サドンリー・エンド
重心を巧みに移動させ、ディースティックの突きを避ける。サキュバス・ヘルズの目の前には、次の攻撃が迫っていた。
「何っ!?」
長い波長のパルスビームが、牙を模した肩のプロテクターを粉砕し、肉を抉り、赤いものが飛び散る。貫通してアスファルト上でビームが破片を飛ばす。
「ああああああっ!?」
サキュバスは意識が遠のき、息をつないだ。腕を充てると、光が肩を覆いはじめた。痛みは和らいだ。けれど、重い感じが全身にする。
「いくよ! ジャスミン!」
息の合った動きのデカイエローとデカピンク、サキュバスは優位が崩れていくのを感じた。森の中で人間の精気を食らい、兼ねてからアリエナイザーの間で強敵と噂されるSPDをたった一人で追い詰めた――ところまでは良かった。
「合点承知の輔!」
武器を構え、横に並んで走ってくる二人を目の前を、木の上へと飛び移った。こんな小便臭い娘なんかに――血が滲むほど舌を噛んでいることに気付いた。
「あんたらの動きは、とまってるみたいよ……」
追い詰めた警官に悪夢を見せて戦意を挫き、そこから完膚なきまでに叩き潰すつもりだった――そのために、ボンゴブリン――お兄ちゃんが、他のSPDを陽動しておくつもりだった、のに。
「そうはいかんばい!」
イエローが孤立した森へ、デカピンクが駆けつけてきた。イエローとピンク、サキュバスのパワーをもってすれば、その程度の予定変更も楽に受け入れられる、はずだった。
「ばい!」
にも関わらず、この二人は、サキュバスが予想していたより、はるかにコンビネーションがとれていた。――またしても、飛び出してくる二人を避けた。左右にわかれたイエローとピンクの陰が、こちらへ迫ってくる。
――いける! サキュバスは空気を踏むように身を翻す。ディースティックを構えた二人の刑事が正面から激突して、サキュバスの背後で火花を散らした。
「アアアアーーーーーッ!」
「キャァーーーー!」イエローとピンクが絡み合いながら、地面と出会い土埃を巻き上げる。
「なんとか…なりそうね……」
その囁きを聞いたものはいない。土埃の中から出し抜けに飛び出てくるデカイエローを、手の甲のプロテクターの刃でなぎ払った。この黄色い娘を、サキュバスは気に入っていた。身も心も、ボロボロにしたかった――だから、こそ―――――
「食らえ!」
収束した紫色の光がサキュバスの顔を覆う防具に反射していた。先へ進めば進むほど細く鋭利になっていくビームは、なぎ払われ地面に肘を打つデカイエローの、宇宙警察のエンブレムに命中した。
「あああああっー!」
一瞬で数万のセラミック破片へと変わったイエローのマスクの中から、礼紋茉莉花の唖然とした顔が現われる。十個以上の切り傷に覆われ、四方へ向かって髪が乱れていた。
「ジャスミン!」寸暇晴れた砂埃の中からピンクの声が響く。
先ほどイエローをなぎ払った腕の鉈をプロテクターから外すと、腰をついたデカイエローへ投げつけた。風の切る音とピンクの悲鳴が響く。
音をたてて、枯れ草の上にデカイエローは身を横たえた。
「くっ…ああぁっ!?」
「ジャスミン!」
サキュバスはデカピンクへと身を翻した。サキュバスの鉈は強力な武器であると同時に、刃を剥いていない内側の反りを利用した拘束具にもなった。
「アンタの相手はこのアタシだよ!」
腕と胴を鉈で拘束され身を委ねたデカイエローに釘付けのデカピンクが、サキュバスに気付いたが、そのときにはサキュバスの鎌首はウメコの喉元へと迫っていた。
「ああっ!」
デカスーツの表面に連鎖的なスパークが飛び散る。後方へ向かって吹き飛ばされるピンクのボディが木にめり込んで、数千の野鳥が上空へ飛び出した。
「人の心配できるほど…の…奴じゃないでしょう。さっきのお礼をちゃんと返してあげるわ」
「ウメコ! ――ウメコ!」
背後で気配がしたけれど、サキュバスはわざと無視をする。
「あううっ!」
喉元を掴みあげ、思わず舌なめずりをしていた。
「エスパーじゃなくても解るわよねぇ…この思念」
腕がマスクを掴むと出し抜けに、ピンクの身体の力が抜けた。
「ア……くっ…」
