―ここは何処なのだろう
―自分は誰なのだろう
真っ暗な闇の中だ
どこかなんてわかるわけはない
では、自分は何者なのか
「アタシ…は…」
―海賊
確かそうだった気がする
―ガレオン、―モバイレーツ、―レンジャーキー、―トリィ、―お宝
自分にとって重要だと思われる単語が、いくつか頭の中にある
―マーベラス、―ジョー、―ハカセ、―アイム、―鎧
それらの名前をつなげていき、やがて意識は覚醒した
「…!!」
ルカ・ミルフィは、ようやく―といってもあれからどれほどの時間が経ったのかわからないが―目を覚ました
まず思い出されるのは、あの地獄のような歌声
それが、脳裏に蘇り―
「…うぅっ!」
思わずおう吐してしまいそうな感覚に襲われるが、それを何とかこらえる
―敗北
そう、自分は敗北した
完膚なきまでに敗れ、捕らわれたのだろう
ではこの場所は―
(ザンギャックの本拠地…!?)
その時、
「お目覚めかしら?」
吐き気を催すような声と同時、いくつかの方向から強い光が当てられる
「―――っ!?」
暗闇に慣れていたルカの瞳はその光に対応できず、大きく顔をそむける
それが落ち着くと、
「口紅…歌姫…!」
憎々しげな口調と共に、激しく睨みつけた
「あら嫌だ、怖いわねぇ。カワイイお顔が台無しよ」
「うる…っさい!!」
精一杯の虚勢で相手を睨みつける
どうあってもここから脱出できないのはわかっている
それでも、この目の前の怪人に屈することはプライドが許さなかった
「すっかり元気になったのね。普通あれほどの攻撃を受ければ脳髄が破裂して一生植物人間でもおかしくないのに」
敵は愉快そうに笑い
「流石は正義のヒロインちゃんねぇ。ステキよ、その姿」
現在ルカの身体はY字に固定され、身動きを取ることはできない
「…!」
屈辱に身を震わせる
「いらっしゃい」
口紅歌姫がそう言うと、5人の少女達が姿を見せる
「フフフ…」
顔に異常なほど濃い化粧を施された少女達は、不快感を催す程に口の端を吊り上げて笑っている
「…無様ね」
「あれだけカッコつけてたのに、捕まっちゃうなんてだっさ~い!」
「弱いクセにお姉さまに逆らうからこうなるのよ」
口々に発せられる罵倒の言葉を、しかしルカはまるで興味のないような表情で受け流す
すると、
「何よその目は!?」
少女の一人―岡本愛美が、ルカの首を締め上げようと手を伸ばす
「…っ!」
いくら非力な少女とはいえ、首を思い切り絞められては呼吸ができなくなる
その時、
「止めなさい」
口紅歌姫が制止する
すぐに力が緩まり、ルカの首から少女の手が離される
「申し訳ございません、お姉さま」
恭しく膝を着き謝罪する少女に、口紅歌姫は
「気にすることではないわ」
「お姉さま…」
言うと、少女は幸せそうな顔をする
「でもね、この娘をいたぶるにはもっといいものがあるの」」
「…?」
その言葉にルカは訝しむ
自分をいたぶるための道具とはなんなのか
碌でもないものなことは明らかであり、思わず顔が強張る
「フフフ…」
しかし、笑い声と共に口紅歌姫が取り出したのは―
「それは…!」
モバイレーツとレンジャーキーだった
(何のつもり…?)
