ブラックアウトTX
ドアが閉まるとき、エアの抜ける音が妙に大きな音になって、車内に響いた。車体が動きだすときにわずかにきしみ、左右に揺れ、桃瀬唯は足を左へ動かしバランスをとった。
走りだした電車はポイントを渡り、それから加速をはじめた。等間隔で響くレールとレールの継ぎ目の音、衣服がすれる音とアナウンス以外は静まり返っていた。それでいて、車内は人で溢れ、熱気が煮詰めたシチュー鍋のように漂っている。
唯もその中の一人で、まわりに気をとめるでもなく、携帯電話をいじっていた。スレンダーな肢体を半分も隠すこともしない桃と白を基調としたユニフォームをまとい、色気のないフェザージャケットを羽織っている。
朝の会社員と学生の溢れる車内で、彼女は『夜勤明け』で、今から家へ帰るところだった。唯は、夜も昼もない世界の平和を守る仕事に身を投じ、彼女の顔全体には疲労が広がっていて、心地よい揺れに時折、まつげが下を向き、意識がほーっと遠のく感覚がしていた。
気づくと電車は駅に止まっている。人の波が左右に揺れるが、それ自体が訓練された動きのように動く人の波がある。
ドアが閉まり、また動き始める。一晩を通して行われた戦いは、デスジャンヌを相手にしたあのときに匹敵するぐらいに激しく、身体中が鉛のように重く、関節は錆びた鉄のようで、全身が睡眠を欲している。
まだ着かないかな――戦いが終わり、何もなければ今日一日は休み、そう決まった。基地で寝ることもできた。だけど、唯は何日ぶりかに家に戻ることを選び、朝のラッシュであることもかまわずに、その快速電車に飛び乗った。
(あ……)
携帯の画面にはメールの送信に失敗したというダイアログが出ていて、それを打ち消しては、再び送信のボタンを押す。
電車はのろのろとしていて、牛のように車体を揺らしながら進んでいる。吊革に捕まり眠気に首を振りながら、化粧の少ない顔に皺を寄せている。
「あ……」
手が、フェザージャケットの繊維の上にあてられ、ゆっくりと下へと下がっていく。間の抜けた声は誰にも届かずに、無関係な動きで手は下がり尻を揉んだ。
手は明らかな意志を持っていた。細くて針のような指が手からそれぞれに分かれながら広がり、尻をジャケットの上から揉んでいた。
唯は眉をひそめた。周りはサラリーマンや学生でいっぱいで、背後に首を回そうにも、それすら出来ないほど混雑している。
手は尻肉を揉みゆっくりと揉み下していく。唯は嫌悪した。勿論、悪を彼女は嫌悪している。ちっぽけで相手を人とも思わない卑劣な『男』を、彼女は心から嫌っている。
周りは誰も気づいていない。そのうちに手は肛門をかるく浣腸し、それでも反応を示さないのを肯定と受け取ったのか、スカートをめくり、下着に――ブルマに手を伸ばす――
「っぁ……」
唯は赤面した。電車は快速で、しばらく駅を通過し続ける。少しのコトなら黙って見過ごすことも出来た。でも、痴漢はどんどんジュエルファイブのサブチーフを犯して、いく。
大胆な手つきで無視して腰まで手が伸びた。少し腰を動かして抵抗しようとした。痴漢はその動きを封じ込めるように、ぎゅっと彼女の股間を掴んだ。
「……!?」
カーブに車体が揺れている。対向電車と音をたててすれ違う。たくさんの人の汗や脂、整髪料や香水、食べ物の臭いが混ざって漂っている。
顔を上げると、肩の間に路線図が見えた。あと、数分で電車は駅に入る。好き勝手にさせない。デスクロスに比べたらこんな奴どうってことない。
唯はほかの人とは違う。それでも今はされるがままになるしかないのは悔しかった。手に冷や汗を欠き、ぎゅっと全身が強ばった。
痴漢はより強く潰すように揉んできた。手だけがそこにあるようで、その向こうには手と腕の一部しかない感じがした。
でも、こいつには姿形がある。電車は通過駅にさしかかり、速度を落とした。ホームがみえなくなると、また速度はあがり――ぎゅっと押しつぶす動きに、唯は顔の色を変えた。
