーンが血のにじむ声で叫び続ける。 魔法が解けていることに気づいているのかいないのか、大切な仲間たちが自ら進んで痛みに溺れ、心を壊していく光景は、彼女の精神をも根底から引き裂こうとしていた。
極彩色のサーカステントに、四人の少女たちの忍び笑いが響いた。 魔法はとうに解けている。その残酷な真実を共有したアマゾネス・カルテットの面々は、互いに視線を交わし、ひときわ意地悪な「共犯者」の笑みを深め合った。
自らの心を守るために、ただの物理的な痛みを快楽だと思い込み、泥のような床で身悶えするセーラー戦士たち。これほど滑稽で、これほど完璧に壊れたおもちゃは他にない。
「あははっ! じゃあ、もっともっとご褒美をあげなきゃね!」
ジュンジュンがトランポリンのような床を蹴って軽やかに跳躍し、倒れ伏すヴィーナスの背中へと容赦のない踵落としを振り下ろした。 ドスッ、という重い打撃音が響く。本来ならば骨が軋み、激痛に顔を歪めるはずの一撃だ。
だが、ヴィーナスは痛みを認識することを心が拒絶し、条件反射のように体をビクンと跳ねさせて甘い嬌声を漏らした。
「あ、あっ……んっ……」
「うわぁ、本当に素直! アタシの蹴り、そんなに気持ちよかったんだ!」
ジュンジュンが腹を抱えて笑い転げる。ヴィーナスの瞳からは生理的な痛みの涙が溢れているというのに、彼女の表情はだらしなく蕩け、自ら進んでさらなる暴力を乞うように身をよじっていた。
「パラパラのまりも、いーっぱい当ててあげる!」
パラパラが無邪気に放った硬いゴムまりの群れが、ジュピターとマーキュリーの無防備な体を連続して打ち据える。
ボコッ、ボコッという鈍い音が続くたび、二人の体はビクビクと痙攣し、熱を帯びた吐息を吐き出しながら極彩色の床へとさらに深く沈み込んでいく。
「くうっ……あ、ああ……っ」
「んっ……はぁっ……」
マーキュリーの優秀な頭脳は、とっくに体の異変に気づいていたはずだった。 甘い香りは消えている。花粉の作用はすでにない。今受けているのは、神経を直接破壊するただの物理的なダメージだ。だが、その事実を論理的に認めてしまえば、先ほど自らの口で放った「痛めつけられるのが気持ちいい」という屈服の言葉が、逃げ場のない完全な自己否定となって襲いかかってくる。
だからこそ、彼女たちは自らに呪いをかけ続けるしかなかった。痛みを快感にすり替えることでしか、自我を保つことができなくなっていたのだ。
「ええ、本当に可愛い家来たち。お姫様の前でそんなにだらしない声を出して、もうすっかりアタシたちの虜ね」
セレセレが優雅に歩み寄り、扇子でマーズの汚れた手袋をツンと突いた。 ただそれだけの些細な接触にすら、マーズは過敏に反応して肩を震わせる。
「でも、そろそろ遊びの仕上げにしましょうか。あんたたち、本当は『このまま気持ちよく壊されたい』のか、『助かりたい』のか、どっちなの?」
「……っ……」
セレセレの問いかけに、マーズがハッと息を呑んだ。
「心は壊れていないって言うなら、ちゃんと自分の口で選んでみなさいよ。このままアタシたちの靴を舐めて一生おもちゃになるか、それとも……」
ベスベスが猛獣使いの鞭をうねらせ、マーズの顔の横でピシャリと鋭い音を鳴らした。
「『ムーンを差し出すから、自分たちを助けてほしい』って言うか。どっちか選びな!」
「ちが……私たちは……」
「違うって言うなら、おもちゃになりたいんだね! じゃあもっと苛めてあげる!」
ジュンジュンが容赦なくジュピターの髪を掴み、強引に顔を上げさせる。 抵抗しようとするジュピターだったが、引っ張られる頭皮の痛みすらも脳が快楽に変換してしまい、抗議の言葉を紡ぐ前に力が抜けてしまう。
「あ、ああ……っ、やめ……」
「やめてってことは、もっと苛めてってことでしょ? アタシたち、もうそのおねだりの意味知ってるもん!」
パラパラがケラケラと笑い、逃げ道を完全に塞いだ。
「ほら、どうするの? このまま壊れるまで気持ちよくなりたい? それとも、大事なお姫様を売って楽になる?」
「早く言いなよ。あんたたちのお口から、その言葉が聞きたいなぁ」
カルテットの四人が、這いつくばる戦士たちを囲み込み、楽しげに言葉を重ねていく。 肉体と精神の矛盾に引き裂かれ、完全な論理の檻に閉じ込められた四人の戦士たち。その瞳から、ついに最後の抵抗の光がフッと消え去った。
「……むぅ、ん……を……」
ヴィーナスの震える唇から、言葉が零れ落ちる。 アマゾネス・カルテットの四人が期待に満ちた笑みを深め、鳥籠の中のムーンが絶望に顔を覆ったその時。ヴィーナスは泥のような極彩色の床に爪を立て、血の滲むような意志の力で、最後の最後で己の魂を繋ぎ止めた。
「ムーンを……助け、て……っ。私たちを、どう……壊してもいい……だから、ムーンだけは……っ!」
這いつくばったまま、涙に濡れた顔を上げて懇願する。 それは、誇りを捨ててでも守りたいもののための、純粋な哀願だった。だが、その悲痛な叫びを聞いたカルテットの顔から、スッと期待の色が消え去った。
「あーあ。つまんないの」
ジュンジュンが退屈そうに肩をすくめ、ベスベスが大げさなため息を吐く。
「まだそんなこと言ってるんだ。本当に頭の悪い家来たちね」
「うんうん、ぜーんぜん分かってない。パラパラ、すっごくがっかり」
パラパラがまりの上で不満げに頬を膨らませた。しかし、すぐに何かを思いついたようにパッと表情を輝かせると、まりをポンと蹴って、倒れ伏すマーキュリーの目の前へと転がり込んだ。
「ねえねえ、マーキュリー! マーキュリーは、お姫様の家来の中で一番頭がいいんだよね?」
「……っ……」
荒い呼吸を繰り返していたマーキュリーが、焦点の合わない視線でパラパラを見上げる。その澄んだ青い瞳には、すでに抵抗の光はなく、抗いがたい疲労と快楽の残滓に濁っていた。
「じゃあさ、マーキュリーからみんなに教えてあげてよ。ヴィーナスの言ってる『ムーンを助けて』っていうお願いが、いかにバカバカしくて、絶対に叶わないことなのかってことをさ」
「な、にを……」
「頭のいいマーキュリーなら、今の状況がどうなってるか、ぜーんぶ分かってるんでしょ? ほら、パラパラたちにも分かるように、今の盤面がどれだけ『詰んでる』か、ちゃんと立証してみてよ」
無邪気で残酷な要求。 マーキュリーの顔から、サッと血の気が引いた。自分が置かれている絶望的な状況は、彼女の優秀な頭脳が誰よりも正確に理解している。
「……言わ、ないわ……っ。私は……」
マーキュリーが首を横に振り、泥のような床を這って逃れようとする。だが、パラパラは容赦なく小さなゴムまりを指先で弾き、マーキュリーの肩口へと当てた。 ポスッ、という軽い音。魔法はとうに解けており、ただの物理的な衝撃であるはずだった。しかし、完全に呪縛されたマーキュリーの体は、それを『ご褒美』として処理してしまう。
「あ、あっ……んっ……」
マーキュリーの口から熱を帯びた嬌声が漏れ、逃げようとしていた手足からズルズルと力が抜け落ちた。
「ほらほら、体がこんなに正直なんだから、お口も正直にならないと駄目だよ? 早く言わないと、もっともっと気持ちよくしちゃうからね!」
「あははっ! いいわね、それ。マーキュリー、あんたのその優秀な頭脳で、どうしてあんたたちが絶対に助からないのか、一つずつ丁寧に説明してちょうだい」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、ベスベスが鞭をピシャリと鳴らして同調する。 痛みを快感として受け入れてしまう惨めな肉体。論理的な逃げ道を塞がれた言葉。マーキュリーは絶望に瞳を揺らしながら、震える唇をゆっくりと開いた。
「……私たちの、エナジーは……完全に枯渇し、反撃する手段は……残されていないわ……」
「うんうん、それで?」
「……空間は、完全にあなたたちの支配下にあり……逃げ道は、ない……。そして……」
マーキュリーはギュッと目を閉じ、自らの心を刃で抉るような言葉を紡ぎ出した。
「私たちの言葉は……あなたたちへの哀願としてしか機能せず……さらに、私たちの肉体は……」
「お口に出して言わなきゃ駄目だよ!」
ジュンジュンの容赦ない蹴りがマーキュリーの脇腹を軽く小突く。 ビクンと身をよじらせたマーキュリーは、涙をポロポロとこぼす。
「……私たちの肉体は、ただの暴力を……快楽としてしか受け取れないほどに、壊されてしまっているわ……っ。何を言ってもおねだりになり、何をされても喜んでしまう……この状態では……あなたたちに、条件を提示することすら……」
「できない、よね?」
