[迷子の子猫]

「さくら、さくら…」
 遠くから、誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。誰なの? 私を呼ぶのは誰…?
「ここだよ、さくら…。おれはここだ…」
 聞こえてくる声を頼りにして、わたしは振り返る。しかしわたしを呼ぶ人の姿はない。みんなただ、わたしのそばを行き交うだけ。あなたは誰? わたしを呼ぶのは誰?

 …目を覚ます。夢だ。わたしは一人、ベッドの上で眠っている。いつもの、何もない殺風景な基地の一室で、ひっそりと目を覚ました。
 菜月みたいに飾りたてれば、こういうとき、少しは気が紛れるのかな。
 何かとても大切なものを傷つけてしまったような、そんな感覚が、わたしの思いから離れてくれない。一人ふたたび、タオルケットにしがみついてもう一度眼を閉じる。深く、ゆっくりと、安息のときを探す。

     ★

 シュタン、と微かな風切り音が聞こえて、青い影がひざまづいた。
「エッヘッヘ~、このあたしにかかればちょろいもんだモンにィ~だ」
 ちょっと鼻にかかったコケティッシュな声で、シズカは白く並びのよい歯を見せて語尾を伸ばした。暗い廊下に響くうちに声は沈んでゆき、自分の声とは思えなくなった。そんな自分の声につい笑みが漏れ、でも声は抑えた。
「まったくシズカよ、喋らんと動けんのか!!」
「うぅん、できま~す」
「できるんならちゃんとせい!!」
 ううぅ…、怒られちった。それでも悪びれる様子もなく、カラッとすぐに立ち直る。シズカの天性の才能はゲッコウも認めている。何より、今のところは、シズカにはこのゲッコウとの日々が楽しくてたまらなかった。
 口うるさく子供扱いするヤイバがいなくなり、組織を維持して行くにも負担や仕事が増えた。ゲッコウ様には無理に組織を大きくしようという考えはないようで、なんとかやりくりをして仕事を続けている。自分の後のこと──といっても、ゲッコウ様はあと何十年、何百年かは生きるだろうけど──はシズカに託すともおっしゃった。張り切る自分をときどき押さえきれなくなる。少しくらい怒られたって、なんてことはない。
「さ~て、今回の獲物ちゃんは、どこにいるのかなぁ?」
 センサーに引っかからないように天井に逆さまに貼り付いたまま、シズカは廊下を進んでいく。ゲッコウはその肩につかまると、コウモリのようにやはり逆さまになって前後を確認した。ゲッコウの眼は赤外線を見て取れる。どこが警戒されているのかもたちどころに解る。センサーの多い部屋には何かあるに違いないのだが、今日の獲物はプレシャスではなかった。
「妙…じゃな。この階には、変に警戒の強い部屋が多いような気がするのじゃが…」
 シズカから聞いた限りでは、この4階はサージェス隊員の仮眠室が集められたフロアのはずだ。隊員の部屋にしては、その警備の重要さは不釣り合いなように思える。
「ゲッコウ様ァ、何かおっしゃいました~?」
 いぶかしむゲッコウには気にも留めず、シズカはリズムを取りながら進んでいく。階段脇に掲げられた数字に、ゲッコウの顔が思わず歪む。
「シズカよ、ここは?」
「ここは? って、ここは5階ですよ、ゲッコウ様☆」
 バカモン、4階じゃ! そうは思ったものの、怒鳴るのはやめた。自分の性格が円くなってきたのか、最近どうにもシズカを怒鳴ると胸が痛む。
「あ~、そうか! 4階でしたっけねぇ~?」
 両手を口に当てて素っ頓狂な悲鳴をあげる。ゲッコウも、思わずため息をついた。