同様を隠すように装うが、頭の中には疑問だらけだ
すると口紅歌姫は、レンジャーキーをモバイレーツに挿し込んだ
「…なっ!?」
驚く間もなく、ルカの身体にフィットするようにスーツが装着される
ゴーカイスーツ―それは、着用者に大きな戦闘能力を与えるものだ
しかし、
「く…あ…」
マスクの装着されていないルカの顔は、苦悶の表情を浮かべている
「フフフ…」
口紅歌姫は満足気に笑うと、
「インサーン様に貴女のスーツを少し弄ってもらったわ。今貴女が来ているのは戦闘服ではなく拷問服…といった所かしらね」
ボディーラインを強調するようなデザインのスーツは、装着されると同時にルカの首、腕、胸、尻、太股―身体中を締めつけるように圧迫し始めたのだ
「くぅ…!」
堪らず息を漏らしたルカに、口紅歌姫が告げる
「安心なさい、ソレは気絶しない程度の苦しみが与えられるように改造してあるから」
敵の嘲弄に言葉を返す程の余裕はない
それほどの苦痛が、頭部を除く身体全体を襲う
「どうかしら?自分のスーツに痛めつけられる気分は」
「ん…かぁ…」
苦しむルカを見て、しかし口紅歌姫は背を向け
「しばらくしたら圧迫は収まるわ。そしたら、このコ達に遊んでもらいなさい」
部屋から姿を消した
「どうだったかしら、口紅歌姫?」
インサーンは上機嫌な部下に、聞くまでもない質問をした
「最高ですわ!あの女の苦しむ表情…もう堪らない!」
喚くように口紅歌姫が返す
「そう、良かったわ。私のアドバイスが効いたようね」
口紅歌姫の先祖は怒りに我を忘れ、ダイレンジャーに敗れた
今度は同じ過ちをせぬよう、慎重な行動を取った
「感謝しますわ、インサーン様」
そういう口紅歌姫に
「いいのよ…それに」
インサーンは不気味な声で、
「そろそろ彼女にも“お化粧”してあげるのでしょう?」
インサーンと口紅歌姫二世―2人の怪人の口の端が歪んだ
5人の少女は、磔になったルカの前にニヤニヤとうすら笑いを浮かべ立っている
「今すぐアタシを解放してくれないかしら?じゃないと…」
ルカは剣呑な口調でいった
「あとで痛い目見るわよ」
それに対し、
「イヤだ、怖~い」
「あんなに痛めつけられて醜態さらして、まだそんなこと言えるのね」
「流石女海賊さんね、太い神経をお持ちだわ」
まだ年端もいかない少女達の嘲弄に、ルカは怒りを帯びた表情で耐える
「あら、何かしら?その目は」
少女の一人―熊谷茜は笑い顔から一転、冷ややかな表情をすると、ルカに近寄り、
「何か勘違いされているようですが、私達がその気になれば貴女を殺すことなど容易いのですよ」
その言葉に思い浮かぶのは、
「―!!」
殺人ソプラノの音色
脳髄に刻みこまれたその恐怖は、ルカの表情に怯えの色をもたらす
「カワイイ顔できるじゃないですか…そうやってイイ子にしてれば、悪いようにはしませんよ」
と言って、身を引く
すると、桐生翔子が
「少し、私とこの人を二人きりにしてもらえないかしら?」
というと、
「翔子…どうして?」
岡本愛美の疑問に、翔子は
「お話したいことがあるの。少しだけだから」
と言うと、少女達は顔を見合わせ
「…わかったわ、少しだけよ」
二人きりの部屋
Y字に磔にされた女海賊と、濃いメイクのされた女子高生
「…何のつもり?」
相手の意図を掴めないルカは、訝しげに言う
「私…思うんです。貴女にもっと早く会えていたらって」
静かに、少女は語りだした
「今まで勉強しか取り柄がなくて、親ともうまくいかないし、友達もできない。そんな自分がずっと嫌でした」
「こんなの本当の私じゃないって、ずっと思っていました」
「だから、誰かに助けてほしかったんです」
「貴女なら、そうしてくれたかもしれないのに」
淡々と話す翔子の言葉に、ルカは思わず動揺する
この桐生翔子という少女がどのような悩みを抱えていようが、本来ルカには関係のない話だ
確かにルカが彼女の境遇を知れば、その姉御肌な性格から何か手を差し伸べたり、助言を与えたりしていたかもしれない
だが、それはあくまで仮定の話だ
もっと早く出会っていれば、などという仮定は全くもって意味をなさない
少女の話は、支離滅裂という他ないのだ
しかし、
「アタシ…は…」
ルカは狼狽を隠せなかった
「どうして私を助けてくれなかったんですか?」
その言葉が、ルカの心に突き刺さる
「違う…リア…アタシは…」
うわ言のように呟く
昔亡くした、幼い妹の名―
唯一の肉親だった妹は病気にかかり、豪雨の中命を落とした
その事実は、今でもルカの心に重くのしかかっている
口紅歌姫との戦闘中、ルカは翔子を妹に重ね合わせていた
そして、精神と肉体が極限まで痛めつけられた今、少女の姿はまるで死んだ妹が自分を責めているように見えた
『どうして助けてくれなかったの?』
『雨の中ですっごく痛くて、苦しかったの』
『お姉ちゃんが早くお医者さんに連れて行ってくれたら、助かったのに』
『お姉ちゃんが私を―』
『―殺したんだよ』
目の前の幻影は、ルカが脳内で作りだしたものでしかない
しかし、それがゆえにルカの抱える心の傷を、的確かつ痛烈に抉った
もはや、精神を保つことは不可能に近い
それでも、ルカは
「今からでも…間に合う…だから…」
力無く、目の前の少女に行った
対する翔子は
「遅いですよ、もう」
冷ややかな目を向けた
「私を助けてくれたのは、口紅歌姫様なんですから」
「あのお方が、私を救ってくれたんです」
「そして、私に『幸福』をくれたんです」
「だから、私はあのお方に永遠に尽くします」
ああ―
ルカは、理解した
少女達は、「操られている」のではなく、
根底から「変えられている」のだ
口紅歌姫に絶対の忠誠を誓う傀儡として
しかしそれがわかったところで、ルカにはどうすることもできない
そのまま、精神と肉体が極限に達したルカの意識は闇に呑まれた