「……ええ……。盤面は完全に……あなたたちの思い通り……。私たちには……ムーンを助ける手立ては、存在しない……完全に、詰んでいるわ……っ」
言い終えた瞬間、マーキュリーは泥のような床に突っ伏し、激しい嗚咽を漏らした。 最も冷静で、最も知的な戦士が、自らの口で完全な敗北と無力さを証明してしまったのだ。ジュピターも、マーズも、ヴィーナスも、その言葉を聞いて言葉を失い、深い絶望の淵へと沈み込んでいく。
「あーっははははははっ! 言った! 自分で『詰んでる』って言ったよ!」
「最高! さすがマーキュリー、すっごく分かりやすい解説だったわ!」
アマゾネス・カルテットの四人が、涙を流して大爆笑する。
マーキュリーは冷え切った瞳を宙にさまよわせた。 自らの知性をもって完璧なまでの敗北を立証したその唇が、震えながらさらに残酷な結論を紡ぎ出していく。
「……だから……私たちは、これ以上抵抗することをやめなければならないわ……」
マーキュリーは力なく首を垂れ、泥のように沈み込むトランポリン状の床に額を押し付けた。
「私たちがどんなに苦しもうと、恥をかこうと……この甘い痺れの中で、ただ気持ちよく壊されていくことだけが……唯一の選択肢よ……」
「マーキュリー……?」
「そうしなければ、ムーンにまで危害が及ぶわ……。私たちがだらしなく快楽に溺れ、彼女たちの言う通りにおもちゃになり続けることでしか……あの鳥籠のプリンセスを……守る方法はないのよ……!」
それは戦士としての誇りを完全に捨て去り、敵の掌の上で永遠に踊り続けることを誓うようなものだった。 耐えることではない。
「あははっ! 聞いた!? 聞いたよ今の!」
ジュンジュンが飛び跳ねるように手を叩き、ひときわ甲高い笑い声を上げた。
「自分から進んで『気持ちよく壊されたい』って! すっごくお利口さんな宣言だね!」
「うんうん、素晴らしい! 最初からそうやって素直になっていれば、こんなに痛い思いをしなくて済んだのにね」
ベスベスが猛獣使いの鞭を肩に担ぎ、冷ややかな称賛を口にする。 床に這いつくばるヴィーナスやジュピターも、もはや反論する気力を失っていた。マーキュリーの言う通りだ。これ以上気高い言葉を紡げば、それはさらなる嘲笑と容赦のない暴力を呼び寄せるだけ。身を差し出し、快楽に溺れてみせることだけが、頭上に囚われたムーンをこれ以上傷つけさせないための唯一の鎖だった。
「ねえ、もしかして……」
セレセレが優雅に扇子を閉じ、倒れ伏すマーズの耳元へとスッと顔を近づけた。その冷酷な瞳には、底意地の悪い光が宿っている。
「あなたたち、まだ心のどこかで『いつか仲間が助けに来てくれる』とか、『奇跡が起きてこの結界を破れる』とか、そんな甘い期待を捨てきれていないんじゃないかしら?」
「っ……!」
マーズの肩がビクッと跳ねた。 絶望の底にあっても、セーラー戦士としての本能のどこかで、タキシード仮面や外部の仲間たちがこの異常事態に気づいて駆けつけてくれるかもしれないという微かな希望を、完全に消し去ることはできていなかった。
「ふふっ、その顔、図星ね」
セレセレはくすくすと上品に笑い、冷酷な宣告を叩きつけた。
「でもね、残念だったわね。奇跡なんてものはね、いつだって起きないから『奇跡』って呼ばれるのよ。起きた瞬間にそれは奇跡じゃなくて、ただの予定調和になるんだから」
「そうそう! 期待したって無駄無駄! 奇跡なんて待ってる暇があったら、自分からもっと気持ちよくなる努力をしなよ!」
パラパラがまりの上でケラケラと笑い、残酷な真理を無邪気に言い放った。
「期待したって、奇跡は絶対に起きないんだよ。だから、そんな無駄な夢を見るのはもうおしまい。素直にアタシたちのおもちゃになって、永遠にその中でとろけていなさい!」
逃げ場のない論理の檻。希望という最後の逃げ道すらも、彼女たちの無邪気な言葉によって完全に塞ぎ落とされた。 頭上の鳥籠の中で、ムーンは両手で顔を覆い、声を殺して絶望の涙を流し続ける。
マーキュリーが自らの知性をもって完全な敗北を証明し、「ムーンを守るためには、自分たちが気持ちよく壊されるしかない」という絶望的な結論を口にしたマーキュリー。その究極の自己犠牲と屈服の宣言は、カルテットにとって最高の余興として消費されていた。
「あーっはははは! 傑作! ほんっとに最高のおもちゃ!」
ジュンジュンがお腹を抱えてトランポリンのような床を転げ回り、ベスベスも涙を拭いながら猛獣使いの鞭を派手に打ち鳴らした。
「自分から進んで『気持ちよく壊されたい』なんて、正義の味方が言うセリフじゃないわよ! もうすっかりアタシたちの虜ね!」
「パラパラもすっごく楽しい! もっといーっぱい当ててあげるね!」
パラパラがまりの上で跳ねるたび、這いつくばる四人の戦士たちは、自らの無力さと屈辱に打ち震えながらも、ただその残酷な笑い声を受け入れることしかできなかった。 しかし、ひとしきり大笑いしたカルテットの四人は、ふとピタリと動きを止めた。 先ほどまでの熱狂が嘘のように、彼女たちの顔からスッと笑い意が消え去る。
「……でもさぁ」
ジュンジュンが、冷え切った瞳で倒れ伏すマーキュリーを見下ろした。
「アタシたちが見たいのは、だらしない声を出して気持ちよくなってる正義の味方じゃないんだなぁ」
「……え……?」
マーキュリーが、焦点の定まらない目でジュンジュンを見上げる。ジュピターとヴィーナスも、予想外の言葉にハッとして息を呑んだ。 身代わりとして徹底的に痛めつけられ、心を壊されることすら受け入れた。これ以上の妥協も自己犠牲も存在しない。なのに、彼女たちはまだ不満だというのか。
「あら、分からないの? 頭のいいあなたなら、すぐに気づくと思ったのに」
セレセレが優雅に扇子を広げ、心底呆れたようにため息を吐く。
「あなたたち、『自分たちが気持ちよく壊されることでお姫様を守る』って言ったわよね。それって要するに、ただの身代わりじゃない。お姫様のための自己犠牲。……そんなの、どこにでもある古臭いおとぎ話の綺麗事と何も変わらないわ」
「そうそう! 結局、心の中では『お姫様のために犠牲になったアタシたちってエライ!』って思ってるんでしょ?」
ベスベスがしゃがみ込み、マーキュリーの髪を無造作に掴んで顔を上げさせた。
「そういうのが一番つまんないのよ。痛いのを気持ちいいって誤魔化してまで忠誠心ごっこを続けるなんて、反吐が出るくらい退屈なストーリーだわ」
「……っ……何を……言っているの……」
「まだ分かんない? アタシたちが本当に聞きたかった言葉、何だったか忘れたの?」
パラパラがまりから飛び降りて、マーキュリーの鼻先へと顔を近づけた。その無邪気な瞳の奥には、底知れぬ悪意が渦巻いている。
「パラパラたちが聞きたいのはね、『ムーンを差し出すから、自分たちだけは助けてほしい』っていうお願いだよ」
「っ……!」
その言葉が再び突きつけられ、四人の戦士たちは背筋に氷をねじ込まれたような悪寒を覚えた。 カルテットが求めているのは、おもちゃとして壊される姿ではない。戦士としての究極の『裏切り』だ。
「そうだよ。お姫様のために自分たちが犠牲になるなんて、そんな美しい見世物、誰が喜ぶもんか」
ジュンジュンが泥のような床を軽く蹴り、這いつくばる戦士たちを見下して残酷な笑みを深める。
「アタシたちが見たいのは、自分が助かりたいからって泣き喚いて、大事な仲間を売り飛ばす、最高に醜くて汚い人間の姿なの。自分たちが助かるために、あの鳥籠のお姫様をアタシたちに差し出す。その言葉を言わない限り、あんたたちの身代わりごっこなんて何の価値もないんだよ」
絶望の底で差し出した最大の自己犠牲すらも、「つまらない」の一言で完全に否定された。 肉体を快楽の呪縛に沈め、誇りを砕かれてもなお、彼女たちに残されたただ一つの譲れない一線。
「ふざけないで……っ! 私たちで、私たちだけでいいじゃないっ!」
ヴィーナスが、極彩色のトランポリン状の床に爪を立てながら、血を吐くような声で叫んだ。 ムーンを売り渡す言葉を吐けという、カルテットの最悪の要求。それに対して、満身創痍の戦士たちは激しい怒りを露わにした。
「そうよ……! 私たちを、壊れるまで遊べばいいって言ってるじゃない……っ!」
「これ以上、ムーンを……巻き込まないで!」
ジュピターとマーズも、震える腕で強引に上体を起こし、声を荒げる。マーキュリーも荒い息を吐きながら、敵を鋭く睨みつけようとした。 だが、怒りに任せて身をよじり、筋肉に力を込めたその行動自体が、呪縛された肉体への強い刺激となって跳ね返る。
「あ、ぁあっ……」
