見破れ! 学習塾のカラクリ 前編

「もう帰らないと……」
「え、もう?」
 今村みくは立ち上がろうとする千里へきいた。
「ええ。予備校の時間」
 鞄を持って立ち上がる城ヶ崎千里は言った。言葉に仲間が振り返る。
「千里が予備校?」
「オマエ、そんな必要ないだろ。こないだだって、学年二位だったし……」
「まあ、大学受験も近いし、必要はあるな」
「メガレンジャーやっていらい、成績も落ちてるし……ほら、家だと気が散るのよ」千里は応え、一枚のビラを取り出して見せた。『無限能力教育校――大学受験コース』そこにはそう書かれていた。「ここ、いってるの。個別指導ですごく丁寧に教えてくれるのよ」
「なんか胡散臭いな」耕一郎は見るなり呟く。
「この名前確かになんかウソくさいよな」
 瞬が同調し、何やら解らない健太もうんうんとクビを振った。みくは耕一郎からビラを引ったくり、表に裏に読んだ。
「でも、頭良くなりそう」
「でしょー?」
「うんうん」
「そういうことだから、じゃあ、みんなまた明日」
「とにかく頑張れよ」
「健太、お前も勉強」
「え、おれ?」
 耕一郎と健太の掛け合い漫才のような会話を尻目に、千里は部室を出た。足取りは心持軽く、口元は綻んでいた。みくはビラを返そうとして、その後姿に声を掛けたが、彼女は気付くことなく消えていった。

 人間を欲望の固まりに洗脳し、この世界のあちこちに破壊の旋風を巻き起こす――そのことを、シボレナは目標としてその作戦を開始した。作戦の一環として、シャチネジレに学校を開校させ、集まった人間を一網打尽にしようとした。
 そうして開校された「無限能力教育校」は都内の一等地にそびえたビルの中にあった。メガレンジャーに発見されぬように万全を期すため、一人ひとりへの洗脳を実施し、その中での組織化――メガレンジャーを欺くため、洗脳した人間を人間が操り、ネジレジアの影は消し去る計画だった――を計っていく計画だった。
 だが、シボレナにとっても、嬉しい誤算とも呼べる事態は、序盤に全作戦を撤回させた。学校を訪れる人間をカメラで監視し、洗脳に適した人材を見抜く過程で、その少女は、腕に他の人間が明らかに付けていないものをつけていた。
 それは電子機器で、Mの刻印がしてあった。シボレナにはそれはよく見慣れたものだった。メガレンジャーを象徴するMの刻印だった。

 シボレナはその画像をドクターヒネラーに見せた。
「よくぞ、やった、私の可愛いシボレナよ」
 ヒネラーはそう言って彼女の頬に触れた。
「これを一体何所で手にいれたのだ?」
 シボレナは説明し、ヒネラーは小顔を自らのほうへ近づけた。
「そうか…流石期待以上の仕事をするわ」

 教室へ入ると、千里はほっと息をついた。教室といっても、公衆電話三つ分ほどのスペースの間仕切りで区切られた空間だった。机と椅子が二脚置かれただけで、天井の蛍光灯とデスクのスタンドライト、文房具類が並んでいた。
 講師の来る時間までまだ10分ほどあった。千里は前回に出された宿題の答案を書いたノートを取り出すと、上から順番に確かめ直していった。遠くで電子チャイムの音がした。
 ――なんかヘン。
 千里はふと頭をあげた。彼女のいる場所のまわりには同じような部屋が並んでいる。それぞれに生徒と講師が一人ずつついている――はずなのに、その気配がしなかった――というより、誰もいない、そんな違和感がしたのだ。
「気のせいよね」
 顔を下ろす。考えすぎかもしれない。戦いは厳しく、彼女の神経を機敏にさせる――針の落ちる音を聞き逃せば、死に繋がる世界に身を投じている――そうすれば、自然とそんな気配――もう一度、千里は顔をあげた。そうだ、この違和感は女子高生ではなく、女戦士としての勘が何かを告げているのだ。
 背後のスライドドアの開く音に振り返った。
「遂に見つけたわ。メガレンジャー!」