     ★

 …やっぱりダメ、眠れない。

 さくらはベッドから下りて、冷蔵庫に向かう。ペットボトルのお茶を取り出して、そのまま飲んだ。…プハッ。らしからぬ音を立てて息をつくと、ベッドに身体を投げ出した。
 仰向けになった身体に、胸のふくらみがふたつ、のっかっている。わたしがわたし、女であることの証でもある。
 以前は、自分の性を嫌悪していた。自分が女だということが本当に嫌だった。財閥の跡取り娘としても、自衛隊選り抜きの特殊部隊の隊員としても、女でさえなければもっと自由になれるのに。そんなふうに、いつも思っていた。ガラスの檻に入れられて、どう動いても抜け出すことはできず、どこへ行こうと出られないような、そんな圧迫感を感じていた。
 どこへでも行くことができるのと、どこへでも行くのとでは天と地ほどの差がある。わたしはあの頃、望めばどこへでも行くことができた。でも実際には、どこへも行けなかった。どこへも行かなかった。何を見ても何を聞いても、写真を見てCDを聞いているようだった。生命を危険に晒す特殊部隊の日々にも、その実感は変わらなかった。わたしに足りないのは方法ではなかった。むしろ方法は有り余るほどあふれていた。わたしに決定的に足りないのは、目的地だった。わたしは、迷子だった。
 サージェスに入って、暁さんに出会って、それが少しずつ変わっていくのをわたしは感じていた。あまり多くは語ってくれないけれど、暁さんはどこへでも行き、帰ってきてくれる人だから。途方もないくらい沢山の目的地を持っている人だから。そんな目的地をひとつでも多く、彼と一緒に見てみたいと思う。
 暁さんのパートナーになりたいと、思う。かけがえのない女性になりたいと、強く思う。あるときから、それがわたしの目的地になった。そう決めると、自分が女であることなどだんだんどうでも良くなっていった。

 ゆっくりパジャマのボタンを外し、ブラジャーを外した。最近、胸に少し張りが出てきたような気がする。両手で寄せて、上げてみる。それほど大きくないさくらの胸でも谷間ができて、さくらは笑った。
 張りつめ、固く尖った乳首を人差し指でつつく。しびれるようなくすぐったいような、そんな心地よさがじんわりと伝わってくる。
 恐る恐る、右手をパンティーの中に忍び込ませる。陰毛のザラッとした感触の中に、熱い、さらさらの液体が指にまとわりつく。取り出した指を目の前で開くと、細い糸状になって粘液が伸びる。何度見ても、それが自分の身体から出てきたものとは思えなくて、不思議な気分になる。
 左手だけで乳首を転がしながら、右手だけでパンティーを脱ぎ捨てる。本人にその自覚はないが人一倍長い脚が絡まり、強引に引き剥がすようにするとそれは小さな布切れのようになった。ベッドの上から、無造作に、投げ捨てる。
「さ、さとる…さん…」
 普段なら呼ぶことのない名前を、こういうときには、隠れて呼んでみる。さくらにはそれだけで顔も、話し方も、何気ない仕草さえ思い出されてくる。
 ふと、さくらは昨日のことを思い出した。4日間にわたるプレシャス探索の最終日、ネガティブ・シンジケートは現れなかったものの、山奥深くに存在するというプレシャスを目指して、5人で山を巡っていた。
 先陣を切ってチーフが進み、イエローとブラックが確保したプレシャスを保護しつつ次を行く。ブルーは周囲に気を配り、最後尾をさくらがついていく、という布陣だ。さくらは皆から少し遅れがちに、後ろ向きに歩を進めていた。
「さくら姉さん、そこ、そこ罠が!」
 ブラックの鋭い声も、一瞬遅かった。
「え、あ、あああああぁっ!」
 罠でも何でも、シンプルなものほど見つけづらい。迂闊にも、さくらは左足を罠に取られて空中へ舞い上がった。
「さくらー!」
 さっきの真墨よりも強い怒声が響いた。チーフだ。赤いスーツが虚空にひらめき、気づくと、さくらの身体はチーフの腕の中にあった。
「大丈夫か、ピンク」
「はい、すみませんでした、チーフ」
 バイザー越しに見えた顔は、冷静なチーフのものだった。でもさっき、確かに名前を呼んでくれた…? さくらの胸が、高鳴る。
「あの、チーフ」
「なんだ?」
 勇気を出して話しかけたが、それ以上はやっぱり恥ずかしくて言えなかった。もう一度、名前で呼んでいただけませんか、なんて。耳の奥に、それでも暁の声が貼り付いている。
 我に返ると、両脚はだらしなく広がり、両手は自然と、快感を求めてうごめいていた。股間はぐっしょり濡れ、蜜を掻き出すように何本もの指が勝手に大切な部分に潜り込もうとする。
 誰かの足音がした。さくらは何も気づかなかった。鍵が、開く。