ジュピターの口から、怒声の代わりに熱を帯びた甘い吐息がこぼれ落ちた。力を込めたはずの腕からズルズルと反発力が抜け、泥のような床へと再び顔を押し付けられる。マーズもヴィーナスも同様だった。激昂すればするほど、体がそれを『ご褒美』として処理し、強制的に快楽の波に呑み込まれていく。 怒りたいのに、怒れない。拒絶したいのに、体は歓喜に震えてしまう。 その矛盾に苦しめられながら、戦士たちはなおも「自分たちを身代わりにしろ」と必死に訴え続けた。
「あーっははははは! いいよいいよ、その顔!」
ジュンジュンが腹を抱え、涙を流しながら大笑いする。
「『アタシたちでいいじゃない!』だって! 怒って、ムキになって、でも体は気持ちよさそうにビクビク震えてて! もう最高におもしろい!」
「ねえ、あんたたち勘違いしてるよ。パラパラたち、すぐに『はい、ムーンを差し出します』なんて言われたら、逆につまんないもん」
パラパラがまりの上でケラケラと笑い、這いつくばる戦士たちを見下ろした。
「そんなの、おもちゃとして全然面白くないじゃん」
「……え……?」
ヴィーナスが虚ろな瞳を向けると、セレセレが扇子を優雅に揺らしながら、ため息交じりに言葉を継いだ。
「あのね。アタシたちが見たいのは、あなたたちのその『逡巡』と『怒り』なのよ」
「しゅん、じゅん……?」
「そう。大切なプリンセスを売りたくないっていう強い思い。でも、体が気持ちよさに抗えなくて、心がどんどんすり減っていく苦痛。自分の誇りと、楽になりたいっていう本能の間で板挟みになって、みっともなく足掻く姿。……それが一番のショーじゃない」
セレセレは冷酷な笑みを深め、扇子でマーキュリーの頬をツンと突いた。 ただそれだけの接触で、マーキュリーはビクンと肩を跳ねさせて甘い声を漏らす。
「すぐにお姫様を売っちゃうような安い忠誠心なら、こんなに時間かけて遊んでないわよ。あんたたちが絶対に曲げたくないって思ってるものを、ギリギリまで追い詰めて、追い詰めて……」
「最後に限界が来て、自分から『お姫様をあげるから助けて』って泣き叫ぶ。その瞬間が、一番スカッとするんだからさ!」
ベスベスが猛獣使いの鞭を派手に鳴らし、無邪気な悪意をむき出しにして笑う。 彼女たちは初めから、四戦士がすぐに折れることなど期待していなかった。むしろ、強く抵抗すればするほど、その抵抗が崩れ去る瞬間の快感が大きくなることを知っているのだ。
「だから、もっと怒ってよ。もっと悩んで、もっと『私たちでいいじゃない』って叫んでよ」
ジュンジュンがしゃがみ込み、ジュピターの顔を覗き込んでニヤリと笑う。
「そのたびにアタシたちがたっぷり可愛がってあげるからさ。あんたたちの心がポッキリ折れて、お姫様を売り飛ばす言葉を吐き出すまで、ずーっとね!」
「……みんな……絶対に、声を出さないで……」
ヴィーナスが、這いつくばったまま掠れた声で仲間たちに囁いた。
「言葉を発すれば……あの子たちの都合のいいように、捻じ曲げられるだけよ……。どんなに痛めつけられても……絶対に、あの言葉だけは……」
「ええ……分かっているわ……っ」
マーズが泥だらけの床に額を押し付け、決意を込めて自らの下唇を強く噛み締めた。ツーッと一筋の血が顎を伝い落ちるが、彼女はそれすらも無視して奥歯を噛み合わせる。
ジュピターも、マーキュリーも、無言のまま深く頷いた。 肉体が痛みを快楽と錯覚し、勝手に嬌声を上げてしまうのなら、物理的に口を閉ざすしかない。四人は擦り切れた手袋で極彩色の床を強く握り締め、来るべき暴力の嵐に備えて全身の筋肉を硬直させた。
「あーあ、こそこそ内緒話して。今度はお口にチャック作戦?」
ジュンジュンが空中で軽やかに宙返りを打ちながら、退屈そうに鼻を鳴らした。
「そんなの、いつまでもつかな? パラパラ、いっぱいやっちゃって!」
「うんっ! まりさん、もっともっと跳ねてー!」
パラパラが無邪気に手を叩くと、分裂した無数の硬いゴムまりが一斉に四人の戦士たちへと降り注いだ。 ボコッ、ドスッと鈍い打撃音が連続して響き渡る。限界を超えた肉体に直接叩き込まれる物理的なダメージ。魔法はとうに解けているにもかかわらず、彼女たちの壊れかけた精神はそれを「ご褒美の刺激」として処理し、強烈な快楽の波が背筋を駆け上がっていく。
「……っ……!!」
ジュピターが両手で頭を抱え込み、必死に声を殺した。 口から漏れ出そうになる熱を帯びた吐息を、噛み締めた歯の隙間に強引に封じ込める。全身が歓喜に震え、本能がもっと刺激を求めてだらしなく弛緩しようとするのを、残された最後の理力だけで押さえ込んでいた。
「あら、我慢しちゃって。でも、体がビクビク跳ねてるわよ?」
ベスベスが意地悪く笑い、猛獣使いの鞭をうねらせてヴィーナスの太ももを鋭く打ち据えた。 ピシャリと皮膚を裂くような痛みが走る。ヴィーナスは目を固く閉じ、喉の奥から込み上げる甘い声ごと、ごくりと唾を飲み込んで耐え抜いた。
「……ふふっ、無駄な抵抗ね。でも、その強がりがどこまで続くのかしら」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、四人の様子を冷ややかに見下ろす。言葉を奪われ、肉体の尊厳を奪われ、それでもなお「沈黙」という最後の盾にすがりつく戦士たち。その悲壮なまでの忍耐は、頭上の鳥籠の中で見下ろしているムーンの心を、限界まで締め付けていた。
「やめて……もう、やめてよぉっ……!」
ついに耐えきれず、ムーンが紫色の魔力が走る格子に身を乗り出して叫んだ。 黒く焦げた両手で格子を強く握り締め、自らの身を焼く激痛にも構わず、涙に濡れた顔でカルテットの少女たちを見下ろす。
「みんなを傷つけないで! 私の命なら……どうしたっていいから……っ! だから、みんなを解放して!」
「ムーン……! 駄目よ、そんなこと……言っちゃ……っ!」
マーズが床に這いつくばったまま、血のにじむ唇を開いて悲鳴を上げた。 自らの命を差し出してでも仲間を救おうとする、プリンセスとしての究極の自己犠牲。その言葉は、セーラー戦士たちにとって何よりも聞きたくない、絶望の宣告に他ならなかった。
だが、その崇高で悲痛な決意すらも、カルテットにとっては「つまらないもの」でしかなかった。
「あーあ。お姫様、やっぱりそういうこと言っちゃうんだ」
ジュンジュンがひどく興醒めしたような顔をして、ため息を吐く。
「だからさぁ、パラパラたち、お姫様の自己犠牲なんてぜーんぜん見たくないの」
「そうよ。あんたが勝手に犠牲になって終わるなんて、そんなつまらないおとぎ話、誰が喜ぶっていうのよ」
ベスベスが鞭の柄で肩をトントンと叩きながら、冷ややかな視線を鳥籠へと向けた。
「アタシたちが欲しいのは、あんたの命じゃない。この泥だらけになって足掻いてる家来たちが、あんたを裏切って売り飛ばす『言葉』なの。あんたが自分から差し出されちゃったら、この子たちを苛める理由がなくなっちゃうじゃない」
「……え……?」
ムーンが、信じられないものを見るように目を見開いた。 自分を犠牲にして仲間を救うことすら許されない。彼女たちの目的は銀水晶の奪取やプリンセスの命ではなく、セーラー戦士たちの絆と誇りを最も醜い形で破壊し尽くすことそのものなのだ。
「……ねえ、あなたたち。何度言えばアタシたちの言ってることが分からないの?」
優雅に扇子を揺らしながら、セレセレは冷ややかな目でトランポリン状の床を見下ろした。
「悲痛な顔をして、歯を食いしばって、お姫様を守るために拷問に耐える……それって、ただの『悲劇』じゃない。お涙頂戴のバッドエンドなんて、三流の芝居だわ」
「そうそう! アタシたち、デッド・ムーンサーカスなんだよ? サーカスが悲劇なんてやるわけないじゃん!」
ジュンジュンがトランポリンの床を大きく蹴り上げ、空中でくるりと回転しながら言い放つ。
「やめ……あっ、あああ……っ!」
ジュピターが歯を食いしばって床に踏みとどまろうとした瞬間、ジュンジュンの軽い蹴りがその膝裏を捉えた。カクンとバランスを崩したジュピターは、前のめりに倒れ込みながらヴィーナスに激突し、二人揃ってドタバタと手足をばたつかせながら転げ回る。
その滑稽な姿に、アマゾネス・カルテットの四人が腹を抱えて大爆笑した。
「あはははは! なにそれ、どこのドタバタコメディ!?」
「ジュピター、すっごくどんくさい! ヴィーナスもカエルみたいに潰れてるー!」
ジュンジュンとパラパラが、涙を拭いながら指を差して笑い転げる。 悲壮な決意も、戦士としての誇りも、この空間ではすべてが道化の振る舞いへと変換されてしまう。耐えようとすればするほど、彼女たちの動きは空回りし、カルテットの求める『喜劇』のスパイスとして消費されていった。