 蛍光灯が逆光になり、シルエットをみせていた。だが、シルエットだけで充分だった。
「シボレナ、なんでここに!?」
「あなたが私のところに飛び込んできたんじゃない。おばかなメガイエロー……」
 千里は耕一郎の言葉を思い出していた――胡散臭いな――思えば、彼も彼の戦士としての勘で、それを読み取っていたのかもしれない。唇を噛んだ。シボレナの背後にもう一つの影が現われた。千里のよく知る講師だった。その講師は姿を徐々に変貌させ、怪物の姿へと戻っていった。
「シャチネジレ、殺れ」
 シボレナの声は狂気を帯びていたが、あくまで冷静だった。
「させない!」千里はとっさにデジタイザーへ手を伸ばした。その動きを阻止しようとしたイルカネジレを間髪で交わし、空中へ踊り出た。光が彼女の身体を包み込み、シボレナは舌打ちした。
「まあいいわ――どっちにしても、八つ裂きにするだけだわ」

 『合格への必勝メソッド 横山解法で解く古文』というテキストが、部室の机の下から出てきた。健太が見つけ、耕一郎に渡した。ぱらぱら見て、そこに書き込まれた文字が女性らしき筆跡で、みくに渡した。だが、みくは違うと言う。これは――みくは思い出した。千里がこれをもっていたことを。
 話し合いというか、命令の結果、みくはこれをもって、千里のあとを追うことになってしまった。たまたまビラは持っていたから、その本校という場所へ向かって、みくは急いだ。予備校で必要かどうか解らなかったが、とにかく耕一郎にパシリにされたといったところだった。
「えーっと、このビルかな」
 スポットライトの中に浮かびあがるエントランスは、周りのインテリジェントビルに比べても、幻想的な空気に包まれていた。自動扉をくぐると、石畳にこつこつ足音が反射した。
 みくは何か物音が聞こえた気がして、はっと上を見上げた。すぐに前を見、エレベーターホールへ足をすすめた。
「ん?地震?」

 背中が壁にぶつかり、メガイエローは手刀を前へ突き出した。牽制しつつ、右へと滑っていく。シャチネジレはは両手を広げ、スリムな身体を見せていた。隙だらけではあったが、近づくのは容易じゃない。
「どうしたのかしら? メガイエローともあろう人が、ネジレ獣一体倒せないみたいじゃない」
「くっ…」
「千里さん」シャチネジレは、彼女を教えていたあの講師の口調で声をかけた。「あなたみたいな頭のいい娘が、私に逆らおうなんて、今降伏するなら、命は助けてあげるって、シボレナ様も言ってるわ…」
「降伏するぐらいなら」左右に視線をやり、メガイエローは飛び出す。「死んだほうがマシよ! ブレードアーム!」
 シャチネジレは頭を突き出して、無防備な姿を見せていた。イエローの腕がそこに突き刺さる刹那、シャチネジレから飛び出した音波が彼女を襲いかかった。ぐわんと音をたてて、空気がたわむ。千里の聴覚を数秒麻痺させた音波に、降下体勢が崩れ、腕はシャチネジレの近くをかすめ、床のカーペットがぱっと舞う。
「きゃっぁ!」
 ブレードアームを止め、メガイエローはその場で耳を塞ぐ。耳が痙攣を起こし、全身から暑くも無いのに汗が噴出した。
「どう、メガイエロー? シャチネジレの超音波は?」
「超…音波……?」
「そうよ、千里さん。あなたがこの学校で頭が良くなる感じがしたのも、私の微弱音波で一時的に脳が活性化したからだわ……」
 シャチネジレは言った。耳を塞ぎ、地面を転がるメガイエローは何とか、四つんばいになって起き上がろうとしていた。千里には言われたことに覚えがあった。だから、ここに来るのが楽しみだった……
「アアーッ!」
 メガイエローが気付くと、シボレナの足が腹部へと入っていた。
「ハハハッ! ネジレジアの罠にも気付かないとは、それでもメガレンジャーなのかしら!」
「ああっ…くっあぁああぁーーーーぁ!!」