     ★

 シズカはひとつひとつ、ドアを開けて回っていた。サージェス隊員の部屋が並ぶ4階には罠らしい罠はなく、各部屋のセキュリティも甘かった。せいぜい指紋認証システムがあるくらいで、シズカにとって振り解くのはさほど難しいことではなかった。
「ここは…イエローちゃんか。可愛ィ~い寝顔しちゃってェ~。でも今日はね~、見逃してあ~げるっ!」
「えーっと…これ誰だっけ? あ、シルバーか。寝てるときまでカッコつけちゃって~」
「これは、ブラックだ。全ッ然興味ナ~シ」
「ここは…誰もいないや。誰の部屋?」まぁいいもんねぇ~、とシズカは古びたペンダントをポケットに滑り込ませる。
「この部屋は~っと、ウえェ、ブルーだァ~! 寝顔はこ~んなに可愛いのに、イーだ」
 蒼太の寝顔に、舌を出してみせる。声色も半音あがっている。早く行かんか。ゲッコウはシズカに聞こえないように一人言ちた。

「シズカよ! 1時間も何をしとるんだタワケ!」
「すみませんでした、ゲッコウ様ぁ…」
 蒼太の寝顔に興奮し1時間にわたって部屋を物色し、デレッデレの表情を振りまいたシズカに、さすがのゲッコウも堪忍袋の緒が緩んだ。
「あんな長い時間部屋を漁ったりして、もしボウケンブルーが目を覚ましたらどうするつもりだったのじゃ、シズカ」
「え~っと、それはあの、あんなにいつも生意気なブルーがしおらしく眠ってると思ったら、あの、なんだか興奮してきてしまいまして、あの、その……エヘヘ」
 もうよい、おぬしがブルーに惚れとるのは十分解った。ゲッコウはあきれたような声で告げる。
「そそそそそんな、めめめ滅相もございませんゲッコウ様ぁ…」
 シズカはゲッコウの怒気に気づいて平伏する。
「それで。今日の獲物は何じゃったかな、シズカ?」
「ボウケンピンクを辱めることでございます。二度と立ち直れないように」
 鋭い目つきがシズカに戻った。後は任せるからの。そう言い残すとゲッコウは満足そうに飛び立っていった。

 鍵はものの2秒足らずで開いた。人間が再び開けられるように作ったものなら、シズカはたちまち開けられると自負している。またそうでなければ、ダークシャドウの実働部隊は務まらない。
 ドアを押した。重いドアは静かに動く。廊下の光が部屋にも射し込み、敷き詰められた絨毯が見える。シズカはドアに身を寄せて忍び込む。
「あれれれれれれ?」
 思いもかけぬ光景に、シズカは目を見開いた。暗い部屋の中で、荒れた息づかいが聞こえてくる。こみ上げてくるものを必死で押し殺しても、押さえきれずに洩れてくる熱い熱い吐息だった。
 一際ゆっくりとしたスリ足で奥へと忍び込んでいく。ターゲットは既に始めているところだった。ベッドに両足をつけ、はしたなく股間を広げ壁に背をつけて座り込んでいる。無我夢中でだらしなく開いた口からは涎すら垂れている。両手は胸といい股間といい、快感のスイッチをのべつまくなし押し続けている。ひとつスイッチを押すたびに、汗やその他の液体が飛び散る。程良く肉が付き、それでいて決して太すぎない太股は、肉感的なシズカとはまた違った健康美を見せつけている。
「ああぁ~ヤバいなァ~。あんなに盛り上がっちゃってェ~。どォしよぉかなァ~?」
 シズカの手には媚薬が握られている。本来ならば眠っているピンクに媚薬を嗅がせ、そのまま押し込めてしまうつもりだった。だがこの状態で出ていっても、正気に戻られてしまって話にはなるまい。体裁とか羞恥とか、そういうものでは脅迫にならない相手なのはわかっている。どうにかして自分から裏切り、寝返るように仕組まねばならないのに──。
「あ、さ、さとる…さん…」
 吐息混じりの声の中に、シズカは男の名を見つける。さとる、さとる、さとる…。
「明石暁! 不滅の牙!」
 幾度となく煮え湯を飲まされた名に、シズカの胸が沸いた。
「ピンクちゃん、ああいう男が好きなんだ~。趣・味・ワ・ルッ!」
 シズカは特に、ああいう熱い男が嫌いだった。吐き捨てた最後の言葉の語気の強さとは裏腹に、シズカの表情は邪な笑顔で満ち満ちていた。美貌の少女が、魔女に変わる。