「……く、うぅ……っ」
マーズが、泥だらけの床に顔を押し付けたまま、小さく身を震わせた。 痛みを快楽に書き換えてしまう呪縛。そして、自分たちの必死の自己犠牲すらも「つまらない」と切り捨てられ、ただ笑われるだけの見世物にされている現実。 ギリギリで保っていたマーズの心の糸が、ついにプツリと音を立てて千切れた。
「……う……あ、あああ……っ」
マーズの目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。 それは、痛みに耐えかねた生理的な涙ではない。誇りをへし折られ、何もかもを嘲笑われ、完全に無力化された己への果てしない絶望と屈辱の涙だった。
彼女はもう、強気な言葉を紡ぐことも、怒りの視線を向けることもできず、ただ子どものようにしゃくり上げ始めた。
「マーズ……」
マーキュリーが、焦点の合わない目でマーズの泣き顔を見つめる。そのマーキュリーの瞳からも、ツーッと涙が伝い落ちた。 知性を尽くしても状況を打破できず、自らの口で敗北を証明させられた。
これ以上、どうやって心を守ればいいのか分からない。優秀な頭脳を持つ彼女でさえ、限界を超えた精神的苦痛の前に、ただ泣くことしかできなかった。
「うぅ……ひぐっ……いやだ……もう、いやぁ……っ」
ヴィーナスが両手で顔を覆い、肩を震わせて泣きじゃくる。ジュピターも極彩色の床を力なく叩きながら、声にならない嗚咽を漏らした。
四人の誇り高き戦士たちは、今や完全にプライドを剥ぎ取られ、絶望の泥沼で泣き崩れるただの無力な人間へと成り果てていた。
「あーあ。とうとうみんな泣き出しちゃったわね」
セレセレが優雅に扇子を揺らし、泣きじゃくる四人を見下ろして冷たく微笑んだ。
「お姫様を守るためにカッコよく耐えるはずだったのに、最後は泥だらけになって、みっともなく泣き喚いてる。……ええ、とっても滑稽で、素晴らしい喜劇だわ」
「あははっ! ほんとだ! プライド高そうな正義の味方が、ボロボロになってピーピー泣いてるの、最高にウケる!」
ベスベスが猛獣使いの鞭を首に巻きつけながら、底意地の悪い笑みを浮かべる。
「ねえねえ、泣いてるだけじゃつまんないよ! お姫様を売り飛ばすセリフ、泣きながら言ってみてよ! 絶対すっごく面白いから!」
パラパラがまりの上で跳ねながら、無邪気に残酷な要求を突きつける。 戦士たちがどれほど絶望して泣き崩れようとも、カルテットの少女たちにとってはそれすらも「次の面白いショー」への引き金でしかなかった。
「もう……いやっ……。こんなの、もう耐えられないわ……っ」
マーズが泥だらけの両手で顔を覆い、子供のように泣きじゃくりながら首を横に振った。 痛みを快楽に書き換えてしまう己の狂った肉体。悲壮な自己犠牲すらも笑い飛ばされる理不尽。彼女の誇り高き精神は、すでに形を保てないほどに粉々に砕け散っていた。
「駄目よ、マーズ……っ! 私たちが折れたら、あの子たちの思い通りに……!」
ジュピターが震える腕を伸ばし、這いつくばるマーズの肩を抱き寄せようとする。だが、ジュピター自身の声も涙に濡れてひどく震えており、その説得力はすでに失われていた。
「耐えるしかないのよ……! 私たちがここで踏ん張らなきゃ、ムーンが……っ!」
「耐えるって……どうやって……!? 私たちの体、もう……叩かれるだけで、こんなに……っ!」
マーズが泣き叫んだ瞬間、パラパラが無邪気に蹴り飛ばしたまりの一つが、マーズの背中をポスッと軽く打ち据えた。
「あ、ぁあっ……! ほら……っ、また……!」
マーズの口から、悲鳴の代わりに甘く掠れた嬌声が漏れる。彼女は己の口から出たそのだらしない音にさらなる絶望を覚え、床に額を擦りつけて激しく泣き崩れた。 耐えると言っても、ただ歯を食いしばって痛みに耐えるのとはわけが違うのだ。
攻撃されるたびに体が歓喜に震え、快楽に溺れていく己の醜態を晒し続けなければならない。それは精神を内側から腐らせる、終わりのない拷問だった。
「マーズの言う通りよ……。もう、限界だわ……」
マーキュリーが、虚ろな瞳から涙を流し続けながら、掠れた声でマーズに同調した。
「マーキュリーまで……! 駄目よ、諦めちゃ……!」
「諦めるとか、そういう問題じゃないのよ……っ」
ジュピターの悲痛な叫びを、マーキュリーは血を吐くような声で遮った。
「耐えても、意味がないの……! 私たちが意地を張って耐えれば耐えるほど、あの子たちはそれを『面白い喜劇』として消費するだけ。私たちがボロボロになって足掻く姿を笑いながら、永遠におもちゃにし続けるわ……!」
「それでも……! 私たちから、ムーンを売るなんて……そんなこと、絶対にできないじゃない……っ!」
ヴィーナスが、極彩色の床を泥だらけの拳で叩きつけながら泣き叫ぶ。 リーダーとしての責任感と、プリンセスへの絶対の忠誠心。それがヴィーナスとジュピターを辛うじて「抵抗」の側に引き留めていた。しかし、彼女たちにも分かっているのだ。マーキュリーの言う通り、このまま耐え続けたところで、事態が好転する見込みなど一ミリも存在しないことを。
「終わりなんて、来ないのよ……! 私たちが折れて、あの子たちの望む言葉を吐き出すまで……この地獄は絶対に終わらない……っ!」
マーキュリーが両手で頭を抱え、狂乱したように首を振る。
もうだめだ、楽になりたいと泣き叫ぶ意見。それでも耐えなければならない、裏切ることはできないとすがりつく意見。四人の心は完全にバラバラになり、泥沼のような絶望の中で答えの出ない堂々巡りを繰り返していた。
「あははははっ! ねぇ見て見て! 仲間割れはじまっちゃった!」
その悲惨な光景すらも、アマゾネス・カルテットにとっては極上のエンターテインメントだった。ジュンジュンが空中でくるりと宙返りを打ちながら、嬉しそうに手を叩く。
「もう耐えられないって泣く子と、まだ耐えるって強がる子! すっごく面白いドタバタ劇だね!」
「でもさぁ、耐えるって言ってもどうせ体は気持ちよくなっちゃうのに、いつまで意地を張るつもりなのかしらね」
セレセレが優雅に扇子を扇ぎながら、冷ややかにくすくすと笑う。
「ねえ、あんたたち。そうやってぐずぐず泣きながら話し合ってる間も、アタシたちのショーは続いてるのよ?」
ベスベスが意地悪く笑い、猛獣使いの鞭を大きく振り被った。 ピシャァッ! 凄まじい破裂音と共に、四人が身を寄せ合っていた極彩色の床が激しく鞭打たれる。トランポリンのように波打つ床が大きく跳ね上がり、言い争っていた戦士たちの体は無抵抗に宙へと投げ出された。
「きゃああっ!」
「あ、ぁあっ……!」
空中で体勢を崩し、ドタバタともつれ合いながら再び泥のような床へと落下する。打撃の衝撃と床の反発が狂った肉体を強く刺激し、四人の口から一斉に熱を帯びた嬌声が漏れ出た。
「ほらほら! 意見がまとまらないなら、パラパラがいーっぱいお手伝いしてあげる!」
パラパラがまりの上で跳ねながら、無数の分裂したまりを乱射する。 ポコッ、ドスッと不規則な連撃が戦士たちの手足や背中を打ち据え、そのたびに彼女たちは言い争う言葉を失い、だらしなく身をよじらせて快楽の波に呑み込まれていく。
「やめ……ひぐっ……あ、ああ……っ」
「もう、いやぁ……っ! 誰か、助けて……っ」
ヴィーナスもマーズも、もはやまともな思考を保つことすらできず、ただ泣きながら甘い吐息をこぼし続けるしかなかった。 耐えることも、諦めることも許されず、ただ滑稽な道化として弄ばれ続ける無間地獄。鳥籠の中でそれを見下ろすムーンの叫び声も、狂気的な喜劇の喧騒の中へと虚しく吸い込まれていった。
トランポリンのように波打っていた極彩色の床が、不意にピタリと動きを止めた。 無数に跳ね回っていたゴムまりも、空を裂いていた猛獣使いの鞭も、まるで幻だったかのようにパッと消え去る。 急な静寂。
泥だらけの床に這いつくばる四人のセーラー戦士たちは、急に放り出されたような虚脱感の中でヒック、ヒックとしゃくり上げるしかなかった。
「……あらあら。あんまり苛めすぎちゃったかしら。可哀想に、みんなどろどろのぐちゃぐちゃね」
ふわりと甘い香りが漂い、セレセレが優雅な足取りでマーズのそばへと歩み寄った。彼女は泥にまみれた床にそっと膝をつくと、扇子を置き、両手で優しくマーズの頭を抱き寄せた。
「え……?」
「よしよし、痛かったわね。苦しかったわね。もう泣かなくていいのよ」