 その足は彼女を転がし、難なくサッカーボールのように空中へ飛び出したメガイエローはパーテーションに突き破り、そのベニヤでできたパーテーションを真っ二つに切り裂く。中へと千里の肢体をしずめた。埃が舞い飛び、プラスティックの臭いがしていた。
「あぁ……んんくっ……ま、負けるわけには……」
 千里はベニヤや建材を掻き分け、立ち上がろうとしていた。超音波が耳の裏側をささくれたたせるかのように鋭く、脳に突き刺さるような感じをさせていた。だが、彼女はメガスナイパーを抜き、塵の中から現われるであろうシャチネジレに照準を向けた……
 相手は歩み出していた。今、向こうに主導権を握られれば、巻き返せなくなる…千里は一心に意識を集めた。気を抜いてピンチに陥ったことがあった――今、それを繰り返すわけには行かない。
「タアアアァアァッ!」
 獣の雄たけびをあげ接近してくるシャチネジレを寸暇で避ける。背後にまわり、跳躍。気力でもって、チョップを与える。首筋に命中するが、感触は薄い。身体をネジレ獣の目の前までもってきて、近距離で対峙する。
「なかなかやるようね」
「あなたもよ」
 呼吸がかすかに苦しい。目のあたりの白い斑点が巨大な白目のように見える。獰猛そうな影――口が瞬間開いた。赤い咥内が見えた。縁に牙が揃い、下がきついV字型を描いて、千里の頭を包み込もうとしていた。
「……ァ…! キャァッァァッ!」
 叫ぶ間に、牙はメガイエローの左肩にするりと入り込む。スーツ越しにぐっと突き刺さってくる。スーツが守ってくれる。その部分を重心に押し込まれ、背中が壁にぶつかり、するすると地面へ落ちてくる。
「クッァ!」
 左腕が動かず、右腕でその頭を抑えた。肩から特殊繊維の引きちぎれる音が続く。
「グググアァァアァ!」
 ビチビチと続いて、リール線や金属コードと共に、黄色と白の戦闘服が肩口から引きちぎられて行く。不思議と痛みはせず、猛烈な熱とともに彼女はそこをいたわるような姿勢で、地面に四つんばいになった。
「ハァハァ……」
 そこだけスーツが露出し、白いインナーと濃いグリーンとゴールドのプリント基板が露出していた。塩化ビニールを焼くような音と、更にその下にわずかに見える肌が、瞬く間に赤と青に変色していく。
「あぁ……くっぁ…ゃ…」
 白黒する視界の中、マスクとスーツの破壊されることよりも、強い敵を前にしたこに恐怖をしていた。腕をつく彼女の目の前で、敵は何のダメージも得ていない。
「手ごたえが無いわね」
「千里さん、頭が良いんだから、そろそろ負けを認めるべきよ」
 シボレナが言い、シャチネジレは千里の目の前に、スーツの切れ端を吐き捨てた。唾液にまみれた黄色とまだらの固まりが、まるで自分の身体の一部のようにも感じられた。
「誰が……」
 紡ぎだされる言葉が途切れ途切れに吐き出された。
「誰が? あなたよ?」シボレナの不意の言葉に意識が反れた。その間に、シャチネジレが動き、その動きを追ううちに背後にあらわれていた。
「どこへ向いてるのかしら、千里さん?」
 全く予見しない背後からメガイエローを抱きかかえたシャチネジレは腕の自由を奪い、銃口がぐっと襟元からマスクへと向いた。
「あぁ…な、何を!」
「こうするのよ!!」
 銃内部で加速されたイオン粒子は合金で作られたマスクと衝突すると超高熱を発した。それは爆発するというより、太い導火線に火が付く様と似ていて、猛烈な異臭を巻き起こした。
「きゃあぁっ…マ、マスクがぁ!」
 千里は自らを守るはずの武器で自らが傷つき、暴かれようとすることに忘れて声をあげた。シャチネジレのボディにしっかり結び付けられ、関節の要所をおさえられ逃げることもできない。
「私らの武器で、このスーツ、マスクを破壊できずとも、あなたの武器ならワケ無いわよね……」
 シャチネジレは二度、三度と引き金を絞った。