     ★

 階段を上る、ひとつの人影があった。
「ふわあぁ~あ、牧野先生もよく頑張るな」
 夕食を終えてから先生の研究室に呼ばれ、新兵器の開発に付き合わされた。すぐに終わるかと思ったのに、こんな時間までかかるとは予想外だった。
「ま、それも俺たちのためか」
 ボウケンジャーの活動を支えてくれているのは、牧野先生の技術力だ。そのことには暁も感謝していたが、研究に没頭する牧野先生を邪魔しないように待っているのはなかなか面倒なことだった。
「明日は…とりあえず非番か。昼間で寝て、起きたら…」
 解放感と安堵とが混ざり合った、休日前のなんとも言えない充実感が暁を包む。
 …ぐっ。
「誰だ!」
 羽交い締めにされたあと、それだけ叫ぶのが精一杯だった。猿ぐつわを噛まされ、手錠と足錠をかけられ、暁は床に転がされる。
「こんばんは~、ボウケンレッド」
 にこやかな笑顔と声で、暁は顔をのぞき込まれた。ダークシャドウの女忍者。なぜおまえが!
「あたしはネ、ドコにだって侵入できちゃうんだョ。知らなかった?」
 サージェスのセキュリティももっと固めないと…。暁は変に冷静に、そんなことを思った。まず目的を探ろう。
「あげが、あげごごぎ!」
 何故だ! 何故ここに! 暁はそう言ったつもりだったが、シズカにはさっぱり届かない。
「何言ってるんでちゅか~? 聞こえまちぇんね~。喋れないんでちゅか~?」
 わざとらしい赤ちゃん言葉で頭を撫でながら、シズカは暁を一際高い声であざ笑って見せた。暁は我慢強く粘り強く、待つ。
「じゃ、喋れるようになるおくちゅりですよ~」
 懐から小瓶に入った液体を取り出すと、スポイトで暁の口元へ何滴も垂らした。堅くつぐんだ口唇を察して、シズカはその細く長い指でこじ開け隙を作る。桃色の液体はとろみを持ち、ゆっくりと暁の口腔に流れていく。
「飲み込まないようにしてもムダだョ~ん。粘膜から吸収される特製品だからネ~だ」
 …くっ。何なのかも判らぬ薬を易々と飲み込むわけにはいかないが、それも時間の問題か。口腔内に溜めた液体が心なしか熱く感じる。
「ガマンしちゃダ~メ」
 いきなりシズカに鼻をつままれた。すこしずつ呼吸が苦しくなり、そのタイミングを見計らうように胸を衝かれた。暁はせき込み、半分ほどの薬がのどの奥に消えた。
「ねェ知ってる? あたし、あなたが欲しいの。こんな競い合うような関係じゃなくて、もっと…」
 シズカは暁の体を抱き起こすと、たっぷりの想いを込めてささやいた。無論、嘘だ。どれほど白々しい言葉に想いを込めて伝えるか、それがハニートラップの基本だ。最初の一歩を相手にどう踏み出させるか。そのあとはこちらのリズムで如何様にもなる。薬を使ったときほど、基本が重要だ。その程度の心得は、それが専門でないシズカにもある。
 猿ぐつわを外す。暁の顔の正面から、頭を抱き抱えるように両手を後ろに回し、留めたホックを外した。目の前にシズカの胸の谷間が迫ってきて、ふわっと微かな香りが花をくすぐる。
「…えっち」
 暁は驚いてシズカの顔を見た。この女もこんなに屈託のない笑顔をするのか、と、意外に思うほどの柔らかな笑顔だった。
「さとるさんのえっち」
 もう一度、目と目を合わせてささやく。さっきよりも強く、はっきりと甘い香りを感じる。それが本当の香りなのか、錯覚なのかは暁には判らなかった。もちろん、少しずつ毒が回っていることも。