エスパーであれば、精神汚染を引き起こすほどの感情の奔流に、デカピンクの身体が引き攣った。サキュバスが、全宇宙で怖れられるのはそのパワーのみに無い。ある種のパニック状態を相手に引き起こす――サイコ・レイプもまた、その魔術の成せる業だった。
「ウメコ!」
「……ジャ、ス…………ミン…」
背後からの声にうわ言が尽き、デカピンクの中で鼓堂小梅の意識が失われた。
「さあ、助けられるものなら、助けてご覧」
自由の利かない身体をイモムシのように引きずるデカイエローに向かい合い、サキュバスはデカピンクの身体を見せた。
「離しなさい!」
ピンクの身体を掴んだまま、サキュバスは歩き出す。草地に投げ出されたデカピンクは、意識を取り戻す様子が無かった。サキュバスはイエローへと近づきながら、その陰を少しずつ薄くしていった。やがて、イエローが手を飛ばし二人を掴もうとすると、実体は空間から消えていた。
「ワッツ…ハップン……」
あらゆる感情が麻痺したジャスミンの、目の前から消えたサキュバスとウメコ。事態に感づいた身体の内側から巻き起こるパニックは、デカイエローを圧倒するのに充分であった。
ウメコが意識を取り戻した場所は、やけに明るかった。光が電灯のものであることに気付くまでやや掛かり、実際には電灯は一つだけで、重い空気が彼女を取り巻いていることに気付くまで、またややあった。
「どこ…ここ……」
頭が重い。そして、ようやく彼女は身体を纏う衣服がデカスーツであり、手足は何かの金属で固定されていることに気付く。
「やっと、起きたようだね…」
声の正体は椅子から立ち上がる陰になっていた。その背中が彼女の目覚めを待っていたかのように倦怠感を漂わせている。後ろに流れる髪が一つに束ねられ、ウメコは思わず、綺麗、と思った。
「誰……」
「解るでしょう……だって、なんだって知ってる、わよね…」
その顔が電灯の中に浮かび上がる過程で、ウメコの背筋には一本の氷の柱が入り込んでくるような気持ちの悪さを抱いた。
「何で捕まえたの…あなたの目的は、あたしじゃないはず……」
気を失う刹那、ウメコはサキュバスのジャスミンに対する偏屈的な感情を感じていた。それはちょうど、ウメコの感情の同じようで一瞬だけ、心地よさを感じ――
「デザートは最後にとっておくものよ」
サキュバスはウメコと正対し、身体に腕の鉈を這わせた。目線が上へと持ち上がり、ウメコの見た瞳は、感情に大きく窪み浅ましいギラツキに、言葉が途絶えた。
「あたしはパフェなんかじゃないんだからっ!」
出し抜けにサキュバスの身体が隣接し、デカピンクのマウスシールドにその唇が密接する。青紫の紅がデカピンクのマスクに女性の唇の形を色濃くつくり出した。
「うっ…」
スーツの与える感触は、素肌で触れた感触と相違ない。ウメコの気持ちの中にあるサキュバスの想いが、意外なほど淡かった。
「痛いコトしなくても……お話は解るわよね…」
思わず頷きそうにすらなった。ウメコは想いの流れが目の前に見えるかのようだった。
「……解らない…とにかく、自由に…」
「自由にして欲しいんだ? 言うことを聞けば、直ぐにでも自由になるわよ……」
サキュバスはウメコの目の前へ指を示した。パチリと鳴らされる爪の音と共に、固定されたウメコの肢体が引っ張られて四方に広がっていく。ちょうどX字になった状態で動きは止まり、胸を張った状態で背筋が突っ張った。
「さっさと離しな…さい」
「これじゃあ、もうちょっと、お仕置きしてあげなきゃね…尤も、直ぐ解るはずでしょう? だって、あなたは好きだもの……」
「…え……っ…好き…?」
ウメコは目配せしながら胸の熱い感情に喉を鳴らした。
「そう、小梅ちゃんは、女の子が好きだものね……」
サキュバスの手と手がデカピンクのマスクを包み込む。ウメコの胸は熱くなり、頭がぼーっとした感じにつつまれる。白けた意識の下に、マスクを外してというサキュバスの囁きが、声というよりエモーショナルに届いてきて、意識の外のほとんど本能が、マスクを外すロックを解除していた。
「サキュバス様…ぁ」
声というよりは鳴き声にも近い音が、二つにわかれた中から現われた口から漏れ出る。
「そうよ……何も戸惑う必要は無いわ。あなたが好きだから……」