「離せェェェーーーーーーァ!!」
 まるで絶叫だった。焼け落ちるマスクの中で城ヶ崎千里の素顔は引き攣っていた。髪を抑えるための内面はまるで千里を坊主のように見せていた。その白い内面もまたあちこちに焦げ目を作っている。
「ああっ…ウ、ウソ……そんな…」
「そんなまさかが今現実となったのよ! さあ、城ヶ崎千里。これまでの恨み晴らさせ貰うわ!」
 シボレナは宣言した。彼女はこれまで幾度の戦闘で、この生意気で勝気でプライドの高い戦士に苦汁を舐めさせられてきたのだ。
「……望むところよ! あたしだって、アンタをギッタギタのズッタズタにするんだから!」
 シボレナは意外な顔をした。
「無礼な…! シボレナ様になんて口を!」
「いいわっ! シャチネジレ!」
 その目を見た。それは紛れも無い闘志を抱いた戦士の目だった。恐れや悲しみを知らず、ただひたすらに勇猛果敢に敵へと向かっていく目だった。悲惨な状況にもめげず、いつか勝利をモノにしようとする目だった。
「どうしたのかしら? 怖気づいたかしら? あたしに連敗中だもんね、シボレナ!!」
「面白いわ…それでこその私のライバルよ」シボレナはシャチネジレに視線を送った。
 そのとき……メガイエローに一瞬のチャンスが芽生えた。
「えい!」
 反抗の口上に、シャチネジレの身体が一瞬怯んだのだ。メガイエローは空中へ踊り出た。シボレナの肩を踏み台にして、部屋の反対側へ移動する。その間に、内面がストレートヘアにズレ、ぱっとロングヘアが宙を靡いた。
「さあ!」
 メガスナイパーは落してしまったが――引き下がるわけにはいかなかった。何よりも彼女の自尊心が許さなかった。
「――でも、ちょっと遅かったわね…私の考えたネジレ教育を受けた城ヶ崎千里! あなたがどんなに這い蹲ろうと、どんなに戦おうと、あなたは既に私のもの……」
「あたしはあたしのものよ! メガスリング! くらえぇ!」
 武器を取り出し、引き金を引いた。そのまま、連射で接近し、一気に勝負を決める。マスクが無ければ全力を発揮できはしないが、それでも短時間で勝負を決めれば何とかなる。
「えい!」
 三発がシャチネジレに命中し、彼女は飛び出るなり空中を一回転し、その足を自由降下でシャチネジレの胸元に突き出した。ぐにゃりという感触とともにシャチネジレは倒れる。
「ブレードアーム!」
 その衝撃に空気が歪み、エネルギーフィールドと衝突したネジレ獣の身体がぱっと飛び散り、メガイエローは血潮を浴びた。肉片が汚らしく、あたりを汚した。
「まずは一人!」
 背後の気配に素早く体勢をうつすメガイエロー。シボレナは顔色を変えていた。今、寸暇を与えずつめれば――ステップを踏むようにつま先で床を蹴ると、青色の影へ突っ込んだ。
「シャチネジレは絶対に死なないわ……」
「甘いわっ!」
 顔色を取り戻したシボレナは余裕の笑みを浮かべている。背後から現われた影が空気中を泳ぐようにシボレナの前へと立ちはだかった。勢い余るメガイエローは空中での姿勢を転換できなかった。
「あぁっ!」
 しまった――シャチネジレの胴体に激突したメガイエローの首がすかさず捕まれた。血管と食道を圧迫し、頭に血が上る。
「ああああぁっ!」
 鈍い音をたてて、胸からうつぶせにおちるメガイエロー。スーツの上からも豊満と解るバストが押し潰したパン生地のようになった。
「くっぁ!!」
 犬歯と唇が交差し、毛細血管が破裂して床へ血が飛び散った。頬が蚯蚓腫れを起こし、ロングヘアがその上から覆い被さった。脳髄が揺さぶられ、全くの無意識に涙が零れ、瞼が光った。
「泣くのは早いよっ!」
 首から離された手がすかさず頭を掴み、床へ沈むと鼻から血が出て、顔の真ん中に薔薇が咲いたような有様になった。再度持ち上げられた千里は、グローブで鼻の頭に触れた。
「あ…あぁ……そんな…」