車内は静まり返っていた。誰もが疲労を覚え、本や音楽、睡眠の世界に入り、誰も他人へ関心を表さない。不気味なほどに静かで、甲高いモーター音が響き続けている。
指は尻の肉を押しつぶし、感覚を味わうようにして動いた。無遠慮で尊大ささえ感じさせる動きで、衣服の上から揉み続ける動きがあった。強く押され、そうされることを強く感じられた。
いま、痴漢をされている。
気づいている人はいない。いや、気づかないフリなのか、解らないけれど、一つの手が彼女に向けられ、ゆっくりゆっくりと揉み下されている。
なんてやつ――こっちは早く帰りたいのに――現れた悪に向かっていらだっていた。
電車は駅にとまり、また発車する。周りの人がわずかに入れ替わっても、その手の動きが止まる様子はない。唯も無表情を装おうと、眉間に皺を寄せた。
背後を伺ったが手の主が誰かは解らなかった。時間が長く感じられ、窓の外の風景がゆっくり流れていくように感じられた。
――つかまえないと。
卑怯な奴は許さない。彼女のほとんど本能と化した正義の心は、そう訴えていた――手は離れたかと思うと、左側のスリットの間をすり抜けて、股の裏側に触れた。ひたっと触れる感覚は冷たく、ひどくつるつるしていて、まるで人間のものではないようだった。
「……っぁっ」
彼女は身体を前へ傾けてしまう。手は、遠慮というか、周りに見られているという意識を全く感じさせずにそのまま、股の付け根へ挿し入れられた。
フェザージャケットがずれあがることに、周りは気づいたはず――だけど、周りの反応は何もなかった。電車は高架の複々線を走っている。目の前に普通電車が現れ、唯の乗った電車が追い越していく。
こちらの速度がわずかに緩んで、併走状態になった。並んだ窓の向こうに、男が二人いて、彼女のことを見ていて、唯は眼があった。
「あっ……」
かみ殺した声に、曇る表情、自分がどういう風に見えるか解るつもりだが、普通電車の男の浮かべるにやついた笑みに、かっと熱くなり、唯は顔を背けた。
「っ……くう…!!」
悔しい。だけど――揺れ、こちらが通過する駅に向かって、普通電車は急減速していく。視界の外に消える男たち、唯は――ユニフォームが彼女の身体を守る役目を何ら果たしていないことに憤りながら、指と指がショーツをつまみ上げる感覚、その内側に冷たい空気の流れ込む感覚に、刹那はっとなり、足を踏ん張ったが、何もならない。
(くやしい……こんなやつら……)
数時間前まで激闘に身をやつし、ギリギリで地球を守った彼女を苛むのはただ一本の手だった。指はぐいと入り込んで、そのつま先で彼女のその場所を摘んだ。
「…………!!」
声をかみ殺して、爪がめり込むほど強く吊革と携帯電話を握っていた。身体がかっと熱くなり、『それ』が弾かれる感覚に、一瞬めまいを起こしながら、汚い手で踏みにじられる感覚に、悲しみがわき起こった。
「次は――駅、――線お乗り換えの方は――」
不意に入り込んできたダミ声に、はっと眼をあけた彼女は、自分が涙を浮かべていることに気づく。電車は加速からぬけだし、減速に移行している。左右に揺れながら、急速にゆっくりになっていく景色がある。反対方向へ向かう電車とすれ違い、ポイントを渡ると、ホームとその上に並ぶ乗客が見えた。
エアが抜ける音が、やけに大きく聞こえた。
桃瀬唯は意を決した。彼女を凌辱するその手首を掴み、高く掲げて振り返った。
「この人――」
「ごきげんよう。ジュエルピンク」
そこには、手首を捕まれて呆然とする男――ではなく、勝ち誇った表情の女がいた。
「デズジャンヌ――あなた」
名前を呼ばれて、にこっと笑みを浮かべる彼女――デスクロスの女幹部――ジュエルファイブがかつてもっとも苦戦し、倒したはずの女幹部の顔があった。外見自体は飾り気のないスーツに身を包んでいるが、、そのメイクは、いつものまま、悪女であることを際だたせている。