 シズカの身体が覆い被さるように倒れ、暁とシズカの口唇が重なり合う。彼女の舌が暁の口唇をつつき、誘い、騙し、弄んだ。無邪気なほどに奔放なその舌を受け入れようと口唇を開くと、シズカの唾液が流れ込む。甘美で柔らかい舌の感触が暁の口の中に充満する。唾液をまとい濡れた舌とやはり舌とが絡み合い、お互いをより強く求め合う。
 シズカは口唇をはがすと、暁の目をねっとりと見つめて大きく息を吸った。宝探しのときと同じか、それよりも胸が何故か高鳴る。
「ねェ、さ・と・る」
 一音一音が耳に届くたび、世界がぐるぐると回って遠ざかっていく。暁は目を閉じてガマンする。シズカは暁の動きに乗じて再び軽いキスを交わす。
「なっ…あぁ…」
 目を閉じると、今度は股間からの快感が正面から伝わってきた。紛らわせるものがなくなって、悦楽はまともに暁を襲った。シズカの身体は上半身と下半身とがまったく異なる表情をたたえて暁に迫ってくる。上半身は天使の皮をかぶった悪魔であり、下半身は本能のままに動く野獣だった。事実シズカは暁の一物をくわえ込んだまま、強弱をつけながらたっぷりの愛液をまぶしつけ、暁から快楽を搾り取ろうと締め上げる。
「さとる、あたしの言うことが聞けないの?」
 畳みかけるようなシズカの腰つきと快感が暁の思考をバラバラにする。逆らわねばならないとは思うのに、頭で思うことがうまく伝わらない。シズカの四肢は暁の身体を押さえ込み、重く打ちつけられる腰が快感と引き替えに理性を少しずつ奪ってゆく。聞けないの、と言われると、なぜだか従わねばならないような気にさえなる。
「さとる、あたしのおっぱい、触って」
 シズカは暁の右手を取って、自分の胸に押し当てる。ふわふわの柔らかさが手から伝わり、暁の快楽神経を直撃する。
「さとるになら…いいよ…」
 とどめの一撃。胸に当てた暁の右手が、シズカの胸のふくらみを味わうようにやわやわと動き始める。
 …やった! 不滅の牙が、今やあたしの思うがままだ。あと少ししっかりと調教してから、本当の獲物のところに向かおう。

     ★

「あとは…ココ…、と」
 鏡を見ながら、シズカは人差し指で自分の目尻を引っ張った。それまでのどこか幼い印象が一気に引き締まる。床で眠る男の顔と鏡に映る自分の顔を二、三度見比べると、シズカはその出来映えに満足げに微笑む。
「あんたの顔もらうよ、バ~カ」
 シズカにしてみれば他人に化けるくらい朝飯前だったが、引っかける相手が変装する対象に過度の思い入れがある場合には何がきっかけでバレるか判らない。迂闊にやれば、長年培ってきた経験と習性がたちまち見破ってしまうかもしれない。
 でもまぁ、これは完璧でしょ! シズカはもう一度、暁の顔をまじまじと見た。ぐっすりと眠る暁の寝顔はあまりにも脳天気で、嘲るように笑う。
「起きなさい、間抜けなレッド君」
 暁の顔を平手で張る。顔をしかめ、口唇を歪めるように目を開ける。
「俺が…二人…!?」
 状況を認識し、つかみかかろうとした暁の両腕は手錠で拘束され、放った蹴りはかわされる。
「坊や、あたしの言うコトが聞けないの?」
 もう一人の自分の口から放たれている女の声に、暁の身体を痺れるようなとろけるような甘い感触が駆け巡る。その声を聞くと、すっかり逆らう気力が失われて、それで……。
 すかさずシズカは暁の口唇に自分のそれを重ねた。たっぷりと時間をかけて舌を絡め合い、唾液を含ませる。傍目には、同じ顔をした男同士が口唇を重ねているようにしか見えない。それは奇妙な光景だった。
 キスが続くにつれ、暁のまぶたはさらに下がり、瞳からはいつもの光が消える。
「あたしのコト、好き?」
「好き…です…」
「じゃ『シズカ様』って呼んで」
 一瞬の間が空く。
「シズカさま……」
「遅い! 罰よ。あたしの足をお嘗め」
 すかさず鞭を振るう。
 暁はゆっくりとシズカの足下に這いつくばると、ブーツを履く前のシズカの足の甲をペロペロ嘗めた。
 よし! 効いてる!
 それは緊張の一瞬だった。一瞬の間は、微かに残っていた良心が消える時間か何かだったのだろう。無様な不滅の牙の姿にシズカは十分に満足すると、わずかな指示を残して部屋を出た。

