大変! 緊急手術に立ち会う人たち
蛍光灯の光がまぶしかった。遠くから、痛みがする。
「まだか?」
「今、玄関です」
「急げ!」
「はい」
室内は騒がしい。首筋に指があてられた。冷たい。赤の光りが残像と共にくるくると回っている。ぐったりして千里は、手術台に乗っていた。
「まだか!」
「まもなく」
INETメディカルセンター特殊手術室、医師達がメガイエローを囲んでいる。彼女の精悍なマスクは外されていた。それは無惨に潰れていた。スーツに損傷はないけれど、大きく焼き焦げていた。
「到着しました!」
観音開きのドアを蹴り開けるようにして、自動小銃を背負った二人の男が、けっこうな大きさの金属ケースを運んでくる。
「セットしろ」千里からみて、右側の主任医師が隣の医師に命ずる。二人の男は即座に部屋をでて、ドアの外に占めた。
ケースが開かれると、主任医師はガス溶接に使うようなバイザーを頭にかけた。そのあいだに、医師が機械を組み立てはじめた。千里はぼんやり見つめていた。歯医者で使うようなドリル、先端が光って、眩しい。そのドリルがケースの中の機械につながっている。
「準備完了」
「よし、緊急切開を開始する」
千里はドリルの先を見る。胸の奥からあぶくがこみあげてくる。体を動こうとすると痛みがして、拘束具にとめられた。
「動かないで、すぐ楽になるから」
医師が告げた。象牙にも似た巨大なドリルが目の前に迫ってきて、火球が目の前にさくれつする。ついさっきのことだった。
『きゃあああああああああああああああ!』
勢いづいて放物線が黄色い体を遠くまで運んだ。コンクリートの壁に当たって、ピンで摘み捨てられるように、メガイエローは地面へ吐き捨てられる。
それでも千里は大丈夫だった。起きあがった。迫ってきた。黄色い黄色い悲鳴、フェイドアウト。
ドリルの作動音がする。右肩にあてられて、スパークした。痛みはもうしない。麻酔もモルヒネも打たれていないけれど、アドレナリンが千里を支えていた。
「ううっ……」
「出力あげろ。安心しなさい。大丈夫だから」
INET特殊工作班作成の合成人工ダイヤモンドドリルがメガイエローを切り抜いて、千里を取りだそうとしていた。
変身解除コマンド入力やコンディションレベルの低下で自動起動する変身解除プログラムは、それが収められたロムも、実行する超高密度特殊コンピューターチップも、ネジレ獣の一撃で破壊されていた。
前頭部のデジタルルナミスと呼ばれるデジタルカメラサーチやコンピューターアクセス機能を納められた部分の陥没は、千里の頭すぐのところまできていた。コンピューターシステムの向こうにある、極薄だが強固な頭部装甲が見えていた。それも何枚かは破けていた。
目の前の壁際に置かれているマスクは、敵対的に千里を見つめている、ように彼女は感じた。
「投薬しろ」
チクっとして冷たい感覚が起こる。右腕にわずかに開いた切り口に医師が消毒液を塗り、注射針を刺した。白身がかった意識が遠ざかっても、まだだいぶしっかりしていた。
自分の体内の透過画像が左の巨大液晶画面映っていることに気づいていた。上に設置されたサーチ機器がそれをリアルタイムで更新している。見る限り、肋骨が食い違っていた。心電図やさまざまな器械が電子音を響かせていた。深呼吸しようとした。ひどく痛かった。
医師は首筋にドリルをあてた。スーツは皮のように肌に密着してるけど、決して肌を切らなかった。手際よくだが、だいぶゆっくりと切り開かれていく。コーティング、防護、衝撃吸収、衝撃冷却、密閉、電源、電気筋力、筋力刺激、情報中枢、情報リレー、肌保護、と、ごくごく薄い厚さの素材に何重もの層が積み重なったメガスーツが切りとられていく。肌から剥がれていく過程で、千里の肌を包んでいるある種のグリスが細い細い糸を引く。それで白い肌がてらてら光を放っている。作動を停止した粉のようなナノマシンが切り口からこぼれた。
医師は機械的に仕事をこなしていく。集中力の要る作業だった。肌を傷つけても、傷痕消去処理をすれば問題はないけれど、そんなことする暇は無い。
若い張りのある肌がプリンのように波打っている。切りとり口は、胸の下側まで広がっていた。締めあげられていた胸が不意に力を失って、垂れてふくれた。