マーズの汚れた頬を、セレセレの白く細い指が滑り、涙を優しく拭い去る。まるで幼子をあやす母親のような、慈愛に満ちた声色だった。 あまりの温度差にマーズは一瞬身を強張らせたが、極限まで張り詰めていた神経は、その唐突に与えられた『優しさ』に抗うことができなかった。温もりと柔らかな声に包まれ、マーズの口から「あ、ぁ……っ」と安堵の吐息が漏れ、彼女の体は力なくセレセレの腕の中へと崩れ落ちた。
「そうそう、いい子。もう無理して意地を張らなくていいんだよ」
パラパラがマーキュリーの背中にちょこんと座り、彼女の青い髪をまるで愛玩動物を撫でるように優しく梳く。 ずっと自分を追い詰めていた優秀な頭脳が、その単調で心地よいリズムによってトロトロに溶かされていく。マーキュリーは抵抗する気力すら湧かず、ただ幼児のように「うぅ……ん……」と弱々しい声を漏らしてパラパラの手にすり寄った。
「あんたたち、ちょっと頑張りすぎたんだよ。正義の味方だのお姫様だのって、背負うものが大きすぎて疲れちゃったんでしょ?」
ジュンジュンがジュピターの背中をポンポンと一定のリズムで叩きながら、耳元で優しく囁いた。 ジュピターの大きな体が、そのリズミカルな振動に合わせてビク、ビクと微かに震える。怒りや悲しみでぐちゃぐちゃになっていた感情が、その子供だましのあやし方によって強制的に平坦なものへと均されていく。
「アタシたち、いじめっ子じゃないもん。あんたたちが素直に自分の気持ちを認めてくれたら、こんな痛いこと、もう絶対しないよ。ね?」
ベスベスがヴィーナスの顔を両手で包み込み、まるで親友に語りかけるように諭す。 涙で視界がぼやけるヴィーナスの目に、ベスベスの優しい笑顔が映る。先ほどまで鞭を振るっていた悪魔が、今はこれ以上ないほどの理解者のような顔をして、ヴィーナスの乱れた感情を解きほぐそうとしていた。
「もう……限界なんだよね? 痛いのも、気持ちよくなっちゃうのも、仲間と喧嘩するのも、全部嫌になっちゃったよね」
ベスベスの言葉に、ヴィーナスはコク、コクと、まるで操り人形のように頷いてしまった。 リーダーとしての責任も、誇りも、どうでもよかった。ただこの苦しみから解放されたい。その本音を、目の前の敵が優しく肯定してくれている。それは、追い詰められた精神にとって、何よりも甘い麻薬だった。
「じゃあ、今一番必要なのは何かな?」
「どうすれば、この嫌なことから全部解放されるか、分かるよね?」
セレセレがマーズの耳元に唇を寄せ、甘く、とろけるような声で囁いた。 マーズの虚ろな瞳が、ゆっくりと頭上の鳥籠へと向けられる。
「自分たちが壊れるまで耐えるなんて、そんな悲しいこと言わないで。あんたたちは十分頑張ったよ。だから、もう全部投げ出しちゃいなさい」
「うんうん、お姫様なんてパラパラたちにあげちゃえばいいんだよ。そうしたら、もう誰もあんたたちを苛めないよ」
パラパラが無邪気に笑いながら、マーキュリーの頬を両手でもちもちと揉む。 優しい声。優しい手つき。すべてを許容してくれるような圧倒的な肯定感。それが罠であり、最も残酷な心理誘導であることは、マーキュリーの頭の片隅で警鐘を鳴らしていた。だが、感情を整理され、子供のようにあやされてしまった彼女たちには、もうその声に従う以外の選択肢が浮かばなかった。
「……むぅ、ん……を……」
マーズの唇が、震えながら開く。 セレセレが満足げに微笑み、その続きの言葉を促すように、マーズの頭をより一層優しく撫でた。 鳥籠の中で、ムーンが絶望に目を見開き、声にならない悲鳴を上げていた。狂気の揺り籠の中で、四人の戦士たちは今度こそ完全に、最悪の言葉を紡ごうとしていた。
極彩色のテント内に、甘く退廃的な静寂が満ちていた。狂気の揺り籠の中で、マーズの震える唇が微かに開く。その虚ろな瞳は、頭上の鳥籠に囚われた主君を映しながらも、もはや焦点が合っていなかった。
「そう、いい子。怖がらないで。自分のためにお願いをしていいのよ」
セレセレがマーズの濡れた頬を優しく撫で、その耳元に極上の麻薬のような囁きを落とす。 マーズの目から、再び大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。それは罪悪感の涙であると同時に、これでもう苦しまなくていいのだという、致命的なまでの安堵の涙でもあった。
「……ムーンを、差し出す、から……っ」
ついに、その言葉が零れ落ちた。 擦り切れた声帯から絞り出された、ひどく弱々しい、だが取り返しのつかない裏切りの響き。
「ええ、よく言えたわね。それで、あなたはどうしてほしいの?」
「私……たちを……。もう、苛めないで……助け、て……っ」
マーズは泣きじゃくりながら、すがりつくようにセレセレの腕の中へと顔を埋めた。 その瞬間、極限まで張り詰めていた四人の心のダムが完全に決壊した。
最も気高く、誰よりも忠誠心が強かったマーズが折れたのだ。その事実は、残された三人の戦士たちから、最後の一欠片の抵抗する気力すらも根こそぎ奪い去った。
「うぅ……あ、ああ……っ。私も……もう、嫌……っ」
マーキュリーが、パラパラの手のひらに頬をすり寄せながら、幼児のようにしゃくり上げる。
「ムーンを……あげるから……。だから、私を……許して……もう、何もしないで……っ」
「いいよー。マーキュリー、えらいえらい!」
パラパラが無邪気に笑い、マーキュリーの青い髪を撫で回す。その単調なリズムに身を委ね、天才と謳われた戦士は、己の知性も誇りもすべて投げ捨ててだらしなく身をよじった。
「ジュピターも、もう終わりにしていいよね?」
ジュンジュンの問いかけに、這いつくばっていたジュピターが、力なく首を縦に振る。泥だらけの大きな体が、まるで迷子になった子供のように小さく丸まっていた。
「……うん……。もう、戦えない……っ。ムーンの命で……私たちを、助けて……っ」
そして最後の一人。 ベスベスの両手に顔を包み込まれたヴィーナスが、喉の奥から獣のような悲痛な嗚咽を漏らしていた。 プリンセスを守護する四戦士のリーダー。その重責が、ヴィーナスを最後まで縛り付けていた。だが、仲間たちが次々と屈服の言葉を口にし、優しくあやされている姿を見て、彼女の精神もまた限界を迎えていた。
「さあ、ヴィーナス。あんたも楽になりなよ。リーダーだからって、一人だけ痛い思いを引き受ける必要なんてないんだからさ」
「……あ……うぁ……っ」
「ほら、言ってごらん。お姫様をアタシたちに売って、自分だけ助けてって」
ベスベスの親しげな声に促され、ヴィーナスは焦点の合わない目を宙に泳がせた。 脳裏に浮かぶのは、これまで共に戦ってきた日々。だが、それよりも今、全身を苛む疲労と、痛みを快楽に書き換えられる屈辱から解放されたいという本能が、完全に理性を凌駕していた。
「……ムーン……ごめんなさい……っ」
ヴィーナスはボロボロと涙をこぼしながら、その言葉を紡ぎ出した。
「ムーンを……あなたたちに、渡すから……っ。だから……私たちを、この……地獄から……解放して……っ!」
言い終えた瞬間、ヴィーナスは泥のような床に突っ伏し、激しく泣き崩れた。 終わった。 四人のセーラー戦士たちは、自らの命よりも重いと誓っていたはずの忠誠心を、自らの口で泥の中に投げ捨てたのだ。 極彩色のテントが、一瞬の静寂に包まれる。
「…………ぷっ」
ジュンジュンが、噴き出すように口元を押さえた。 次の瞬間。
「あーっははははははははっ!!」
「最高! もう最高!! 傑作すぎるわあんたたち!!」
先ほどまでの優しい母親のような態度はどこへやら。アマゾネス・カルテットの四人は、腹を抱え、涙を流し、トランポリンのような床を転げ回って狂ったように大爆笑し始めた。
「聞いた!? 今聞いた!? 正義の味方が、泣き喚きながらお姫様を売り飛ばしたわよ!」
「『ムーンを渡すから助けてー!』だって! あははは! どんだけ自分の身が可愛いのよ!」
「あーお腹痛い! こんなに笑ったの久しぶり!」
セレセレが扇子で顔を仰ぎながら笑い崩れ、パラパラがまりと一緒に跳ね回り、ベスベスが鞭をバンバンと床に叩きつけて爆笑する。 優しいあやしは、この言葉を引き出すためのただの罠。
「あ……ああ……っ」
ヴィーナスたち四人は、嘲笑の嵐の中でただ身を震わせることしかできなかった。 裏切ってしまった。仲間を売り飛ばしてしまった。その事実だけが、空っぽになった彼女たちの心に、決して消えない真っ黒な烙印として焼き付いている。もはや立ち上がることも、怒ることもできず、ただ惨めに泣き続けるただの抜け殻だった。
「ヴィーナス……! マーズ! ジュピター! マーキュリー!」