「はぁ、はあっ、あっ……」
 吐息も絶え絶えとなるほど、さくらは上気し淫戯に耽っていた。身体が火照るに任せて衣服もすべて脱ぎ捨てて、白く華奢だが女性らしい丸みを帯びたフォルムが露わになる。
「うワぉ、これはこれで綺麗……」
 シズカの豊かな肉体とはまた違う、その美しさに息を飲む。
「さとる…さん…おちん…」
 すべてを言葉に出さなくても、さくらは興奮しさらに濡れてしまう。一通りの知識はあるのかもしれないが、ほとんど経験はないのだろう。時折自らの性感帯を見失っているのを見てシズカはほくそ笑む。
 シズカは自分の股間に装着した模造の男根をしごくように確かめた。プレシャスを利用しているそれは、実際のそれより遙かに魅力的に女性を虜として離さないようにできている。
「さくら……」
 さもうっかり入ってしまったように、さくらの痴態を見ないようにしながら声をかける。
「チーフ!」
 それまでの妄想と目の前の姿とが重なり、自らの格好も思い出したか、さくらは声を裏返して悲鳴を上げた。タオルケットを引き寄せるとあわてて身体をくるむ。
「あの、なぜ……」
「綺麗だよ、さくら……」
 名前を呼ばれただけなのに、鼓動が早まるのを押さえられない。それどころか、なんだか頭がぼうっとして、理性が少しずつ欠けていく。
「あの、チーフ……」
「暁でいい。さくら」
 近づく暁から逃れられず、さくらは身体を隠す唯一の布をはぎ取られた。身体をくねらせて胸や股間を隠そうとすればするほど、さくらの脚線美やスマートなシルエットが強調される。
「さとる…さん…」
 有無を言わさず覆い被さると、さくらの口唇は一瞬で奪われた。言葉は遮られ、さくらは強い意志を感じて仰け反る。
 手と口で、さくらの胸は愛撫される。形良いふくらみが痛みを感じる直前まで揉まれて歪み、くわえられ転がされる。吐息が勢いよくリズムを刻み、興奮が伝わる。
「さくら、良いかな…?」
 シズカは器用に愛撫を続けながら片手で自らの衣類を脱ぐと、パンツひとつでさくらを強く抱きしめた。さくらの身体は細いが柔らかく抱き心地良く、ポテンシャルを感じさせる。その気になれば、何十人もの男を侍らせることもできるはずだ。その必要がなかったのは幸福なのか不幸だったのか。
 男根をさくらの秘唇に押しあてる。しとどに濡れたさくらの淫唇は、ほとんど抵抗なく男根をその中にぬるっと受け入れた。初めてでも痛みはほとんどなかった。予想していたよりもそれが熱いことを知った。憧れの暁のものと思うとあまりにも嬉しくて、さくらの目から涙がこぼれた。