麻酔で意識レベルが低下しだして、痛みも感じていないはずだ、医師は願った。こんな若い子にこんなひどい仕打ちを与える敵、そしてこんな若い子をメガレンジャーとして地球の平和を守る最前線に放り出すメガレンジャープロジェクト班が、恨めしく思えた。
「安心して、動揺しないで」
医師はドリルをいったん離して、メガイエローのグローブを握った。細い手だった。医師は自分がすごい汗をかいていることに気づいた。
「大丈夫ですか? 先生」向かいの同僚が問いかけてきた。
「ああ」
「わたくしが代わります」
医師は同僚の目を見た。うなづく。
「お願いする」
バイザーをはずし、相手に渡す。即座に手術服姿の看護婦が汗を拭った。
「すまん」
「あっ!」
ドリルが肌に触れる。痛みはなく、焼けるような熱だけだった。ぱっと頭がくらくらした。そのまま、気づかぬ間に深い縁へ堕ちていった。
「気をつけて!」
「すいません」
赤い血が滲み出てきて、看護婦がガーゼで拭き取った。消毒液をかけ、酸素マスクのような機械を傷口にあてる。ボタンを押す。肌が吸い上げられる感覚。傷は消えた。
「オーケーです」
「やっぱり私がやろう。それにそっちはもう大丈夫だ」
同僚からバイザーを、続いてドリルを医師は受け取った。それを彼がつけている間、右隣の医師がM字型のベルトのバックルの下側に手をいれた。カチっと音がする。開いて、中に小型テンキーと液晶があった。停止していた。下側のストッパーを押し込んで、開くとベルトの留め金があった。左手の指を留め金の下側に潜り込ませて、右手で留め金のロックを外そうとした。次に金属音がして、締めあげられていた腹が力を失う。華奢だった。看護婦が背に手を滑りこませ、二人でベルトを抜き始めた。
「次はこっちをやる」
医師はドリルを外して、新しい刃にかえた。左胸の下側、スーツの五色のマークがある白い部分に刃をあてる。
太陽の光りが一筋走って、千里の目の前は白濁していた。だいぶ気持ち良くなっていた。音だけが妙にはっきりしている。電子音、金属が接触しあう音、コンピューター作動音、医師の呟き。なんて言ってるかはわからなかった。
医師は笑った。変な気持ちだった。なぜ笑っているのかわからなかった。マスクとバイザーに阻まれて、その忍び笑いはまわりには知れなかった。
「ピンを」
十字の切り口が開くと、医師は一番細いドリルの刃に変えて、黒と緑と茶のグリスの光る裏側に穴をあけた。向かいの医師が穴にピンをいれて、手術台に刺して、反対側の先端にストッパーをはめた。それを三回繰り返す。千里の胸と腹がはだけた。
看護婦がドライガーゼでグリスを拭き取り、消毒液を染み込ませたガーゼで肌を拭った。そのあいだに医師がドリルをおいて、バイザーを外すと、左隣の同僚に渡して、処理を任せた。
「大丈夫ですか? 先生」
「ああ、聴診器をあててみてくれ」
同僚医師は聴診器を耳にかけると、それを千里の胸にあてた。いつになっても医者は実際に心臓音をきいてみないことには、機械を信じようとしない。
「正常です」
続いて同僚医師は胸に手をあてた。一、二、三回、紫帯びたあたりで細かく数度探った。バーコード読み取り器のような機械をあてる。千里は反応しない。安静な顔をして、目を閉じている。
その顔はそこにいるスタッフの胸を突いた。あまりにかわいそう、というのは、あくまで傍観者的考え方のようで、医師はむなしくなった。彼女はわずか十八歳で、異次元のミュータント軍団と派手な戦闘服で戦っているのだった。それに比べたら、一介の医者でしかない彼は、あまりに安全な位置にいて、ほとんど危険はなく……。
「情報ビュー通り、第三にヒビが、第七が複雑骨折です。胃にちょっとした傷があるようなので、修復する必要があります」
「よし。胃に再生バクテリアを注入、骨折は通常通り固定して、快復促進剤をいれよう。副作用が多少心配だが……」
回りを見回して、同意を求めた。
「問題なしですね」
「オーケーです」
「じゃあお願いする」
看護婦に目を向ける。彼女はうなづく。後ろに走りさり、手術器具台の下の引き出しをあけて、青く色づいた透明の液体のパッケージを取り出して、点滴台にかけた。コードを1本引っ張ってきて、今刺さっている針を抜くと、新しい針を刺して、パッケージをあけるとコードとつなげて、弁を調整した。