目の前で囁きを漏らすサキュバスの言葉には、ウメコの頭では一点の曇りも無い言葉にしか聞こえなかった。
「好き……好き…?」
「ええ、そうよ、だから、言って――アタシのことを好きって…」
その限りなく甘い囁きが脳を掻き乱すことが知れた。頭を振り雑念振り払おうとすれば、空いた隙間に、サキュバスのことが満ちていく。
全身にサキュバスの肉体が感じられた。相手は敵なのに、敵、なのに――同じ女性で――愛で、ウメコの心は満ちていた。酩酊状態からこみ上げてくる感情が、頭の中で渦巻きになっていく。
「……っ…」
咥内に入り込んだ舌は、先端で二股に分かれていて、それ自体がまるで頭の中に突き刺さるような感触だった。精気の高揚にウメコは眼をあけていることすら辛く、動物的本能で舌を吸っていた。
「んんっ……っ」
唾液が糸を引く。囁きは味覚を伴って。甘かった。感情のもつれが糸の切れた人形のように絡まりあい、気付いたときには放尿し、薄い流体金属を濃い色に変えていた。
「そうよ……」
膀胱の隣、満ちた愛が飛び散っていた。ショックで取り戻した正気が抗議の声をあげていたけれど、溢れ満ちる囁きを、ウメコは圧しとどめることが出来なかった。
「ねぇ、小梅ちゃん……」
瞳の澄んだ奥に広がる世界、嗅いだことの無い匂い、止め処なく溢れる熱情と、艶かしさに包まれたサキュバス・ヘルズの髪から顔へ刻まれた刺青に、全身が泡沫に変わる自分を思った。
「サキュバス様が…好きです…………」
赦しを請うウメコの声に、サキュバスは目線を浴びせた。その表情に戸惑いを隠せなかった。眼が、愛に溢れた瞳から、ずる賢い雌狐に変わっていくのだった。
「あっそう、それなら、充分でしょ…さあ」眼が赤く光った。「デカピンクはもうアタシのもの。さあ、忠実な手足になって働きなさい……!!」
冷たい感情は数秒で反転し、言葉では言い表せない充実が絶対的な気持ちとなって、デカピンクの全身に雪崩れ込んできた。ややあって、暖かいベールの中でウメコは安らかになった。
夜の高速道路を走るマシンハスキーに跨るジャスミンは、そのヘッドライトが映し出す彼方へとマシンを進めていく。ウメコがサキュバスにさらわれてから十二時間を過ぎようとしていた。
敵の居場所が見つかるまで待機しろというドギー・クルーガ―の言葉を振り切り、街へ飛び出してはみたものの、あてなどあるはずもなかった。仕方なく、ハスキーでウメコのSPライセンスの発信電波を探り、都内を闇雲に走り続けていた。
生傷痕も痛々しいジャスミンの瞳は、あのとき、サキュバスの邪悪な瞳の奥に燃え上がる、正体不明の何かを見てしまっていた。あんな、強力な敵がウメコの命を絶つことは容易い。だけど、ジャスミンは不思議と予感していた。
ウメコはまだ死んではいない。なぜなのかも、ジャスミンは知っていた。だが、頭が答えを拒否し、脳裏には浮かび上がってくることはなかった。
ハスキーはサイレンをいんいんと響かせながら、運河に掛かる橋を越え、工業地帯へと入った。運河地帯を一直線に貫く高速道路の上に、鈴なりになったテールライトの列が、おそらくこんなときでなければ、綺麗だと思えていたであろう色彩に彩られていた。
「……ウメコ!?」
デカピンクのSPライセンスの反応を捉えたのと同時に無線の受信音は耳元へと飛んできた。フルフェイスヘルメットの内側につけられたインカムに声が入ってくる。
「ジャスミン……聞こえる?」
「うん! 聞こえる!」良かった…ジャスミンは安堵の息をし、左へ車線変更しながらマシンの速度を緩めていく。
「なんとか逃げたわ! 今、ポイントD3の廃工場にいるから早く助けて! アーナロイドたちが!」
「ロジャー! 安心して、ウメコ!」
ジャスミンは頭の中で地図を思い描きながら、クラッチを解き放ち、マシンの性能を飛躍的に高めていった。デカベースでも交信を受信しているはずで、ボスは直ぐみんなをあとから救援に差し向ける、そう思っていた。
マフラーから漏れるエンジン音が徐々に弱まっていく。ジャスミンはライトを若干弱くさせた。空気がハスキーを押さえつけるように立ち込めていた。ここに本当にウメコはいるのだろうか。