 痛みというより熱だった。鮮烈な色彩のコントラストは、彼女を急激に現実へと引き戻し、呆然とした面持ちのままだった。
「死にたくなぁいの?」
 馬鹿にしたような口調だった。シャチネジレは頭から胸倉へ腕を返すと相対し、拳を握った。的確な弾道を描くことが出来れば、見かけの速度や力加減よりも、何倍もの破壊力を拳は与えられる。
「あぐっあっ! ひぎっゃあぁ!」
 頭蓋骨がそのものが皮や肉から引き剥がされたような状態だった。メガスーツをまとっていてもそのダメージは少ないものではなかったが、その破壊力が生身の顔に与えられ、空中を飛ぶ間、千里は白目を剥いた。
「アアアアアぁーーーーっ!」
 鼻腔から迸る血液は、空中で針葉樹のような形を一瞬だけ見せた。青白く染まった唇が魚のようにパクパクと動き、痙攣が上から下へと走った。シャチネジレの腕から離れたメガイエローは仰向けの状態から徐々に回転し、頭、首筋、背中に掛けて壁に激突し、窓枠の強化ガラスにヒビが走った。
「くあぁ……はぁはあ……つ、強い……」
 目を閉じたまま、仰向けのメガイエローは、無防備な姿勢を晒していた。脊髄に激痛が感じられ、腕で庇おうとすると殴打した肩口――シャチネジレの牙によって無残にも引き剥がされた部分が動かなかった。
「なかなか…やるわね……」
 顔が歪むというより、笑っていた。
 シャチネジレが光の中で人間体へと変化していく――千里を教えていた講師の姿へ――ウィットに富んでいて、教えた方が上手かった――彼女は、千里の顎を手で掴み、顔を近づけた。そこに優しげな笑みは無く、ただ顔に切り目をいれた目と、大きく開かれた口、異様に高い鼻が、猛禽の面影を残していた。
「千里さん、あなたを見ていて、何度殺そうかと思ったわ。温和な顔をして、文学史を覚えようとするあなた――覚えてる? 一度食事に誘ったこと? あなたは断ったけど、あのときもし承諾していれば、こんなに苦しまずに済んだのにね――あの日、私はあなたを殺すつもりだったわ」
「勝手な…ことを……アンタなんかに、教わったことを後悔してるわ」
「残念。私なら、あなたを東大にでも一橋にでも入れてあげられたのにね」
「――さっさと殺ったらどうなの? シャチネジレ?」
 シャチネジレは振り返り、シボレナを見上げた。
「シボレナ様、あなたは悔しくないんですか?」
「な――」
「私にこの娘をお預けください。シボレナ様、ヒネラー様に、相応しい人間に私が作り変えて見せます」
「相応しい…人間……」
 シボレナは露骨な嫌悪感を見せていたが、やがて、いつもの表情を取り戻し、笑っても見せた。千里は怪訝な目をむけ、口を開いた。
「何、ソレッ!?」
「面白い――だけど、逃がしたら承知しないわよ……」
 サーベルがシャチネジレの首筋へあてられる。千里は飛び出そうと思った。今ならチャンスだ――だが、身体が思ったように動かない。氷のようにつめたい手が顎を掴み、それが全ての動きを押さえ込んだかのようだった。唇を噛んで耐えた……
「勿論です。さあて、今日のレッスンよ……」
「レッスン?」
「そうよ.さあ、立ちなさい……」
「だ、だ……ア、アレェ?」
 メガイエローは自ら立ち上がってしまう。無防備な姿で、シャチネジレの目の前に相対している。千里は長身と呼べるほど高くない。だが、シャチネジレ人間体はそれよりも低く、百五十センチほどしかない。見上げるような視線が、余裕の表情を湛えていた。
「良い娘ね。あなたは、私のネジレ教育を受けているのよ……解る? メガイエロー? あなたの脳がね、自分の思考よりも、あたしの命令を優先するように暗示されてるのよ……」
 彼女の言葉が、千里には恐ろしかった。あまりに恐ろしく、恐怖を感じなかった。不思議と冷静な気持ちだった。身体の力が抜け、その華奢なネジレ獣――女性に奪われているんだった。