     ★

 わたしの身体にしがみついて、暁さんは繰り返し繰り返しわたしの中に侵入してくる。脇から腕で肩を抱き抱えられ、快感とともに少し感じる痛みから逃れるようとするのを許さない。暁さんの鍛えた胸板がわたしの胸を押しつぶそうとする。胸はそんなに大きくないけれど、少しは魅力的に思ってくれてるかな。少しでも喜んでほしくて、わたしは胸を、暁さんに押しつける。その先が、少し、固くなっている。
 暁さんのそれはわたしの中で熱く大きく固くなっている。それはわたしのことを求めてくれている証のように思えて、とても愛おしい。わたしも目の前の身体を力一杯に抱きしめる。さとるさん。ひとの身体がこんなに温かい。あったかい。
「好きです……すき……」
 何をどう伝えればいいのかわからなくて、わたしはそれだけ、暁さんに告げる。暁さんの表情は変わらない。
「頬が赤いな。かわいいよ」
 ふわふわっと、何かがこみ上げてくるのを感じる。何かとてつもなく熱くて魅力的なものが、快感を伴って押し上がってくる。わたしはもう一度暁さんの身体に抱きついて彼の首筋にキスをする。暁さんの両手がわたしの頭を支えると、彼の顔が傾いだまま近づいてくる。それに合わせて、わたしは目を閉じる。
 しばらく、わたしはそのまま待っていた。触れるはずの彼の口唇がなぜか届かない。口唇の乾きが気になって、わたしは舌を伸ばして口唇をひと舐めした。そしてわずかに口唇をとがらせる。
「どうしてほしいんだ? さくら」
 耳元でした声がわたしを弄ぶ。キスをお預けにされたまま、暁さんは腰をすり合わせるように動かし、左手で乳房の形が変わるくらいの力を込めて揉んだ。短い息がふたつ、口から漏れる。
「き、キスしてくらはい……」
 快感にろれつがうまく回らない。
「キスだな、さくら……」
 確かめるとほぼ同時に、わたしの口唇に覆い被さるように暁さんの口唇が荒々しく重なる。わたしは抵抗もなく暁さんの舌の侵入を許した。わたしも喜んで受け入れ、舌を絡める。暁さんの舌はなんだかざらざらしている。
 わたしはもう一度暁さんにしがみつく。わたしはその幸福にひたっていた。暁さんの身体とわたしの身体とがひとつになるような、そんな……。
 ……!?
 されるがまま、なすがままだったわたしの股間から暁さんの感触がかき消えた。熱いキスは続いている。激しく動かれて外れてしまったのかと思って、腰が勝手に動いて、暁さんを探す。
「さとるさん、どこ……」
 口唇を離して、暁さんに目で訴える。暁さんは不思議そうに笑い、そして告げる。
「キスが欲しいんだろ? キスだけでもいいんだろ?」
「えっ、えっ、あっ、え……」
「ちゃんと言わないと、何もやらないぞ」
 そんなはしたないこと、言えません…。そう突っぱねるはずのわたしはもういなかった。一度でも快感を知ってしまった身体の言うことに逆らうのはもうできなかった。
「えっち、えっち、ください……」
「えっちじゃわからないぞ、さくら。ちゃんと欲しいものを言わなきゃ、な」
 さとるさんの意地悪……。わたしは顔を歪めて暁さんを見た。さとるさんの目つきは強くわたしを見つめ返し、口唇を重ねる。少し拗ねかけていたわたしの気持ちはまた引き戻される。
「おれのこと、好きだろう?」
 大好きです、さとるさん……。そう言ってしまいたい衝動に駆られる。そう言ってしまえば簡単なのに、何が、なぜ、暁さんに好意を示すだけのことが、なんで……。
 暁さんに好きと言うだけのことに、なぜわたしはためらっているのだろう。好き。そう言うだけなのに。何をわたしは怖がっているの?
「好きなんだろう?」
「大好きです。愛してます、さとるさん……」
 わたしは勇気を振り絞って暁さんの瞳を見つめる。暁さんの笑顔が、何だろう、変な感じで、わたしを見下すように、歪んで……。
「ピンクちゃんの、ぶぁ~か!?」
 重い衝撃がわたしの頭を直撃し、気を失った。