出し抜けに現われた『壁』にハスキーのハンドルを切り、停止させて足をついた。
『壁』は工場の壁だった。ジャスミンはエンジンを切ると、ヘルメットを脱いだ。汗ばんだ髪が耳の周りに張り付いていた。その手元に雪崩れ込んでくる邪悪な波動、ウメコがいるなら、早く助けないと――スライド式の扉を中へと入った。
「ウメコ……」
はじめは小さな声で、徐々に声をあげ、仲間を呼ぶ。だが、人気のしない工場内には、きつい酸化オイルと何かの腐敗臭以外は何もなかった。
「何奴っ!」
気配を感じた方向から銃弾が、ジャスミンのすぐ横を通り過ぎていった。とっさに身体を反らして、物音に上を見上げたとき、彼女の身体は瞬間判断を鈍らせた。
「ああっ!」
落ちてきた網はナイロンワイヤーのようなもので出来ていて、周囲にいくつもの金属球をつけていた。普段ならそれを振り払うことぐらい容易であったはずが、網が身体に食い込み、食い込んだ皮膚の上で、サキュバスの攻撃で負った傷が口を開け、殺到する痛みがジャスミンを押さえつけた。
「しまった…ぁ……」
古典的な罠は仕組みが簡単なだけ、逃げることも困難だった。
「ジャスミン…」
「ウ、ウメコ!」
彼女は顔をあげた。何時の間にか、そこにいたデカピンクはディースティックを目の前に構え、相手を牽制するようなポーズを取っていた。マスクからはウメコの表情を窺い知ることは出来ない。
「コレ、助けて……」
「駄目よ…ジャスミン」
「エ……ぷりいず・わんすもあげいん…」
「だから」そのとき、デカピンクの様子がいつもと違うことに、ジャスミンは不思議と頷いていた。「ジャスミンを逃すわけには行かないんだってば」
目の前にいて、しゃがみこんでこちらを見ているのは、本物のデカピンクだった。だけど…このウメコは、ジャスミンの知っているウメコではない…らしい。
「あ、そう…う、うめこ? しっかりして、解る?」
「解るよ。ジャスミンも、きっと解るよ。サキュバス様はスゴク優しいから…」
そのマスクには口紅のあとがあった。旦那のシャツにキスの痕を見つけた妻の気分が、ジャスミンにはなんとなく解る気がした。
「もしも…おばさんに…なあっても……」
「ん? 何か言った?」
ジャスミンは自分でも何故こんなことを言っているのか釈然としなかった。
「ジャスミンも…すぐ、解るよ……」
ウメコは笑っているのだろう。金属球を網から二つほど外し、中へと手を入れた。足に伸びたグローブが引っ張るようにジャスミンの身体を網から引き出す。その瞬間、笑顔をかき消した。
「ウメコ、ごめん!」
自由になる足でデカピンクのマスクを一蹴した隙、身体を翻し空中へと飛び出した。SPライセンスをセットし、天井から垂れるチェーンに手を伸ばし、掴んだ瞬間に、コールを叫んだ。
「エマージェンシー・デカレンジャー!」
チェーンは黄色い光の弾を天井へ勢いつけて運んでいく。光の中で回転する身体にデカメタル製のスーツが密着し、マスクが上から下へベールで顔を包み込んだ。
「ジャスミン!」
颯爽と地面にデカイエローが降り立つ。その目の前に対峙するデカピンクが銃口を向けてきて、ジャスミンも同じにした。
「ウメコ、さあ、帰るわよ!」
「帰る? 何いってるのよ、アタシは帰らない。サキュバス様がいれば……」
「正気になって! あなたは警官なのよ?」
「なんといっても、帰らないわ……もちろん、ジャスミンも返さない……」
デカピンクは一歩ずつこちらへ寄ってくる。ジャスミンは、引き金を握るグローブが汗で滲むのを感じた。撃てない。
光線は薄暗い構内を照らし出した。二つの原色の陰が光に浮かびあがり、ピンクから放たれた光がイエローの表面を走ると、連鎖的な小爆発がいくつか続き、大きな手が体を持ち上げ落すように、デカイエローは地面に転がった。
「アアーアーーーーッッッ!」
「ジャスミンも、サキュバス様に従えば良いじゃん……」
デカピンクがマスクを掴むと、彼女の身体を軽々と持ち上げていく。
「しょ…うきに……もどっ」
壁にジャスミンは押し当てられ、首が捕まれていた。ウメコの手にはディーナックルが握られており、思わず目をつぶり身体に力を込めた。身体が揺れ臓器が押し潰される感覚、かっと燃える意識に喉からあたたかいものが、込み上げてきた。