鳥籠の中で、ムーンが焦げた両手を格子に押し当てて泣き叫ぶ。 裏切られた怒りではない。大切な仲間たちを、心を壊すまで追い詰め、最も残酷な言葉を吐かせたカルテットへの果てしない憎悪と、救えなかった己への無力感で、彼女の心もまた真っ二つに引き裂かれていた。
自らの口で決定的な裏切りの言葉を紡ぎ、泥のような床で泣き崩れる四人のセーラー戦士たち。その惨めな姿をたっぷりと堪能したアマゾネス・カルテットの面々は、次なる極上の遊戯へ向けて互いに視線を交わした。
「あーあ、すっごく笑った。でもさ」
ジュンジュンが目尻の涙を拭いながら、トランポリン状の床を軽く蹴って立ち上がった。
「口で言うだけなら、誰だってできるよね?」
「うんうん! 言葉だけじゃ、本当にお姫様をパラパラたちにくれるのか分かんないもん!」
パラパラが無邪気に手を叩くと、頭上の空間でカラカラと奇妙な歯車が回る音が響いた。 ヴィーナスが、涙でぼやけた視界をわずかに上げる。 するるるっ、と。上空から一本の太い紐が降りてきた。 それはサーカスのくす玉を割る時に使うような、紅白の縞模様に彩られたロープだった。
先端にはふさふさとした飾りがついており、這いつくばる四人の戦士たちのちょうど中心、手が届く位置でゆらゆらと揺れている。
「……これ、は……」
マーキュリーが虚ろな目で、その紐の先を見上げた。 ロープは一直線に上空へと伸び、ムーンを閉じ込めている紫色の魔力が走る鳥籠の底面へと繋がっている。
「うふふ、なんだか分かるかしら?」
セレセレが優雅に歩み寄り、揺れる紐の先端を扇子で軽く突いた。
「その紐をね、下に向かって強く引くの。そうすると、あの鳥籠の床がパカッと開く仕掛けになっているわ」
「え……っ」
ジュピターの喉から、掠れた声が漏れた。 床が開けば、当然ながら中に囚われているムーンは、無防備な状態のままこの極彩色の舞台へと落下してくる。カルテットの足元へ、自らの手で主君を引きずり下ろすための直接的なギミック。
「あんたたち、さっき自分のお口で『ムーンを渡すから助けて』って言ったわよね?」
ベスベスが猛獣使いの鞭をくるくると回しながら、底意地の悪い笑みを浮かべて四人を見下ろした。
「言葉で認めたんだから、次はちゃんと行動に移せるわよね?」
「……っ!」
マーズがハッと息を呑み、泥だらけの体をビクッと震わせた。 言葉による屈服は、痛みを快楽にすり替えられる狂った肉体から逃れるための、限界を超えた本能の逃避だった。
だが、目の前に垂れ下がったこの紐を引く行為は違う。それは己の明確な意志と肉体を連動させ、自らの手でプリンセスを地獄へ突き落とすという、取り返しのつかない『物理的な裏切り』だ。
「さあ、誰が引く? みんなで一緒に引いてもいいわよ」
「早く早く! パラパラ、お姫様が落ちてくるのすっごく見たい!」
ジュンジュンとパラパラが、急かすように戦士たちの周囲を跳ね回る。 紐は、四人のすぐ目の前で誘うように揺れている。手を伸ばせば届く。引けば、あの狂わされるような快楽と暴力の拷問から解放される(と、彼女たちは信じ込まされている)。 だが、四人の腕は泥のような床に縫い付けられたように動かなかった。
「……ひけない……っ。そんなこと……できないわ……っ!」
ヴィーナスが首を激しく横に振り、後ずさるように体を縮こまらせた。
「あら、どうして? さっきまで『もう嫌だ、ムーンをあげるから助けて』って泣き喚いてたじゃない」
セレセレが冷ややかに見下ろし、扇子でヴィーナスの頬をピシャリと打った。 軽い衝撃にもかかわらず、呪縛の残滓がヴィーナスの体を跳ねさせ、甘い吐息を漏れ出させる。
「あ、あっ……」
「体がまだこんなに敏感なのに、今さらお姫様を守るなんて言えないでしょ? 紐を引けば、もう痛いのも気持ちいいのも終わりにしてあげる。でも引かないなら……」
ベスベスが鞭を床に叩きつける。 パァンッ! という破裂音と共に、極彩色の床が大きく波打ち、四人の体が無様に宙へ跳ね上げられた。
「さっきの言葉は嘘だったってことで、お仕置き再開だけど?」
「きゃあっ!」
「あぁっ……いやぁっ!」
床に叩きつけられた衝撃で再び快楽の波が押し寄せ、戦士たちはだらしなく身をよじらせる。 引かなければ、あの終わりのない喜劇と凌辱が永遠に続く。 引けば、己の手でプリンセスを売り飛ばすことになる。 肉体の限界と、心に残った最後の一線の間で、四人は再び八方塞がりの絶望に叩き落とされた。
「やめてぇっ! みんな、その紐を引いちゃ駄目ぇっ!!」
頭上の鳥籠から、ムーンの悲痛な叫び声が降ってくる。
「私ならどうなってもいい! でも、みんなの手を……みんなの心を、これ以上汚さないでっ!」
「あーあ。お姫様がまたうるさいこと言ってる。ねえ、早くお姫様を落として、あのお口を黙らせちゃいなよ」
ジュンジュンがニヤニヤと笑いながら、這いつくばるジュピターの背中を踵で軽く踏みつけた。
「ほら、手を出して。引くだけだよ。すっごく簡単なお仕事でしょ?」
極彩色の空間で、紅白の縞模様の紐がゆらゆらと揺れている。 手を伸ばせば、すぐに届く距離。だが、それは四人のセーラー戦士たちにとって、地獄の釜の蓋を開けるに等しい、重くおぞましい一本の綱だった。
「ほら、どうしたの? 早く引きなよ」
ジュンジュンがトランポリン状の床を軽くバウンドしながら、急かすように声をあげる。
「あんたたち、もうお姫様をパラパラたちにくれるって約束したでしょ? だったら、さっさと行動で示してよ」
「それとも、やっぱりさっきのは嘘で、もっとアタシたちのおもちゃになりたいってことかしら?」
セレセレの冷ややかな声に合わせて、ベスベスが猛獣使いの鞭を軽く床に打ち付けた。 ピシャッという音が響いただけで、四人の戦士たちの体はビクンと大きく跳ね上がった。条件反射のように背筋に走る快楽の痺れ。痛みを歓喜に変換してしまう狂った肉体は、もはや彼女たち自身の理性を完全に置き去りにしていた。
「あ、ぁあっ……」
「やめ……いや……っ!」
マーズが頭を抱え、ジュピターが泥だらけの床を掻き毟る。 これ以上、この醜悪な快楽に身を委ねたくない。正義の味方としての尊厳を泥水で洗うような拷問から、一秒でも早く抜け出したい。その本能的な欲求が、絶対に引いてはならない紐へと、彼女たちの視線を強引に釘付けにする。
「大丈夫だよ、怖くない怖くない。引いたら、もう誰もあんたたちを苛めないからね」
パラパラが、マーキュリーの背中に張り付きながら、耳元で甘く囁く。 悪魔の囁きは、極限まで摩耗した精神に、致死量の麻酔のように浸透していった。 マーキュリーの焦点の合わない青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。彼女は震える右腕を、ゆっくりと、まるで何かに操られているかのように持ち上げた。
「マーキュリー……っ! 駄目ぇっ!」
頭上の鳥籠から、ムーンの悲鳴が降ってくる。 だが、その声すらも、今の彼女たちには「自分たちを現実に引き戻し、再びあの無限の拷問へと引き摺り込む呪い」にしか聞こえなくなっていた。 擦り切れた手袋が、揺れる紐に触れる。 ザラリとしたロープの感触が、マーキュリーの掌に確かな現実味を伝えた。
「……あ……うぁ……っ」
マーキュリーが紐を握りしめたのを見て、ヴィーナスもまた、泥だらけの腕を伸ばした。 リーダーとしての最後の防波堤は、すでに先ほどの屈服の言葉と共に決壊している。ヴィーナスは呜咽を漏らしながら、マーキュリーの手に重ねるようにして紐を握った。 それに続くように、マーズが、ジュピターが、次々と手を伸ばす。 四人の戦士たちの手が、一本の紐の上で重なり合った。かつて、互いの絆を確かめ合い、共にプリンセスを守り抜くと誓い合ったその手で、今、彼女たちはプリンセスを地獄へと突き落とすための紐を握りしめているのだ。
「うふふ。そう、いい子たちね。それじゃあ……せーの、で引くわよ?」
セレセレが優雅に扇子を振り上げ、死刑執行の合図を告げる。
「せーのっ!」
「……っ!!」
カルテットの無邪気な掛け声と共に。 四人の戦士たちは、ぎゅっと目を閉じ、重なり合った手を下に向かって強く引き下ろした。
ガコンッ!!
頭上で、重厚な金属の留め具が外れる鈍い音が響き渡った。 その瞬間、ムーンを閉じ込めていた鳥籠の底面が、中央から真っ二つに割れるようにパカッと開いた。
「きゃあああああっ!!」
足場を失ったムーンの体が、無防備な悲鳴と共に、極彩色のテントの空中へと投げ出される。 紫色の魔力の檻から解放されたとはいえ、空中で姿勢を立て直す間もない完全な自由落下。彼女の体は、紐を引いた四人の戦士たちのすぐ目の前、トランポリン状の床へと一直線に落ちてきた。
ドスゥンッ!