「死んだはずじゃ――」
「小賢しい娘の命を奪い、宇宙を混沌とした闇で覆い尽くすには、あなたたちに死んだと思わせないと」デスジャンヌは、握られた手を逆に握り返し笑った。「いけないとは思わない。私は、あなたたちの貧弱な技に負けるほど、バカじゃないわ」
吐き捨てるように言い、デスジャンヌは強い眼で睨んできた。
「倒されてやった、ってわけ?」
「あなたたちが、内部分裂と見せかけて、我がデスクロスの懐に入り込んできたようにね」
その口元に引かれた口紅は燃えるように熱く、その中には薔薇のような色の舌があった。
「いったい何を――」
唯は気づいた――周りの様子が変だった。色が変わっていく。いつも変わらない電車の車内、至近の距離にあるデスジャンヌとその後方に控える戦闘員が二人――
「私は、私のプライドを傷つけたおまえを、許せる程優しくはないのよ」
声に、唯は手を払った。二歩下がって背中にぶつかったのは戦闘員で横にもいて――囲まれている。電車は駅にとまっている。だけど、乗客の姿が消えている。そこにいる人の群はただ戦闘員――黒い全身タイツの男たちだけだ。
「だから、まず、私を騙したお前を徹底的にいたぶり可愛がってあげるわ。油断したわね。この電車はただ電車ではなく、怪人トレインロンで、ここは奴の体の中よ」
「卑怯者!」
「あなたたちはさっき、アンギラーロンを倒すことはできたけど、もう、大して力は残っていないでしょう」
その陰険な笑みはいっそうの力をたたえていく。向かいあった彼女に、その影がいっそう強いコントラストに変わっていくのが――
「こないだの借りを今度こそ、かえさせてもらうわ!」
手をクロスされた後に、華々しく呪文を唱えた。
「ブライトアップ!!」
光は飛び散ってから、彼女の身体に向かって収束し、戦闘服をまとった少女が現れ、変身ブレスの中から、マスクが現れ、頭を覆い尽くした。
「桃色の光は優しき心のあかし――ジュエルピンク!」
高らかに宣言し、ポーズを決める唯は光沢に包まれていた。そのまばゆいばかりの光をまとう戦士の名を――ジュエルピンクは構えて、その亡霊に構えた。
「もう一度、あなたを地獄に送り返してあげるわ!」
「威勢はいいけど、単細胞なのは相変わらずね――」
デスジャンヌから人間の衣服が消えていく。舌なめずりをしてみせてくる。ジュエルピンクは構え、足を前へだし距離を詰めた。右からフックを放つ。デスジャンヌは流れるような動きでそれを避けた。
「はぁっ!」
気合いのこもった声で、ピンクは蹴りを放った。手がそれを防御した。地面に足を戻し、距離を詰めた。彼女の動きに対して、ほぼ同じスピードで流れる敵の動き――後ろの気配――
「やあぁっ!」
彼女は振り向きさえせずに、左腕をふるうと迫りくる戦闘員に一撃を加え、身を屈めて跳躍すると、デスジャンヌの後ろの戦闘員へ蹴りを加え、背後へ滑り込んだ。
「はぁっ!」
腕で相手を突き飛ばし、四つん這いになったところで、その肩を掴んで、腕を後ろにさせてねじあげた。
「さあ!」
「アアァッ!」
敵の声が響く。
「う、腕を上げたわね――」
「これぐらい、初歩の初よ!」マスクの外にもよく響く声で彼女は宣言した。「一度倒されたあなたなんかに負けるほど、私は弱くないわよ」
「――はたして、そうかしら?」
振り向き、にこっと笑みを浮かべるデスジャンヌ。そのとき――そのとき、びりっと空気が帯電し、出し抜けにとどいた衝撃に唯はのどが詰まるのを感じて、手を離してしまう。
「ぁっ……くっ」
一瞬の脱力感に後ろへ向かって倒れ、尻餅をついてしまうジュエルピンク――
「ジュエルピンク、私はあなたに格闘で勝てるだなんて思ってるとでも」デスジャンヌは捕まれていた腕をほぐすように動かしながら立ち上がった。「思った??」