「あぁ…」
頬を伝う涙が妙な熱気伝うマスクに満ちる。
「早くしないと、身体がだめになっちゃうよ…」
ディーナックルはジャスミンの身体を下からもぐりこむように、フックを挟み込む。首とマスクが、力の限り引っ張られていた。息が漏れ、湿気に顔が濡れた。鋭角のバイザーの視界の先、胡堂小梅は味方ではなかった。
「ああっ……くっ…負けない……」
「え、なあに?」
「負けない…」
身体が反応した。首を掴んだ手を捻り、デカピンクの背後に回ると、腕からディーナックルを捻り取った。左腰に一番弱い出力でショックを与えた。重心を失ったウメコの身体を、両手で抱きとめ肩に背負った。
「帰るわよ!」
麻痺した体は思いのほか重く、ジャスミンはマシンハスキーの駐車場所へと足を進めた。目の前に、来たときにはいなかったバーツロイドが半ダース見た。腕のパラボラアンテナ収束型のレーザーガンを構えていたけれど、ジャスミンは歩みを止めなかった。
「ゃあああああぁっ!」
一斉に数発が命中すると、身体の一部がもぎ取られて、焼きごてをあてられたかのようだった。当然、痛みはスーツにより即座に緩和されるが、一瞬だけ感じる鉈を振るわれたような感覚は、デカイエローの腕からデカピンクを地面へと明渡すのに、充分すぎるほどだった。
「……くうっ…ウメコを…助け…」
両腕以外は麻痺しはじめていた。あちこち煙を上げていて、プラスティックの焼ける臭いがマスクにもしていた。バーツロイドは門番のように動く気配が無い。
「あーもっ、痛ったいなぁ、ジャスミーン。いい加減にしてよー」
腰を腕で抑えながら起き上がるウメコは、ジャスミンの袂に立ち、下へと視線を送っていた。
「ね…ぇ……」
息があがりわずかに意識が朦朧とした。ジャスミンは目の前でウメコがゼニボムを三つ取り出すのを見ていた。不思議と声が出なかった。マスクの表面で爆発が起きた衝撃は、サキュバスにマスクを破壊されたときより何倍も強かったけれど、ショックは何倍も安らいで感じられた。
「マスクが…」
飛び散った煙の中から、デカピンクが現われ、ジャスミンはその胸に抱かれていた。
「ごめんね、こんなひどいことばかりして……」その声は淡い憂いを含んでいた。「本当は、ジャスミンをこんな目になんか……」
肌を通して感じられる嗚咽が止み、ジャスミンは言葉も無く顔をあげた。
「だから、ジャスミンも幸せにしてあげるね」
ウメコがマスクを解除すると、何も言わずに瞼を閉じて唇を重ねた。ジャスミンの手が胸の前でウメコの身体に挟まれていたけれど、その手や身体でもって拒否することが出来なかった。拒否するには、あまりに甘酸っぱすぎた――
「んんっ…か…い、かん……」
口を言葉がついて出た。
ジャスミンはウメコが当たり前に好きだったけれど、今目の前で起きていることは、それとは異なることだった。
「じゃあ、ジャスミンもサキュバス様が好きになるよ……きっと…」
「違う……」ジャスミンはウメコの肉体が欲しいんではなかった。
ウメコは眉をひそめた。
「違うよ、ウメコ。これは私の欲しいウメコじゃない」
「なあに、言ってるのよ。心も身体も一つになっちゃおうよ…」
ウメコを幸せにしてあげたい――吸い込まれるような意識は確かにあった。
「一つにはなれないわ……残念だけど……」
「どういうこと……」
ジャスミンの言葉に答えを欲しているように見えた。答えを言いさえすれば、ウメコに正気が戻るかもしれない。ジャスミンはつばを飲んだ。
「それは……アッ!」
何時のまにか背後に迫っていたバーツロイドはジャスミンの頭を一振りにすると、脳が激しい勢いで揺さぶられ、全身に痙攣が走り、身体が解らなくなった。
「どういうこと……」
「うっ……くはぁ……」
言葉を求めたウメコは、疑問を発していた。出し抜けに構内に響いたエンジン音が間近まで迫り、マシンハスキーに跨ったサキュバス・ヘルズは、デカピンクの目の前に止まると、防護シールドの中からその顔を現した。
「ねえ、どういうこと……一つにはなれない……って……」
サキュバスは紫色の唇を開いて、ウメコに答えを教えた。彼女は頷き微笑んだ。