「そんなことは…!?」
「私を殴ろうとしても無駄だわ」
 シャチネジレは無防備な姿を晒していた。手かせ足かせを嵌められたようなゆっくりとした動きでメガイエローは身体を展開させていく。相手は全く抵抗しなかった。
「ハァハァ!? なんでぇ!?」
 言うとおりに、彼女の腕や脚はシャチネジレの周りにバリヤーでもあるように近づくことすら出来なかった。千里の意識の中では、その燃え上がる憎しみや怒りは彼女を攻撃しようとするのだが、身体は言うことをきかない。
「そろそろ、お遊戯はいいかしら……」
 千里は思わずシャチネジレを見た。戦い、というよりは、盆踊りでも踊っているような様だった。そう思うと、手が出せなくなってしまう……
「くっ」
「でも、時間がたてば、メガイエロー・城ヶ崎千里、あなたは自分の意思で、私に触れることが出来るようになるわ……私に行動を支配されずに、自由に動くようにもね……」
「ネジレジアの意思のままになんか!」
「いいえ」シャチネジレの声はきっぱりとしていた。「ネジレジアの意思、シボレナ様の意思とは無関係に、あなたは自分の力で動くのよ。本当のあなたの、ね……」
「ハッハッハッ、面白い見ものだわ」
 シボレナは声をあげた。顔を上げ、ヒロインを諭すその姿は、第三者からみればひどく滑稽だったに違いない。
「シボレナ様…黙っていただけませんか?」シャチネジレは、苛立ちをあらわにする。「この娘を用意する間、シボレナ様はグランネジロスへおかえりください。シボレナ様のメガイエローとなったとき、またお呼びいたします」
「な…言わせておけば……」シボレナは数分前の言葉と共に苛立ちを見せた。しかし、シャチネジレの言葉は、シボレナにとって甘美な響きを含んでいた。彼女のメガイエローに対する憎しみは、ヒネラーに対する愛ほどに深く、傷を秘めていた……「では、さっさとなさい、シャチネジレ」
「承知いたしました」
 シボレナが腕を前に出してこの場から姿を消した。それを確認したシャチネジレが千里を見る目は、今度こそ狂気に満ちていた。
 本当の城ヶ崎千里――彼女は心の中でひとりごちた。その言葉が、シャチネジレにとって何を意味するものなのか。この敵に負けるかもしれない。負けるだけで済めばいい、千里は思う。
「本当のあたし?」
「そうよ、メガイエロー。今はまだ解らないでしょうが、私は知ってるわ。あなたの本性を」
「じゃあ何だって言うの?」
 千里は自分でも思うぐらいに冷静な気持ちだった。敵だとか味方だとかそういう以前に、シャチネジレのつむぐ言葉に興味を覚えてしまったのだ。
「それは――まあいいわ。来なさい……」
 腕で合図すると、メガイエローはその後について歩き出した。千里は隣の部屋に入ると、あたりを巡らした。そこは空間が違っていた。空気が違っていた。重苦しく、じめじめしていて、石材のブロック壁で覆われていた。
「ここは――」
「メガイエロー、あなたの意思で、この三つの武器の中の一つを選びなさい――」
 気付くと目の前に台があり、その前に三つの武器が置かれていた。皮製の鞭、サーベル、銃があった。彼女は反射的に鞭をとった。自分でも、何故そうしたのか説明がつかないが、それをとった。
「やっぱりね――じゃあ、あなたはそれを振るってご覧? 解ってるでしょうけど、私を疵付けることは無駄よ?」
 相手の意図がわからなかった。彼女はそのよくなめされた鞭を目の前へ垂らすと、恐る恐る空中へと振るった。何も起きなかった。右腕が折れていたから、左腕で振るった。多少ぎこちなかったが、空気を切った鞭が地面に音を立てた。
「さあ、続けなさい――」
 それは説明のつかない感情だった――城ヶ崎千里は鞭を振るいながら、その身体の不思議な高揚を覚えた。傷みに包まれた身体が俄かに軽くなるかのようだった……鞭は黒い色から鈍い光を発し始めていた。