「混合剤問題なしです」
「ありがとう」
そのあいだに同僚医師が用意していた大きめの注射器を医師は受け取った。
彼は紫の斑点の場所とそのちょっと上、二箇所にその中の液を注入した・・・・・・。
千里は夢を見た。学生服で、クラスと女友達と数個の紙バックを傍らにおいて、コーヒーショップのテラスで話している。
「でっさー、あの二人ができてたんだよー」
「本当?」カフェラテに口をつけて、千里は相手を見た。マドラーでミルクティーをかき混ぜている。
「うん、私みたんだから、バイト帰りに駅で」
「ふうん、あの二人がね・・・・・・」
「ところで、あんたはどうなのよ?」
「わたし?」
「死線をくぐり抜ける仲間とは、さぞかし深い友情が芽生えるんでしょ?」
千里は相手の顔を見る。急に言葉が堅くなって、意味深な口調だ。
「な、なんのことよ?」
「とぼけても駄目よ」ラテのカップをおく。相手をにらむ。その顔から表情が無くなる。千里はドキッとした。その顔が悪魔にかわる。「なあ、メガイエローさんよ?」
悪魔の手でテーブルが左へ吹き飛ぶ。千里は間髪入れずに、右足でその頭に蹴りかかった。その足が相手のまだ友達な姿した体に食い込んで、そこを支点にして飛び上がる。
「インストール!」体中の神経がけばだって、制服が吹き飛んで、メガスーツが転送されてくる。
「きゃっ!」頭が悪魔に捕まれる。まだ変身してる途中なのに! プロセスが途中で強制終了されてしまう。こんなこと今まで無かった!
「うわぁぁ」
目の前で青い光りがスパークする。投げ飛ばされて、テーブル群の中へ飛び込む。騒々しかった店内に人はいなくなっていた。
「うっ!」
頭にソファーの縁の堅いところにあたって、千里は喘ぐ。ふらふらしながら立ち上がった。悪魔は向かってくる。機敏さが違う! 悲鳴した。
「ああぁ!」
どこからともなく鞭がとんで、スーツを切りさく。その姿は信じられなかった。体が一瞬凍り付く間に、鞭が重なりしなって、悲鳴が重なった。激痛、痛い、痛い、痛い・・・・・・。
「いいいいいいいいっ!」
「抑えろ!」
医師は声をあげた。千里の体が暴れだしたのだった。両腕と右足のスーツを切り開いて、左足にかかっていた医師はあやうくドリルを肌に食い込ませてしまうところだった。
「ああああああああああああっ!」
「大丈夫だ、ここは病院だ。大丈夫だ」
医師は声をかける。予想されたことだが、予想以上だった。精神不安定の副作用を持つ薬剤投入の同意をとった時点で、皆が了承していたことだったから、問題はなかった。
「うああああああああああああ!」
すばやく向かいの同僚医師が、鎮静剤のアンプルを切り開いたばかりの左腕に注入した。あまり薬漬けにしたくはなかった。同時にいくつも使うことは危険だったし、スマートなやり方じゃない。
「ああああ・・・・・・あああ・・・・・・」
「大丈夫だ。私は医者だ。敵じゃない」
白目を向いていた千里の目に黒い輝きが戻ってくる。けれど、眼孔は大きく開いている。恐怖に怯えていた。
コーヒーショップのテラス、紙バック、自分のカフェラテ、友達のミルクティー、プラスティックマドラー、笑った女の子の顔。千里は友達の話す他人の色恋い話をきいていた。
「わたし?」
「そう。千里はなぁんにもないの?」
「私かあ」天井を仰ぎ見た。
「うぐぅぁぁ・・・・・・」変身プロセスが強制終了したメガスーツで千里は悪魔に首をしめられている。
「そういうそっちこそどうなのよ?」友達の姿が戻ってきて、制服の千里はラテを口に寄せた。
「くたばれ」悪魔は言う。
「え、わったし? あははは・・・・・・いるんだなぁそれが」
フラッシュバックの繰り返し。
「たすけて・・・・・・・」メガイエローの意識が遠のく。
「苦しめ、死ぬまで苦しめ、お前にあるのは痛みと苦しみだけだ。仲間はこない。誰も助けない。お前は孤独の中で死ぬのだ、メガイエロー」
「誰だれ?」女子高生の会話。
「B組の--」
「ええっ、まさかね・・・・・・で、どうなの?」
「ううーん、結構いい感じ」
「精神が安定していません。気をつけてください」
サーチ結果を表示する大型ディスプレイを注視している男が言った。去年導入されたばかりの精神状態測定グラフが大きく揺れている。同僚医師が顔を覗き込んできた。