     ★

「起きて、ピンクちゃん」
 わたしのことを「ピンクちゃん」なんて呼ぶのは誰だったっけ……。眠いぃ……。
「またお仕置きだぞ?」
「……あぐっ!」
 シズカは揃えた人差し指と中指を一息に、さくらの秘所にめり込ませる。全身に電流が走り、さくらは一気に覚醒する。
「あなた、風のシズカ!」
 起きあがろうとした身体を両腕が引き留める。さくらはレンジャースーツをまとったまま、手錠と足錠をかけられて寝かされていた。
「指じゃ満足しないんでしょ? レッドの凛々しいおチン○ンじゃなきゃ」
「そんな……。そんなこと、ありません!」
 暁に抱かれた記憶が蘇る。暁のモノは確かに屹立して凛々しいモノだったけど、それが……。
「これでしょ?」
 鎖に広げられた両足の間にシズカが身体をゆっくり押し込むと、そう、昨日暁がしたように、シズカの花園に何かを押し当てて、そして……。
 ……むにゅっ。
 何か熱いモノがさくらの中に入ってくる。それはさくらの奥底までも際限なく入ってくる。熱さだけは暁の性器とよく似ていた。これは暁さんのモノなんかとは違う、ただの作り物なのに……。あまり経験もないのに、すんなり受け入れてしまう自分にさくらは混乱した。どうして……。
「気持ちいいでしょ? 素直になりなさい」
 シズカがクイ、クイと腰を動かす。甘い香りがする。のどの奥の方で蜜の味がする。無意識に一番気持ちいいところに当たるように、勝手に腰が動いていく。
「ほら、気持ちいいでしょ?」
「気持ち…良い…です…」
「……何が?」
 すっと、シズカは立ち上がった。何かが入っている感覚はまだあるのに。思わず股間を見た。赤みがかった粘液が青いスーツを汚していた。
「なんで?」
「あんたの股間に刺さってるのはプレシャスでできてるの。もう二度と抜けないわ。一生気持ちよくしてもらう事ね」
 ……! 確かめようと思っても、やはり鎖に阻まれて両手は動かない。
「あたしのスーツ汚れちゃったでしょ!」
 シズカの尻が、さくらの顔に落ちてくる。シズカの股間がさくらの鼻と口を圧迫してうまく息も
できない。なおもシズカは股間をなすりつけ、自分が放ったであろう蜜が顔中をぬらした。
「入ってきな」
「……チーフ!」
 全身を揺すって抵抗する。それはさくらにできる精一杯の抵抗だったが、シズカにはもちろん、痛痒も感じない。
「うるさい娘ね! これでも食らえ!」
 さくらは怯んだ。シズカはパッと自らの股間にまとった布をはぎ取る。
 ジョボボボボ~。
 シズカから放たれた黄金の滴がさくらの顔に降り注ぐ。あ、だめ、やめ。さくらがもがき右を向き左を向いたせいで、さくらの緑の黒髪までぐっしょりと小水にまみれ、臭みは広がる。
「暁! 舐めて」
 シズカが誰に命令したのか、さくらには一瞬、理解できなかった。自分への命令だと錯覚し、従うものかとかぶりを振り、そのあとで、それが暁にむけられたものだと気付いた。
「チーフ!」
 暁は仁王立ちのシズカにひざまづき、むき出しのシズカの陰唇にむしゃぶりついた。交尾の前の発情した犬をさくらは思い出した。陰毛の一本一本にまでしみこんだシズカの小水をすべて舐めとるように、暁の舌がシズカにむけて伸びていた。何より、喜々とした暁の表情にさくらは呆然としていた。それは今まで見たこともない、暁の悦びの表情だった。
「おいしい? サ・ト・ル」
「おいひいでふ。愛ひてまふ、ひずかたま…」 
 ひずかたま…シズカ様? すっかり変わってしまった暁の言葉。なんで? なんで?
「暁さん! あんなに昨日は……」
「まンだ分かンないのォ? あれはア・タ・シ。あんたがヨガってるソレ着けて、あたしが楽しませてあげたんだから、光栄に思いなさ~い」
 シズカはいったん暁にお預けを食わせ、さくらの顔上に股間が来るように四つん這いになった。そしてもう一度、暁に命令する。
「ほら、暁、えっちの時間だよ」
「はい!」
 ふたつ返事でシズカに性器をなすりつける。それは確かに、昨日さくらを虜にしたものとは別のモノだった。どこか頼りない感じで、長いことは長いけれど物足りないように思えた。
「ほら、ピンクちゃんも」
 シズカが股間のそれを動かしたのか、再び快感がさくらを埋め尽くそうとする。吐息が漏れて、どんどん蜜があふれるのがわかる。
 暁の性器がシズカの花園に突き立てられる。それは、それは全く現実感のないポルノのようにも思えたし、一方で確かな喪失感も感じていた。もっともそれらはしばらくして、快感の渦に飲み込まれて、跡形もなく消えていった。