サキュバスにとってみれば、デカピンクなど生かす価値も見出せなかった。しかし、礼紋茉莉花の瞳には澄んだ中に映し出された感情があり、それを、完膚なきまでに叩き潰したかった。
満足そうな笑みを浮かべると、気を失った黄色い娘の頬を舌で舐め、汚れを拭ってやった。
「ん……ん…」
「さあて、正義の警官さん……」
瞳が開かれるごとに従い、事態を飲み込むジャスミンの眼にはまだあの正義の火が灯っていた。
「ウメコをどうやって……」
健気さだけは拍手を捧げたいとすら、サキュバスは思った。
「あの娘はね……エスパーなら解るだろう? 一気に沢山の記憶を流し込んで、頭をおかしくさせちゃったのさ」
大きく開かれた目は、哀しみの色に染まっていく。サキュバス自身、沢山の特殊能力を持っている。普通の人間が気持ちの奔流に晒されれば、手に堕ちるのは呆気ないほど簡単なのだった。
「元に戻してあげて……」
「あーら、宇宙警察の正義の警官がそんなことでいいのかしら?」
「…………」
「手下になることを拒んでおきながら、調子のいい願いね……」
「手下になればいいワケ……?」
「お兄ちゃんのおもちゃぐらいにしかならないアンタを、今更手下にしたって……それで、腹の虫が治まるとでも思ってるのかねぇ」
ジャスミンは眼を逸らした。サキュバスの腕がその顎を捉え、袂から引き離す。サキュバスは立ち上がり、ブーツを突き出した。
「さあ、舐めてみなっ。仲間のためになんでもするって口ではいえるけど、実際に行動には移せないんだろ……」
「舐めれば…ウメコのこと……」
「甘ったれたこといってんじゃないよ!」その声に黄色い体はぴんと震える。「アンタらを生かしてあげてるのは、このアタシなんだよ。犬が飼い主の足を綺麗にすることぐらい当然のことだと思わないのかい……?」
言葉にかすかに震えたジャスミンは、なおも躊躇しつつも、サキュバスのブーツを両手で包み込んだ。薄いピンクの舌が唇の間から伸び、ブーツに触れる刹那で、彼女は足を引っ込め、踝のあたりでうなじを一撃に当てた。
「アッハハハハ!」
衝撃に切れた鼻から血が糸をひくように伸び、床に倒れるより前に受け止めたサキュバスの腕で押し切られた体が仰向けに広がり、紫色のボディースーツがその上へ重なった。
「解ったよ……アンタの望みどおり、デカピンクを元に戻してあげるよ……」
声は瞬く間に柔和に変わり、囁き声へと変わった。ジャスミンの身体を両脇でしっかり抱え、身体を密着させた。サキュバスは顔をあげると、部屋の隅にいるバーツロイドに頷いて見せた。
「でも、デカピンクはなんて思うかしら。アタシに洗脳され、デカイエローを捕らえるための捨て駒に使われたなんて知ったら……?」
「!!」
「でも、これも全てアンタが望んだこと……もう変えることの出来ない記憶だわ」
「ひ……卑怯!」
「だって、デカイエローを滅茶苦茶にしてあげたいんだもの……」
ジャスミンの身体は動きを徐々に強めたが、動けば動くほど締め上げられた身体が動くはずもなく、サキュバスは喉を鳴らして威嚇した。
まもなくデカピンクが連れて来られ、喚くデカイエローを尻目に、サキュバスはピンクの腕を握った。光が現われ、よろけた拍子にデカピンクの変身が解除され、制服姿のウメコがバーツロイドの用意した椅子に掛けた。身体は汗で濡れていた。
「さあ、あんな仲間の心配より、次は自分の心配をしたほうがいいかもね……」
ジャスミンに話し掛けたが、呆然となった彼女は口を開いたまま反応すら示さなかった。サキュバスはその頭にこの娘にもう何度もしたように腕をあて記憶の一端を見せてやった。その中には、ジャスミンやウメコらによく似た刑事が戦闘服を冒涜され、全てを失い果てる様だった――その格好には見覚えがあった。レスリー星のスペシャルポリス、マリー・ゴールドだ。
「仕方ないね……」くすりとも笑わないサキュバスは、それでも面白いという顔をして見せた。
「ジャスミン…ジャスミン……?」
その声が白らけた網膜に飛び込んできた。身体のあちこちが凝っていて、動かそうとすると、多少の手間がかかった。瞼を開けると飛び込んできた黒とピンクを基調としたジャケット、年齢の割りに幼い顔立ちの、ウメコの顔――頬が煤け、額に擦り傷があった――を見ると、ジャスミンは思わず動いた。
