青色のサイミンガス 前編

 ゴーゴーマシンの補修は最近、深夜まで及んだ。
 整備員の三直体制を敷いても、余裕があるのはマシンがドックにないときぐらいしかなかった。サージェス本部地下の施設はかなり自動化されていたから、牧野博士の管理がしっかりしている限り、何かが滞ったり、マシンが未整備のまま放置されるということもなかった。
 それでも、西堀さくらは、気が気じゃなかった。元々、心配性だということに加え、牧野博士だけにだけ負担を押しつけはいけないという思いもあった。それに、整備員をどんなに沢山投入しても、独自のシステムを築いているパラレルエンジンの整備には、中身を熟知したものが必要だという事情もあった。
「チェック」
 外の見えないゴーゴーマリンのドック内では、時間の観念自体が薄らいでしまいそうになる。コクピットからは水の張ったドックと、その上に置かれたガントリークレーンが見えた――あまり遅くまで作業をするな。
 明石暁は数日前にちらりと言った。
『わたしは、常に完璧な状態を保ちたいんです』
 そのとき、さくらはむすっとして答えた。
『おまえの体調が心配なんだ』
 明石の言葉に、大丈夫だと、さくらは答えた。定期検診は受けてるし、異常はない――そう、彼の言いたいことはなんとなく解っていた。明石が言いたいのは、長時間勤務の話ではなくて――
「わたしだって、解ってます」
 スイッチを切り替えながら、さくらは呟いた。マシンの整備には、パラレルエンジンの状態を常に知る必要はあり、アクセルスーツをまとっていた。
「わたしだって、解っているんです」
 ミッションに私情を挟むと正確な判断ができなくなる。さくらはため息をついた。
「チェック。エンジン停止準備」
 なれた手つきで、右腕をコンソールの下につけられたレバーへと伸ばした。
「エンジン・カット」
 レバーを下から上へ持ち上げた。クリップボードにペンでチェックをつける。なにもかも、正常に動いている。診断プログラムは正常を示し、エンジンに問題はない。
「すべて、問題ありませんでした。全作業終了」
 通信をオンにして、外の詰め所にいる整備員に報告する。了解の返答がある。さくらは、ディスプレイに表示されたデジタル時計をみた。今日も日を跨いでいた。家には帰らず――
 ぞわり。
「――ん」
 反射的に通信をオフにした。もう報告することはない。早朝ブリーフィング準備のデスクワークを少しやれば、それで今日の業務は終了だった。4点留めのハーネスをはずして、シートからおりた。寒気が、した。いやな、予感がした。さくらは顔をしかめたが、マスクに包まれた顔は、彼女の表情を露わにはしなかった。

 コクピットをでて、ラッタルを下りる。遠くで溶接や金属のたてる音がする。プレシャス回収に目処をみたとき、宇宙プレシャスの探索ミッションが計画されていて、ゴーゴーボイジャーをそれに向けた居住区の改装、各種設備の追加などが行われている。その音だとわかった。
 明石がその作業班のトップとなり、全てを統括している。仲間でさえ、その詳細を知らない。さくらでさえも――彼女はある意味で、嫉妬していた。男を夢中にさせる仕事に、冒険に。
 なんだか、寒気がする。それは、ひどくなる感じがする。さくらはのどにつっかえるような感覚を覚えた。汗が出た。手にした書類、手すりに手をやる。マスクをつけた首が重い感じがする。
「疲れ……」
 かすれた声で言った。なんだか、調子が悪い。太陽も刺さないところで――不意に圧迫感を感じた。あたりはダクトや機械類が整然と並べられている。精悍な外観に比べて、機内は雑然としていた。配線の束が、床を這っていたりする。それもこれも、激増するネガティブシンジケートとの戦いの為だった。
「あっ…・・」
 力の抜けた声、さくらは首を振った。書類を持っていない手を首もとにやった。なんだか苦しい。変身を解除しようかと思ったけど、少し休めば大丈夫、そう思ったとき、扉が目に入って、手をかざしてスライド式の扉の中へ飛び込んだ。
 そこは、予備の機械室で雑然とした配置の機械があり、低い音をたてている。空調のうなりがして、スーツの上でもひんやりとした感覚がわかった。作り付けの机といすがあり、さくらは書類をおいて、いすに腰掛けた。
 まずは――変身を解こうとして、背中のアクセルラーに手を伸ばして、それからあるべきところにあるべきものがないことに気づいた。
「……え?」
 落とした。置き忘れた。さくらは冷や汗が手にこみ上げるのを感じた。迂闊だった。雑然とした機械室で、彼女は顔を上げた。蛍光灯がついている。