「いったいなにが――」
「トレインロンの胎内は、トレインロンのものなのよ」
唯はあたりを見回す。そこは、戦闘員に囲まれただけの電車の車内だった。吊革も中吊り広告もシートもそのまま――だけど、そこで何かが、壁が呼吸するように動き、全体的に何かゆがんでいる。
「いわば、ここはあなたの攻撃が通じない異次元。トレインロンの胎内にいるかぎり、あなたは私に倒される運命なのよ」
「そんなわけない!」
ひじを突いて、よろめきながら、ジュエルピンクは身体を起こした。
「そんなはずは――」
エアの音は甲高い音になって響いた。ドアが閉まった。
「だったら、私を倒してご覧」
気づけば、外の景色は紫色で、ドアの向こうの駅が消えて、電車が走り出している。唯は向き直った。どちらにしろ、選択肢はない。
「わかったわ。それなら後悔――う!!」眼球の裏に走る激痛に瞼を抑えて、唯は倒れてしまう。「な、なにが――」
「言ってるじゃない。トレインロンは――」
「ああああぁぁっ」
眼の裏、脳の中を直接スプーンでかき混ぜられるような感覚に、唯はマスクをつけていると解っていながらかきむしる。
「あなたの五感を支配し、あなたに好きにダメージを与えられるのよ」
「なぁっ――」
眼からは血は流れていない。涙だけ。それが頭で解っていても、四つん這いの彼女は眼を突かれる以上の痛みに、眼を抑えながら、反対の眼で敵を見上げた。
「さあ、どうしましょうか?」
余裕を見せた声が与えられた。真っ赤な視界に徐々に視力が戻ってくる。不意に頭の上に降りてくる腕――
「ほら、もう終わりなの!!」
彼女を痴漢していた手がマスクを掴んでいて、四つん這いからギリギリと立たされていく。
「ふざけないで!」
「たまには」不服そうな声。「別のことをいってご覧なさい」
「くっ……ぁあ」
「お願い、許してぇ」媚びを売るときの声をまねた声。「とかねぇ」
声は耳に入ってきた。立っている自分を唯は意識している――身体が動かない。そうして、後ろからさしのべられるのは、戦闘員の手だった。
「きゃっ!」
とっさのことに、眼を白黒させて首を振ろうとしたが、首の関節も動かなかった――
「いい声だわ」
デスジャンヌの腕が離れ、一歩下がった。ジュエルピンクを三人の戦闘員が後ろと左右に立っている。腕が伸びていく。
「こいつら――」
忌々しげな強気な声に重ねられる三人の腕――尻に、腰に腕に、胸に回されていく手。上気した唯の声に弄ばれるその身体――周期的に揺れる身体に――レールの継ぎ目のガタンゴトンという揺れ。
「ぁぁっ……」
押し殺された切なげな声――
「ジュエルピンク、あなたのあらゆる感覚は、トレインロンのものなのよ。さあ、どこまで耐えられるかしら?」
勝ち気な声に、唯は半目で睨んだ。囲まれ、スーツを撫で回され、揉まれ捕まれている。身体がマッサージをされるように、不思議な感覚にとろけていくのが解る――何で――唯の疑問に答えるものはなく――
「あぁ…何を……!!」
「あなたの苦痛に歪む顔美しいわ。ジュエルピンク」
様子をみると、デスジャンヌが歩み寄ってきた。
「ぁ…ぁ……ぇぁ……っ!」
顎にさしのべられるジャンヌの指に、上を向かされる。フェイスゴーグル越しに睨みつけようとするが、その戦闘員たちの与える絶妙ともいえず悪魔の指の動きに,今にも――
「トレインロン、もっと楽しませて上げなさい」
トレインロンの姿はみえない。いや、唯は瞼を閉じた。この電車自体がトレインロンだった。不意に戒めが解けた。足は動かなかった。だけど、手は動いた。彼女はとっさに股間に両手をあてた。いやよいやよの動き――
「ううっ!!」
その旋律は、脊髄に直接流し込まれてくるようで、身体がびくっと震えた。
「離しなさい!」
声はほとんど絶叫になった。左右から抑えられ、その手が股間――戦闘員の隆々たる逸物に――あてられ、その固くなりドクドク息づく感覚――タイツを濡らす粘り気をグローブで直接握らされている。