「ウメコ! ウメコなの!?」
「そうだよ、そうそう。……何があったの!?」
「何があったのって…」ジャスミンはウメコに抱きかかえられるようにして起きた。ここは――目の前には金属製の格子がはまっていた。確認するまでもなく、ここは牢獄の類らしかった。「サキュバス・ヘルズに――」
言葉が詰まる。そのとき、格子の外からハイヒールを踏む音が聞こえ声が被さって来た。
「アタシに洗脳されたデカピンクが、デカイエローを捕まえてきてくれたのさ……」
「へ…………」
ウメコは、ジャスミンからサキュバスへ、視線をうつした。
「あたしが…ジャスミンを……」
「違う!」ジャスミンは立ち上がって、格子に手を掛けた。氷のように冷たく、皮のグローブを通しても突き刺すような感じはやわらぎもしなかった。
「ちがう? アッハハハッ! 宇宙最高裁判所でも認める事実だよ」
「……本当なの、ジャスミン…」
全身の力が一気に抜けていくような感覚だった。その場にあひる座りになって、ウメコの言葉に頷いた。
「だけどね、ウメコ……奴の罠だから」
「そうとも限らないんじゃないの?」サキュバスは格子をヒールで小突く。「アタシの命令は、潜在意識の中に、相手を倒したいと思ってる相手じゃないと、通用しない……」
「嘘はもうやめて!」
ジャスミンはポケットに手を入れた。いつもそこにあるSPライセンスは……
「――ない、ないっ!」
「バッカじゃないの?」醒めた口調のサキュバスは、二人のSPライセンスを見せると、足元においた。「ま、今はゆっくり、頭を冷やすことね……三途の川を渡る前に、身の上話の時間をあげるわ」
サキュバスは足音を特別大きく響かせて部屋の外へと消えた。牢獄は静まり返り、音らしい音はしない。押し黙るジャスミンの背後で物音がした。気配がして、声が聞こえた。
「ごめんね……」
「ノンプロブレム…ウメコ」
ジャスミンはそれ以上言う言葉を紡げなかった。
「とにかく、今は逃げないと……」
ウメコがそう言い出したのは、サキュバスが消えてからどれだけ経ってからか、ジャスミンには解らなかった。
「だけど、どうやって?」
「それを考えないと…」
「みんな、何してるかなぁ……」
ジャスミンは不意に記憶を巡らせた。いつもプラス思考のバン、スーパークールなホージー、論理的なセン、いつもプラス思考のバン――不意に頬をはたかれた。
「ジャスミンのバカ!」
「何っ……」
頬に広がるジーンとしたところに手を充てながら、目の前を見る。ウメコがいた。
「前を見て、ジャスミン! 今はここから逃げないと!」
言葉を失った。ジャスミン自身は諦めようとしているのに――ウメコはそうしなかった。彼女はサキュバスに操られてもいたのに――事実、サキュバスはウメコが洗脳を解かれれば、絶望すると踏んでいたのに――ジャスミンの気持ちの中に、スペシャルポリスとしてずっと持ち続けてきたプロとしてのプライド、勇気、いろんなものが思い出されてきた。
「オールライト!」
「そうそう、オールライト!」
立ち上がり、ウメコに頷き、彼女も頷いた。
「あたしたち、地球署のツインカム・エンジェルだもん!」
出し抜けに響いた着信音に二人は目を見合わせた。これまで無線もままならない場所にいたのに、目の前のSPライセンスは着信音を響かせていた。
「ウメコ、ジャスミン、応答しろ! ウメコ、ジャスミン!」
「ボス!」
ジャスミンは声をあげた。音声に反応して通話状態になったライセンスにやや雑音が混じった。
「ジャスミンか?」
「そうです、ボス! ……今、ウメコにサキュバスに捕らえられて……」
「ああ、電波の発信元を辿って、今からバンたちを急行させる!」
「「ロジャー、ボス!」」
「アンタたち、何してるの!」
物音に気付いたらしいサキュバスは、室内へ飛び込んでくるなり、SPライセンスを蹴り上げる。壁にあたって、地面に落ちたライセンスを見、ジャスミンはサキュバスを見据えた。
「ははあん、仲間が助けにくるからって、いい気になってるね。だからって、アンタたちの運命は変わらないんだよね……」