波打つ床が、ムーンの落下の衝撃を吸収して大きくバウンドする。 その反動で、泥だらけになって這いつくばっていた四人の戦士たちの体も軽く宙に浮き、情けない声を上げながら再び床へと転がった。
「あーっははははははっ!! 落ちた! 本当にお姫様が落ちてきたーっ!!」
「最高! 自分の家来たちに捨てられて真っ逆さまなんて、これ以上ない傑作だね!」
ジュンジュンとパラパラが、涙を流して腹を抱え、狂ったように笑い転げる。 自らの行動で主君を落とした四人の戦士たちは、すぐ傍らに墜落したムーンの姿を目の当たりにし、もはや声を発することすらできず、ただガタガタと全身を痙攣させていた。
「う……あ……みんな……」
床に打ち付けられた衝撃に顔をしかめながら、ムーンがゆっくりと上体を起こす。 彼女の目に入ってきたのは、己の手で紐を引き、絶望と罪悪感の底でただ震え続ける、あまりにも惨めな仲間たちの姿だった。
ドスゥン、と。極彩色のトランポリン状の床が、落下してきたムーンの重みで大きく波打った。 紫色の魔力の檻から投げ出された衝撃に顔をしかめながら、ムーンは這うようにして身を起こす。だが、体に受けた痛みなど、彼女の心には微塵も届いていなかった。
「みんな……っ」
震える声で呼びかけ、手を伸ばす。 しかし、すぐ目の前に転がっている四人の戦士たちは、その声にビクッと肩を跳ねさせると、這いつくばったまま泥だらけの両手で顔を覆い隠してしまった。
「見ないで……っ、お願い、私を……」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ムーン……っ」
ヴィーナスが、マーズが、狂乱したように首を振り、嗚咽を漏らす。 己の手で紐を引き、命よりも重いと誓ったプリンセスを敵の足元へと突き落とした。その事実が、四人の心を粉々に砕き、取り返しのつかない罪悪感となって彼女たちを永遠の絶望へと縛り付けていた。もう、主君の顔をまともに見ることすらできない。
「あーっははははは! ひぃっ、あははははっ!」
その痛ましい光景を前に、アマゾネス・カルテットの面々は完全にツボに入ってしまっていた。 ジュンジュンがトランポリンの床を転げ回りながら、両手で自分のお腹を強く押さえている。
「ちょ、もう駄目! お腹……お腹よじれるぅーっ!」
「あはははっ! パラパラも! ほっぺた痛いよぉ、笑いすぎて息ができないーっ!」
パラパラがまりの上から転げ落ち、ジュンジュンと一緒に手足をバタバタと動かして笑い狂う。 自らの主君を売り飛ばした戦士たちが、今度はその主君に顔向けできずに泥の中で泣き喚いている。極限まで追い詰めた末に引き出したこの『最高のオチ』は、悪魔のような少女たちの期待をはるかに超える面白さだった。
「ひふっ、あはは! 本当、これ以上の傑作はないわね! アタシ、こんなに笑ったのいつ以来かしら!」
ベスベスが目尻に浮かんだ涙を指で拭い、猛獣使いの鞭をくるくると巻き取りながら息を整えようとする。だが、泣きじゃくるジュピターとマーキュリーの背中を見るたびに、再び吹き出してしまう。
「ふふっ……ええ、本当に。これ以上色々と面白いことが起きたら、アタシたち、笑いすぎて本当に死んじゃうかもしれないわ」
セレセレが優雅に扇子で口元を隠しているが、その肩はくすくすと小刻みに震え続けている。 彼女はゆっくりと扇子を閉じ、泥にまみれた敗者たちを見下ろした。
「悲劇のヒロインを気取っていた正義の味方さんたちが、自分たちでお姫様を突き落としてピーピー泣いてる。完璧なフィナーレじゃない」
「うんうん! もうお腹いっぱい!」
「これ以上やっても、この最高のオチを超えられないもんね」
ジュンジュンがようやく起き上がり、大きく伸びをしてからニヤリと笑った。
「ということで、アタシたちのショーはこれでおしまい! もうこれ以上色々とやらかしてくれなくていいからね。笑いすぎて死にたくないし、そろそろ終わりでいいよね!」
悪魔たちは、もはや四人の戦士たちに何の興味も示さなかった。 物理的に命を奪うことなど、彼女たちにとっては意味がない。戦士としての誇りを砕き、絆を泥にまみれさせ、心の中の最も大切なものを自らの手でぶち壊させた。精神の完全な破壊と屈服という、最大の目的を達したからだ。
「やめて……待ってよ……っ!」
ムーンが、立ち去ろうとするカルテットに向かって叫ぶ。
「みんなの心をこんなにしておいて……このまま終わらせるなんて、絶対に許さないっ!」
「あら。お姫様、まだ元気なの?」
セレセレが冷ややかに振り返り、憐れむような視線を向けた。
「許さないって言うけど、あなたを落としたのはアタシたちじゃないわよ? そこの、あなたの大切な家来たちじゃない。恨むなら、自分が助かりたいからってあなたを裏切った、その子たちを恨みなさいな」
「……っ!」
ムーンが息を呑み、言葉を詰まらせる。 彼女の視線の先では、ヴィーナスたちが「違うの」
「ごめんなさい」とうわ言のように繰り返しながら、極彩色の床にすがりついて泣き続けていた。 もはや戦士として立ち上がる力も、敵に向かっていく意志も、彼女たちには一欠片も残されていない。
「それじゃあね、泥だらけの道化さんたち。せいぜいそこで、自分たちの裏切りを悔やみながら、一生メソメソ泣いて生きていきなさいな!」
ジュンジュンの楽しげな声を最後に、四人の少女たちの姿が、極彩色のテントごとフッと蜃気楼のように揺らぐ。 満足しきった悪魔たちは、笑い声を残して暗闇の中へと溶けていった。 後に残されたのは、暗く冷たい現実の路地裏のコンクリートと、完全に心を引き裂かれたセーラー戦士たち、そして絶望の中で立ち尽くす一人のプリンセスだけだった。
ムーンは、冷え切った路地裏のコンクリートの上で、ゆっくりと身を起こした。
先ほどまで囚われていた紫色の鳥籠の残骸すら、どこにも見当たらない。遠くを走る車のエンジン音や、深夜の街の無機質な喧騒だけが、静かに鼓膜を揺らしている。 すぐそばの地面には、ヴィーナスたち四人の戦士が、泥にまみれた姿で折り重なるように倒れ伏していた。
「……消えた……?」
マーズが、震える指先で自分の頬に触れながら、信じられないというように周囲を見回した。 熱を持っていたはずの体温は急速に冷え、神経を直接焼くような痛みも、狂わされるような快楽も、今はまったく感じられない。残っているのは、コンクリートの地面に打ち付けられた鈍い打撲の痛みと、全身を覆う泥や汗の不快感だけだった。
「空間の歪み……敵の魔力反応、完全にロストしたわ……」
マーキュリーが、虚ろな目で小型コンピューターのバイザーを下ろし、掠れた声で報告する。 だが、その声には安堵の色は一ミリも含まれていなかった。 いきなり放り出された現実。
あんなに執拗に彼女たちの肉体と精神を嬲り、心を粉々に砕くまで追い詰めた悪魔たちが、ただ「笑い疲れて満足したから」という理由だけで、本当にすべてを放り出して帰ってしまったというのか。
「嘘……でしょ……」
ジュピターが、自分の両手を見つめたまま唖然と呟いた。
「私たち……本当に、あれで……終わったの……?」
「分からない……っ。でも、あの子たちはもう、どこにも……」
ヴィーナスが、力なく首を横に振る。 助かった。生き延びた。本来ならば泣いて喜ぶべき生還であるはずだった。しかし、四人の表情に浮かんでいるのは、ひたすらな困惑と、現実感の喪失だけだった。 事態があまりにも急転直下すぎたのだ。
つい数分前まで、彼女たちは快楽に溺れ、涙と泥にまみれながら、自らの命よりも大切だったはずのプリンセスを売り飛ばす言葉を叫んでいた。頭上の紐を自らの手で引き下ろし、主君を敵の足元へと突き落とした。
その感触は、確かに手のひらに焼き付いている。その絶望的な罪悪感は、間違いなく心臓を黒く塗り潰している。
なのに、罰を下すはずの敵はもういない。 引き返せない裏切りを強要しておきながら、その結果には一切興味を示さず、劇場の幕を下ろすように一方的に姿を消した。
「そんな……それじゃあ、私たちは……」
マーズの唇が微かに震える。 もしこれが、敵を倒しての生還であれば、傷ついた体を労り合うこともできただろう。しかし、今の彼女たちに残されているのは、ただ「自分たちが裏切った」という冷酷な事実の残骸だけだった。 あまりの虚無感に、これが現実なのか、それともまだあのサーカステントの中で見せられている新たな悪夢なのか、誰にも判断がつかない。
「みんな……大丈夫……?」
静寂を破るように、ムーンが弱々しい声で四人に歩み寄ろうとした。その瞬間だった。
「……っ!! 来ないでぇっ!!」
ヴィーナスが弾かれたように体をビクッと震わせ、悲鳴のような声を上げて激しく後ずさった。 泥だらけのコンクリートを擦りながら這って逃げるヴィーナスの姿に、ムーンはハッとして足を止める。
ヴィーナスだけではない。マーズも、ジュピターも、マーキュリーも、ムーンと視線が合うことをひどく怯えるように、泥に汚れた顔を背けてしまった。
「ヴィーナス……マーズ……?」
「見ないで……お願いだから、私たちを見ないで……っ」
マーズが両手で顔を覆い、再びポロポロと涙をこぼし始める。 敵が消え、魔法が解け、半信半疑のまま現実に引き戻されたことで、彼女たちはついに理解してしまったのだ。 たとえそれが限界を超えた拷問の末であったとしても、自分たちは確かにプリンセスを見捨てた。
その取り返しのつかない罪が、敵の消滅によってただ無造作に放置されてしまったということを。 冷たい路地裏の静寂が、四人の戦士たちの心に、消えることのない絶望の爪痕をより一層深く刻み込んでいた。
深夜の公園に、ムーンのブーツがコンクリートを叩く、微かな足音が響いた。 一歩、また一歩。泥だらけになって震える四人の戦士たちへ向かって、彼女はゆっくりと距離を詰めていく。
紫色の檻を握りしめ続けて黒く焦げた両手は、力なく体の脇に下ろされていたが、その瞳には逃げ場のない真直ぐな光が宿っていた。
「来ないで……っ! お願いだから、それ以上近づかないで!」
ヴィーナスが、すりむけた肘を地面に擦りつけながら必死に後ずさる。 マーズも、ジュピターも、マーキュリーも、恐怖に怯えるように身を縮こまらせた。彼女たちが恐れているのは、カルテットの再来ではない。目の前に立つ、絶対的な主君の『眼差し』だった。
「私たちは……あなたを、売ったのよ……っ」
マーズが、泥に塗れた両手で顔を覆ったまま、血を吐くような声で叫んだ。
「自分たちが助かりたいから……痛いのが、嫌だったから……っ。あの紐を引いて、あなたを敵の足元に落としたの! もう、あなたの家来でいる資格なんてないっ。だから……」
「そうよ……いっそ、私たちを軽蔑して……っ。怒って、罵倒してよ……!」