 ボウケンピンクの格好をしているさくら、不意に、さっき確認したばかりの時間を忘れていることに気がついた。首をまわしても時計はない。狭い部屋で、デジタルの数字があちこちで赤く灯っている。
 扉は閉まっている。
 さっきまで、開いていた扉が閉まっている。立ち上がった。こすれる音がする。足音が続く。壁際に情報表示端末があり、施設内の各所と繋がっている。画面に手を触れても、反応はない。さくらは眉を潜めた。
 ケーブルが抜かれている――引き剥がしたようなかんじのするケーブルだった。
 そのケーブルをみているうちに、さくらは背筋に冷たいものを感じた。室内には誰もいなかった。だけど、だれかにみられている感じがした。そうしてから気がついた。端末には、扉のロック機構が入っており、それが使えなければ、扉を開けることはできない。
「えっ――――」
 閉じこめられた――迂闊なミスだった。並んだ機械類は通信やらコミュニケートには役立だなそうだった。普段の修練と一日の疲れが合わさって、意外なほど驚かなかった。すぐに誰かが気がついて、出してもらえる。チーフには注意を受けるかもしれない。
「めんどくさいことに、なってしまいましたね」
 変身を解くことも出来ず、外部とは途絶している。やがて誰かが気がつくとはいえ、いい状況ではなかった。なんで、こんなことになったのだろうかと考えたけど、それよりも、疲れた、という思いのほうが大きかった。
 息苦しかった。耳元に手を当てた。鍵盤をたたくようになれた手で操作すると、エアの抜ける音が響いた。マスクのロックがはずれた。ゆっくり引き抜くと、机の上に置いた。無骨で実用一点のボウケンピンクのマスクだった。
 照明だけがついていて、地下深くにある。感覚をとぎすましてもなにも伝わってこない。目が痛かった。
「明石さん……」
 明石はここにはいない。すぐ近くにいるのかもしれない。だけど、ここにはいなかった。胸が熱い。火照った感じがした。椅子は座りづらくて腰を動かした。
「…………」
 人恋しさに声が涙ぐむ。助けてほしい。声は届かない。だけど、彼はいつも、耳を澄ませていてくれる。そのハズだった。疲れてる。頭ではわかっていた。
 息づき、首を振る。顔を上げ、両肘をテーブルに乗せて手で顔を覆う。疲れていて、なんだか動悸が激しくて身体が息づいている。
「はぁっ…」
 漏れる息、身体が重い。照明を受けて光沢を打つ身体――さくらはみた。はじめて装着したとき、派手なカラーリングに違和感を覚えた。特有の締め付け感も気になった。重くはないのに、軽くもない。
 常に体中に電流が流れているような感覚、というのが一番近かった。さくらは目に指をやり、軽くおさえた。瞼が重い。舌が痺れている。スーツは白銀の光を保ち続けている。光沢に包まれた身体。投げ出したままのピンク色のブーツ、整備作業中ずっと身につけてたから、朝からずっと着たままだった。
「疲れました…」
 ぼそり、消え入りそうな声で呟いた。たぶん目は赤くなってる。こんな目じゃ、みっともないと思った。隈は化粧で消せても赤目はどうにもならない。
 シャワーが浴びたい。
 朝からずっと変身したまま、整備に調整、補修に、その合間には学芸員としての仕事もあった。一日の疲れが身体の上に載ってるみたいだった。
「疲れました」
 先がめくれたスカートの裾を掴み伸ばす。ゴムのような感覚がごわごわのグローブごしに伝わってきた。やはりわずかに先端が外を向いてしまう――手にしているうち、指の腹に伝わるすべすべさを感じた。
ちょうどピンクとホワイトの色の境目だった。
 機械のたてる低い音が響いている。さくらは身体をみていた。派手だった。ボウケンピンク――それが、西堀さくらのコードネームだった。甘ったるさが鼻腔をくすぐる。ゆっくりと顔を上げた。
 頭上、少し離れた位置に空調ダクトの換気口があって、ふっと白い粉のようなものを吹き出された、ように見えた。
 首を傾けた。ボウケンピンクのスーツに包まれたさくら、眠りに落ちるときのような、とろんとした何かが、彼女の頭の中に入ってくる。

 ガスだ、何かのガスが流れこんでくる。だけど、さくらは何もしなかった。それがみえているのに、頭が回らない。

 瞼をあげた。
 機械はリズムも変えずに、ただ動いている。赤い電球の並びが見えた。目を細めると、それが青く変わったように見えた。青になっていた。
 寒気を感じた。身体を少し起こして腕で胸を抱いた。二の腕をさする。身体とスーツがこすれる。少し暖かくなったような気がした――すると、反対に寒くなったように思えた。