「鎮静剤を?」
「大丈夫だ。効果を示すまでに時間があるだけだ。すぐ安定する」
発作的に暴れるので、スーツを切るのが困難になってきた。千里の胸にはすでに包帯が巻かれている。固化剤でギブスをつくってある。もうだいたい、問題はない。あとは、この忌々しい戦闘服からこの少女を解放することだけだ。
「へえ、あんなマジメな人が好きなんだ」
「千里に言われたくないなあ」
「どういうことよ?」
「そういうことよ」
「わけわかんない」
「わかるくせに」
ボロボロのメガスーツを玉ねぎの皮みたいにはがされていく。千里は恐怖した。かなわない。メガイエローなのにかなわない。鋭い音をたててはがれる。
「いやあ・・・・・・」
「どうした? メガイエロー? メガレンジャーとはその程度なのか? 他愛たあいもない。お前のような奴が戦いに挑んでいるとは情けない。戦いとは力と力のぶつかり合いだ。ぶつかって弱いほうが死ぬ。お前は死ぬのだ」
「だってぇ、遠藤君、好きなんでしょ?」
「は? んん、でも、まあ」
「でもまあなんなの?」
「うーん、でもあんなに堅いんだよ? 耕一郎?」
「堅いとか軟らかいとか、そんなもんだいじゃないよぉ、恋って」
千里はミルクティーを飲んでいるその友達の顔を見た。最新ブランドの服が思いの他安く買えて、満足した顔だった。恋いでは相手の方が上手だろうか。
「もうピンを外して。安定したら、上体を起こして」
同僚医師が台のボタンを押す。千里はふるえている。過剰接種だろうが、許容範囲のはずだった。それだけこの子の胸の奥に秘めたショックは大きかったんだろうか。医師は思った。薬剤で胸の奥のストレスがすべて解放されたんだろうか。とにかく、自分の行った医療行為のどこかが、まちがっていたのは確かだった。
しかし、こんな少女に戦わせれば、それ相応のショックに陥ってしまうのも確かだ。この子は強いから、それを胸の奥にしまっていたのだろう。瞼が熱くなった。
台がせりあがってきて、同僚医師が背もたれから彼女の体を起こした。医師は袖口を抜いて、メガスーツをぬがせはじめた。
もうだめだよ。弱気がいて、胸の奥で花開き、体を打ち破ろうとしていた。悪魔が上半身を裸にした。千里は抵抗しようとしていた。腕にも体にも力が入らない。強い、強くて負ける……!
「死ね」悪魔は言った。
「そっかなぁ……」
カフェラテのカップは軽い。
「そうだよ!」
「うん……」
「納得してないでしょ?」
「ちょっとだけね」
「まいっか。ねえ、もうそろそろいかない?」
「ほしい服あるし」
「まだ買うのぉ?」
「あったりまえじゃん。千里は?」
「……ある、靴、ほしいな」
「じゃあ行こうか」
自動解除機構の失われたメガスーツの裏側で潜んでいたのは、肋骨の一本の骨のヒビと一本の複雑骨折、ほっといても直るぐらいの胃の軽い損傷、足の傷、他、擦り傷切り傷多数、それだけだった。
簡単な傷の簡単な手術だった。しかし、今、城が崎千里は集中治療室におさめられていた。メガレンジャーの仲間はずっと入り口で面会できない仲間の安否を案じていた。手術後、INET職員と久保田博士、それに手術に当たったスタッフが会議を開いた。
「戦うことは可能でしょうし、おそらく、快復すれば本人もそれを望むと思います、しかし」
医師は個人的意見を並べて述べた。感情的になってしまったきらいもあるけれど、それはしかたない。
「メガレンジャーに守ってもらわなければ、東京は地球は卑劣な侵略者の手に落ちてしまう。われわれにも彼らにも選択の権利はない」テレビ中継で参加している、INET常任委員会の一人は冷酷に言い放った。
「私としては彼らを尊重し、彼らを道具としないよう常に自分を戒めてきました・・・・・・」久保田博士はハンカチで額の汗を拭って、うつむいてうなづいた。正気がなかった。心無しか目がうるんでいる。
医師はテーブルにつく幹部を見回して、息をついた。
少女は再び戦いに出るだろうし、微笑みを絶やさないだろう。その胸には闇を抱えている。心の闇は誰でも持つ。その闇は彼女の場合、あまりに生々しく、脳裏に焼き付くものだった。そして、彼女の闇を作ったものは、医師を含めINETという組織だった。