ジュピターが、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、すがりつくように叫んだ。 怒ってほしかった。見損なったと、裏切り者だと、その手で平手打ちをしてほしかった。
罰を与えられることでしか、彼女たちは自分たちの犯した大罪を精算する道を見出せなかった。 だが。 ムーンの足取りは止まらなかった。彼女の顔には、微塵の怒りも、落胆も、軽蔑も浮かんでいなかった。ただ、深い悲しみと、底なしの慈愛だけが満ちている。
「……ムーン……?」
「痛かったよね。苦しかったよね」
ムーンは、ヴィーナスの目の前で静かに膝をついた。 コンクリートの冷たさも、自身の体に残る落下のダメージも意に介さず、泥だらけのヴィーナスの両肩に、火傷で黒く焦げた手をそっと添える。
「違うの……! 私たちは……っ」
「謝らないで。みんなは、ちっとも悪くない。あんな酷い魔法をかけられて、心をバラバラにされて……それでも、最後まで私を守ろうと必死に耐えてくれたじゃない」
ムーンの声は、どこまでも優しく、温かかった。 その慈悲深さが、四人の戦士たちの心をこれ以上ないほど残酷に抉り抜いた。
見捨ててなどいないと、最初からすべて理解していると、その愛は語りかけてくる。だが、だからこそ痛いのだ。どれほど敵の卑劣な罠だったとしても、限界を超えた拷問だったとしても、最後に引き金を引いたのは自分自身の弱さだ。その汚濁にまみれた心を、一切の咎めもなく純白の愛で包み込まれることは、どんな暴力よりも鋭く彼女たちの罪悪感を浮き彫りにした。
「やめて……っ、許さないで! 優しい言葉をかけないでぇっ!」
ヴィーナスが狂乱したように身をよじり、ムーンの腕から逃れようとする。マーズもマーキュリーも、耳を塞いで首を激しく横に振った。 許されてしまえば、自分たちの罪の重さに耐えきれない。
「逃がさないよ」
ムーンは、逃げようとするヴィーナスを強引に引き寄せ、その華奢な腕で力強く抱きしめた。 泥の汚れも、汗の匂いも構わない。ただ、その壊れかけた魂を繋ぎ止めるように、力いっぱい胸に抱きとめる。
「離して……っ! 私なんかに触れちゃ駄目……!」
「みんながどれだけ自分を責めても、私は絶対に手放さない。みんなが紐を引いたことも、私を売るって言ったことも、ぜんぶ私が背負うから。だから……もう、自分を傷つけるのはやめて……っ」
ムーンの大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、ヴィーナスの泥だらけの金髪を濡らした。
「ごめんね……。私がもっと強ければ、みんなにこんな痛い思いをさせなかったのに。……生きて、私のもとに帰ってきてくれて、ありがとう……っ」
その言葉が、四人の戦士たちの最後の抵抗を打ち砕いた。
論理でも、誇りでもない。圧倒的な愛の質量が、彼女たちの罪悪感ごと、その存在を半ば強引に肯定してしまったのだ。 どんなに醜い姿を晒しても、どんなに許されざる裏切りを働いても、この主君は決して自分たちを見捨てない。その絶対的な事実を叩きつけられ、四人の張り詰めていた糸が、今度こそ完全に溶け落ちた。
「ああ……あぁぁぁ……っ、ムーン……っ!!」
ヴィーナスが、ムーンの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣き崩れた。
マーズも、ジュピターも、マーキュリーも、這うようにしてムーンのそばへと擦り寄り、その背中や腕にすがりついて激しく嗚咽を漏らす。
心に刻まれた裏切りの傷は、一生消えることはないだろう。敵に与えられた快楽の恐怖も、いつまでも彼女たちの夜を苛むかもしれない。
冷たいコンクリートの上に、静かな嗚咽だけが響き続けていた。 ムーンの胸にすがりつき、顔を埋めるヴィーナス。その背中にしがみつくようにして、マーズとジュピターが肩を震わせ、マーキュリーが崩れ落ちたまま彼女たちの手をきつく握りしめている。 底知れぬ悪意によって引き裂かれ、泥にまみれ、最後には自らの手で主君を突き落とすという最大の罪を犯した四人。
その心に刻まれたどす黒い絶望を、ムーンの底なしの慈愛が、少しずつ、だが確実に溶かしていく。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
ヴィーナスの掠れた声が、夜気に吸い込まれる。 謝罪の言葉を繰り返すことしかできない彼女の背中を、ムーンは焦げた手で何度も、何度も優しく撫でた。
「もういいの。もう、戦わなくていいんだよ」
その温かい響きに、マーズがたまらず声を上げて泣きじゃくった。
気高くあらねばならないという重圧。どんな敵にも屈してはならないという戦士としての誇り。それらが悪夢のサーカスで粉々に砕かれ、ただの足かせとなって彼女たちを苦しめていた。 しかし、プリンセスの腕の中にある今、その重すぎる鎧を無理に纏い続ける必要はなかった。
ふわり、と。 ヴィーナスの体を包んでいたオレンジ色の光が、微かに明滅を始めた。
極限まで張り詰めていた精神の糸が完全に解け、それに同調するように、彼女の肉体を守っていた戦士のエナジーが限界を迎えたのだ。
光の粒子が泥だらけのスーツからふわりと浮かび上がり、夜の闇の中へ溶けていく。 それに呼応するかのように、マーズの赤いスーツから、ジュピターの緑のスーツから、マーキュリーの青いスーツからも、淡い光が溢れ出した。
「あ……」
マーキュリーが涙に濡れた瞳を瞬かせる。 戦うための力であり、彼女たちを縛り付けていた使命の象徴でもあるセーラー服が、光となって解けていく。 泥と汗にまみれたスーツが消え去り、そこには、ボロボロになった私服姿の、等身大の少女たちの姿があった。 超人的な戦士ではなく、ただの傷つきやすい、普通の少女たち。
四人の変身が解けたのを見届けると、ムーンもまた、静かに目を閉じた。 彼女を包んでいた純白と青のスーツが、眩い銀色の光へと変わり、空へと舞い上がっていく。 光が収まった後、そこにいたのは、戦士としての威厳も、プリンセスとしての重圧もすべて手放した、一人の少女だった。
「みんな……っ」
制服姿に戻った彼女は、再び四人の仲間たちをその細い腕で力いっぱい抱きしめた。 魔法の力などなくても、その腕の温もりは確かに彼女たちの魂を繋ぎ止めている。
素顔に戻った四人もまた、もはや言葉を紡ぐこともできず、ただ互いの存在を確かめ合うように、強く、強く抱き返した。
罪悪感も、恐怖も、絶望も、一朝一夕に消えるものではない。 あの狂わされるような快楽の記憶も、自らの手で紐を引いた感触も、一生彼女たちの胸の奥で棘のように疼き続けるだろう。 それでも、彼女たちは一人ではなかった。 泥に塗れ、誇りを砕かれ、すべてを失ったとしても、共に涙を流し、痛みを分かち合える仲間がここにいる。
白み始めた空から、薄青い夜明けの光が差し込み始めていた。 戦いの鎧であったセーラー服を脱ぎ捨て、ただの少女の姿へと戻った五人は、コンクリートの地面に座り込んだまま、一つの塊のように身を寄せ合っていた。
「うさぎ……っ、うさぎちゃん……っ」
美奈子が、うさぎの胸元に顔を押し当て、枯れ果てたはずの涙を再び流しながらその名前を呼ぶ。レイも、まことも、亜美も、すがりつくようにうさぎの服の裾や腕をきつく握りしめていた。 すべてが終わった。
彼女たちを弄んだ悪魔は去り、こうして本来の姿で、守るべき大切な人の温もりに包まれている。 だが、あのおぞましいサーカステントで刻み込まれた傷痕は、決して消え去ってはいなかった。
「大丈夫だよ……。もう、誰もみんなを傷つけたりしないから」
うさぎは優しく囁きながら、四人を安心させるように、その細い腕でぎゅっと力を込めて抱きしめ直した。 擦りむけた美奈子の背中に、うさぎの手がそっと触れる。
「……っ!?」
その瞬間、美奈子の体が弾かれたようにビクッと大きく跳ねた。 うさぎの優しい手のひらの感触が、鞭で打たれ、まりで打ち据えられた時の感覚とフラッシュバックする。恐怖で縮み上がったはずの体が、あの狂った魔法の残滓によって、触れられたことを『ご褒美』だと錯覚し、背筋に強烈な痺れを走らせたのだ。
「あ、ぁ……っ」
美奈子の口から、泣き声とは違う、熱を帯びた甘い吐息が漏れる。 彼女はハッとして自分の口を塞ぎ、信じられないものを見るように見開いた瞳から、再び絶望の涙をこぼした。敵が消え、魔法が解け、変身すら解いたというのに、肉体に刻み込まれた屈辱的な条件反射は、彼女の体を支配し続けていた。
「美奈子ちゃん……?」
うさぎが戸惑ったように声をかける。その声に反応して、うさぎの腕の中にいた他の三人にも異変が起きていた。
レイの肩をうさぎの腕が包み込むと、レイは怯えたように身を竦ませ、カクカクと不自然に小刻みな震えを漏らす。まことも、亜美も、うさぎの服越しに伝わってくる体温や、わずかな衣類の摩擦にすら過敏に反応し、そのたびに「んっ……」 「ひぐっ……」と、痛ましい娇声の片鱗をこぼしてしまっていた。
触れられるだけで、あの極彩色の地獄が蘇る。 体が勝手に快楽を思い出してしまい、自分を抱きしめてくれているうさぎに対してすら、だらしない反応を返してしまう。
そのどうしようもない己の醜さに、四人はうさぎの腕の中で、ただ小さく体を丸めることしかできなかった。
「……ごめんなさい……っ、うさぎ……体が、勝手に……っ」
レイが血の滲むような声で、うさぎの胸に額を擦りつけて謝罪する。 自分たちは壊れてしまった。心だけではなく、体までもが敵のおもちゃとして作り変えられてしまったのだ。その絶望的な事実を前に、四人は再び深い闇の底へと引きずり込まれそうになる。
だが、うさぎは彼女たちを突き放すことはしなかった。 四人の不自然な震えも、漏れ出る甘い声も、すべてがあの悪魔たちが残した残酷な呪いであることを理解し、その痛みをまるごと受け止めるように、さらに深く、静かに四人を抱きしめた。
「謝らないで。……いいよ。体が震えちゃうのも、怖いのも、全部私が抱きしめてあげるから」
うさぎの火傷で黒く焦げた手が、ゆっくりと、今度は驚かせないように細心の注意を払って、美奈子の髪を撫で、レイの背中をさする。
触れられるたびに、四人の体はビクッ、ビクッと微かに震える。狂わされた感覚が、悲しみと羞恥の中で疼き続ける。 それでも、彼女たちはうさぎの腕の中から逃げ出そうとはしなかった。
冷たいコンクリートの上で、傷ついた少女たちは身を寄せ合う。 抱きしめられるたびにビクッと体を震わせながらも、その温もりだけを唯一の道標として。 いつかこの深い傷が癒える日が来るのか、誰にも分からない。それでも、夜明けの淡い光は、寄り添い合う五人の少女たちを等しく、静かに照らし出していた。