ジャスミンは思った。隣にいるウメコ、無線にでたボス、沢山の仲間の刑事――
「運命なんかどうだっていい――あたしは、あたしの正義を信じる……あたしはそう信じたい!」
せせら笑うサキュバス、ジャスミンは手を伸ばした。
「エスパーはこんなこともできるんだから……」
意思の思念がSPライセンスまで届くと、ふいと壁際から浮き上がったSPライセンスがジャスミンとウメコの手の中へ飛び込んできた。
「チェンジ・スタンバイ!」
「ロジャー!」
「何ッ!?」
「エマージェンシー・デカレンジャー!」
変身が完了するかしないかで、ジャスミンはゼニボムを格子に向かって投げた。格子が爆破とともにはずれ、二人はサキュバスの目の前へと踊り出た……
「サキュバス・ヘルズ! 大量破壊、殺人、略取により79の星を消滅させた罪、及び宇宙警察官略取の罪で――ジャッジメント!」
そのときはサキュバスをとり逃したものの、やがて乗り込んできた特キョウ――テツの助力を得て、デカレンジャーはヘルズ三兄弟をデリートした。
事件のヤマを潰した晩、地球署署長ドギー・クルーガーは「今回の事件の報告書は要らん」と、ウメコとジャスミンに告げた。
報告書には事件の最中起こったことを事細かに記入せねばならず、そうすれば、おのずと表に出してしかるべきではない事実までが明らかになってしまう。
サキュバスの牢獄から助け出された二人の事件への、これ以上の関与を強く反対し休暇命令まで出したドギー・クルーガーの――実際には「休暇中なら何しても自由でしょ」と二人が言い、有名無実と化した――せめてもの心遣いに他ならなかった。
「でーもさぁー、ヘルズ三兄弟なんて、宇宙イチのスペシャルポリスのリーダーのあたしに掛かれば! イチコロだったねぇー」
「よく言うわよ」
噴水への階段を下りていくウメコに、ジャスミンが続いた。ショピングモールには夜の帳が下りており、人影もまばらにしかなかった。
「とーぜんでしょー」
自宅謹慎! 今日は家で休んで寝ろ! と、言いかねないボスを尻目に、「報告書がないなら、買い物いく時間が出来たー!」とはしゃぐウメコに、帰ろうとしていたジャスミンが引きずられ、私服で街へと繰り出したのであった。
「リーダーが倒したんじゃないんだからね。地球署のみんなで……」
「細かいことはなしなし! でも、ジャスミンのこないだの格好良かったよー」
「こないだの?」
「『運命なんかどうだっていい――あたしは、あたしの正義を信じる……あたしはそう信じたい!』」
ポーズまでウメコは真似て見せる。苦笑いのジャスミンは彼女の背後で、噴水が一気に水圧を強め、同時にスポットライトに飛び出した水がキラキラ光る様子が現われた。
「きれい……」
「え、あたし? あたしが綺麗!?」
「ナンセンス」
テツのまねをして指を振る。頬をふくらませたウメコが段を駆け上がり、ジャスミンのすぐ下へ来た。
「あたしが綺麗って言ったのは」といって、ウメコの耳のあたりをジャスミンが両手で抑え、顔を後ろへと向けさせた。「こーれ」
噴水が二度目の勢いで大きく水の弧を描く。すっかり空は暗く、スポットライトの照明は何箇所にも反射して見えた。驚嘆の声を漏らす彼女から手を離し、ジャスミンは段を二つ降りた。
「すごいよ、ジャスミン!」
「うん、ブルーライトヨコハマ!」
彼女の駄洒落に珍しく笑い出すウメコ、その手をジャスミンは握った。思わず真顔に戻り顔を見合わせた。
「色々ごめんね、今回は。あたしのために……」
「ううん、こっちのほうこそ…」途端にウメコは俯いてみせた。
「これからもよろしくね」
「うん!」
ウメコは、ジャスミンの動作に瞼がひっくり返るほど持ち上がり、息が止まる自分を感じた。薄い化粧水の匂い、上手に引かれたマスカラが見えていた。だけど……そのまま身を委ねて瞼を閉じた。心地よい想いが身体いっぱいに広がり、思わず手を握り返していた。
「さっ、ウメコ。どーんと、夕ごはん、いってみよう!」
「ロジャー! どーんと……なんにする?」
「じゃあ、どーんと、中華でいってみよう!」
「どーんと中華ね!」
「どーんどーん!」
噴水の前まで来て、ジャスミンは腕を伸ばしてみせた。