「あぁあぁっ……」
漏れでる声、後ろの戦闘員は逸物をヒップに押し当てている。鳴き声がサイレンのように聞こえる。目の前では、にやにや笑うデスジャンヌの姿がある。
「所詮は淫売の血、美しき小娘も、ただのオンナ……」
「離せ!」彼女は本気で叫んだが、敵はそれに応える様子はまるでなかった。「離さないと――」
「どうなるという?」
両手でしごかされ、後ろから身体を持ち上げるばかりの力に押され、そのグイグイという感覚に、息があがる。
「なぁ…んんっ……ぁぁぁ…」
「トレインロンの支配に落ちない女はいないわっ! アハハハハッ!」
デスジャンヌは顔を近づけた。ジュエルピンクのマスクには、唇を模したデザインが施されている。ジャンヌの目を閉じた顔が視界全体に広がり、マスクに張り巡らされた神経フィードバックが、重なる唇の淫猥なイメージを唯の神経中枢に送り込んでくる。
「ううっ!」
まるで毒を流し込まれたように、唯は苦悶の表情を浮かべる。そのマスクの薄暗闇の中で、上気して玉の汗を浮かべて、頬のあたりを桃色の染めながら、左右の手が掴んでいる逸物で身体を支えながら、くねくねと動いている彼女がいる。
「ううっぁぁ…な、なにをなにを……」
半ば恐慌を起こしながら、びくびくとふるえる。気づくとデスジャンヌが唇だけでなく身体全体を押し当てている。その柔らかい感覚が、皮膚を剥がしてその中と直接混ざりあうような痛みと、快楽を引き起こしている。
「あなたが知る必要なんてないわっ、さあ、私の愛を受けて御覧なさい」
デスジャンヌは胸の谷間を見せつけるように示している。そこに両手が伸びていて、コスが開かれた。ぱっと発光が起き――危ない! 過去に行われたことを思い出してとっさにできたことは眩む視界に対して、目を閉じるぐらいだった。瞼の裏だけが視界に広がったが、光りが見えた。
「ああああああぁぁあぁっぁぁっ!」
胸から発せられた破壊光線が零距離から炸裂し、目が眩んだ。
ぷすぷすと音をあげるスーツがある。唯は身体を起こした。『トレインロン』の壁は、いつもと同じ車内に見えた。戦闘員やデスジャンヌに囲まれている。
空が消え闇となり、音が今までとは違う反射の仕方をはじめた。トンネルに入っている。
「アハハッ、自慢の強化スーツもやはり、私の前には無力なのよ――!」
目元に顔をやると、あのときと同じようにマスクが裂けていた。それだけじゃない。ヒリヒリする感覚に、無意識に手が降りていく。首から胸元にかけて引き裂かれ、幾重ものインナーがすべてめくれあがり、ミミズ腫れの皮膚が覗いている。
「なんてことっ……くっ…はぁっ…」
彼女のどちらかといえば大きい胸も例外ではなく、ピンク色の布地の間には、露出した乳房があり、乳首が見えていた。血の味を感じながら、ぬめりとしたものが眉間から流れるのが解る。
「ウッ!」
びくんと揺れる身体が発光した。身体の力を吸い取られる感じ――めまい――遠くなる意識が引き剥がされ、瞬く間に近づいてきて――一瞬の闇が見えた。
「うっ…あぁあぁっ!」
闇が途絶えた。現実が目の前で光を放ち始める。
「強化変身を維持できなくなったのね!」
マスクは消失して、一番上層のスーツが消えて、白い白銀の姿を露わになっていた。乱れた茶色い髪が広がり、唯は呆然としたまま、身体に触れさせていた自分の手をみた。
「いやぁぁぁっ!」
そこにはねっとりとした灰色の液がこびりついていた。とっさに地面に手をたたきつけ、なすりつけたが、それはむしろ身体の中に刷り込まれるようで、涙がこぼれて胸が熱くなった。
「さあて、この次は――」
手の甲で口元の血を拭い、痺れる身体を押して、唯は腰を浮かせた。まわりには戦闘員で、トレインロンの胎内にいる。
「……冗談じゃないわっ」
デスジャンヌは、これまでになく卑怯な手で自分を倒そうとしている――
「冗談なんか、私は好きじゃないわ」
いいながら、余裕をむき出しにしている。立ち上がるのを待っているのか、立ち上がればまた嬲り甚振られることだろう。それは解っていた。だけど、唯はジュエルピンクである以上、戦わないわけにはいかなかった。ジュエルファイブのサブチーフとしての重責が彼女を奮い立たせ、そして、腰を低く構えをとる彼女の両手に絡みついてくるのは、吊革だ。
「ああ――!!」
巻き尺が戻るときの早さでジュエルピンクの手首を拘束した吊革は、背筋をぴんとはらせた。足が――足がつかない。ばたつかせる足を抑えるのは戦闘員だ。
「離しなさいっていっても、無理なのよね」
X字になった唯は斜めに目の前に立つ悪魔――デスジャンヌをみた。
「勿論に決まってるじゃない」
「私をこのあと、どうするつもりなの……」
「今度こそ、あなたのセイントストーンいただくわ」
唯は首もとに目をやった。そこにハメ込まれている宝石は燦然たる輝きを放っている。ジュエルピンクのパワーの源、唯がデスクロスを倒すための大切な宝石があった。
「そのあとは……」
「そのあと??」
「ええ」
口から顎へ血がこぼれた。腕が伸びてきて、石と絡みついた。身体の一部を剥がされるに等しい感覚が、胸を麻痺させ、つま先までかきむしるように広がっていく。
「ああぁあぁっ!」
「あなたで、思う存分楽しんであげるわ! だって、私、あなたを滅茶苦茶にしてやりたいもの」
石を掴んで離さない。セイントストーンは彼女とジュエルピンクと一体だった。身体の大事な部分を掴まれ、引き剥がされる感覚に、舌が乾いてざらついて吐き気を覚えた。
「ああああああああぁっ!」
それでも、セイントストーンははずれなかった。デスジャンヌの腕がぱっと光りを放ち、心臓マッサージのように送り込まれてくる電撃に、びりっという音がきこえた。からだがゆれる。
「あああ……」
「さあ、よこしなさい、セイントストーンを!!」
「いやっ……」
首をふるたびに髪が広がっていく。戦いに伴う不規則な生活で、どんどん荒れていく髪が、電気を受けてぱーっと広がり、逆立っていく。カールが解けて、広がっていく。
「――あああぁっ!!」
どくんどくんと揺れる身体。ビリッ――ビリッ――震えた後、唯は力が抜けて細く開いた瞼から一条の涙をながした。
「ああ――力が……抜けてく」
瞼が熱い。目の前にデスジャンヌの指先がある。その先にある小さな小さな石は、デスクロスと戦うジュエルピンクのエネルギーの全てだった。
「ふぅん」
「力が――ちからがし、痺れて――」
唯はうなだれながら、肩をデスジャンヌに捕まれても、思うように抵抗することができない。
「ジュエルピンク、あなたはやっぱりとびきり美しいわ」
意識は混濁し、遠くに感じられたぼわっと反響するデスジャンヌの声に、歪んだ視界に見える影――憎むべき敵に抱き寄せられている。
「うっ……うう…」
股間を戦闘服の上からさすられても、なにもできずに、唾液を漏らすだけの――桃瀬唯は自分をどこか遠くに感じながら、デスジャンヌに身をやつしていた。
「ぁぁぁ…さあて、ジュエルピンク?」
舌なめづりする音がきこえた。足下の揺れが徐々に小さくなっていく。
「次は終点――」
だみ声のアナウンス――これが、もしかして、トレインロンの声――? 唯は股間に入り込んでくる指に身体を望むようにおしあてた。
「ふうぅ……ぁぁぁぁ!!」
からだがゆれる。吊革の戒めは解かれ、ただデスジャンヌに身を預けていた。力なく、する彼女は、どうにかしたいと思ったが、身体は鉛のようで、間接は錆びた鉄のようだった。
「さあ、着いたわ」
ドアが開くエアの音は、やはり妙に際だった音として聞こえた。ジュエルピンクは顔を上げたが、虫の息でデスジャンヌによりかかったまま動くことが出来なかった。