 足をすり合わせた。なんだか急に寒さを増したように思えた。すり合わせると――スーツのずれる音が響く。手で触れる――妙にスーツの表面が熱く感じられた。
 つーっとした感覚の中で、さくらは顔をあげた。
 何が起こったのかいまいち判別とせずに、短く頷いた。身体をみた。体表面に密着して、さくらのボディーラインをアクセルスーツが浮かび上がらせていた。
「ぁっ――」
 彼女は眉を潜めて短く首を振る。電流が少し強くなったように思えた。不思議だったけど、分厚いグローブに包まれた手を閉じて開いてをしてから、何かに引き寄せられるように、さくらは胸元に手をあてた。
 汗がこみ上げた。口を少し開いてから閉じた。否定するように首を振る。疲れてる、ことが解った。頭が痺れてる。甘ったるい――さくらは身体を強くつねった。電流は強くなった。
「あ――!」
 とろんとした。煮詰めた水飴のように流れる。不思議と目は覚めていた。さくらは目尻に痛みを感じながら、顔を上げた。鋭角なマスクは、軍用機のキャノピーみたいだった――ボウケンブルーが立っている。
「さくら姉さん」
 バイザーの裏で微笑んでいるのが解る。彼の腕が伸びて、さくらの瞼に触れる。ぱちん、乾いた音に、彼女は瞬きをした。指が鳴っただけ、だった。
「蒼太く――」
「さくら姉さんは、ボクの名前を忘れてしまう」
 ぱちん、指が鳴っただけだった。さくらはひくっと背筋を伸ばした。彼の肉体が精悍なスーツの表面に浮かび上がっている。さくらのスーツとよく似ている。だけど、色は違って、身体は直線で出来ていた。
「だから、いまこの瞬間、誰とも会っていないことになる」
 マスクが喋っている。それ以外は時間が停止したみたいだった。
「この部屋を出て、誰かに何かをきかれても、誰とも会ってないし、何もなかったと答える」
 人差し指を上に向けている。こくり、さくらは頷いた。
「次に、同時にこう言われた相手の言うことは、絶対に守らなきゃならないと思うようになる」
 こくり。
「『君みたいな美人が悲しむのはみたくない』」
 蒼太の分厚いグローブで包まれた手が、さくらの口元に添えられた。糸でつながれたみたいに、彼女は顎をあげた。身体が熱い。
「いいね?」
 ボウケンブルーのマスクが迫る。傾いた。近づいて、さくらの顔と硬質なマスクの外角が触れあうと、その表面がぱっと光ってぞくっと歪んだ。
「はい」
 さくらは最上蒼太の顔を見て、唇を合わせた。腕が背中に回る。椅子から腰がわずかに浮いた。
「う――」
 息が漏れる。男の唇は柔らかかった。明石のとは違った。身体が敏感になっていることに気づいてから、ぬるっという感触とともにその歯の間を割って入ってきたのは彼の舌だった。さくらの舌の腹に触れ、それから巻き付くように絡んできた。彼女はそれを避けたが、右にずれた拍子にすくい上げられた。
 唾液で濡れた頬が光っている。唾の糸が切れて、口元から顎へかかっている。さくらは腰を椅子へ戻して、目をボウケンブルーへ向けている。その身体は確かで不定型だった。
「さくら姉さんは、ボクが入ってすぐ、ボクのことをあからさまに信用ならないって目で見てたよね」
「えっ……」
 見上げる。言葉がある。さくらの鼓膜を蒼太の声が叩いている。
「こう見えても、結構色々気に揉んじゃうほうでさ。つらかったなあ。ああこの人、ボクのことをこういうふうに見てるって」
 さくらの向かいに腰掛ける蒼太がいる。ボウケンブルーが喋っている。
「いまは、信用してくれてるよね、ボクのこと」
 疑問形ではなかった。さくらは頷いた。
「それなら、口に出して言ってみてよ。ボクの目を見て」
 そこには、マスクを被った蒼太がいる。
「わたしは……蒼太君のことを…信用しています」
 声が途中で途切れそうになった。黒く深いバイザーの向こうから、射抜くような目が見つめていた。
「もう一度」
「わたしは、蒼太君のことを、信用しています」
「誰よりもずっと?」
「だれよりもずっと」
「良かった。じゃ、さくら姉さん、はじめからもう一度、言ってみて――わたしは」
「わたしは」
「明石チーフよりもずっと」
「明石チーフよりも…ずっと」
「信用しています、最上蒼太のこと」
「信用して…います……最上蒼太…さんのこと」
 ぱちん、指は小気味いい音をたてていた。ぱっと見つめていたマスクが光った。至近距離でその頭に取り付けられたスポットライトが、白い光を放ったのだった。目が眩んだ。
「――あっ」
 撃たれたように身体が浮いた。椅子から離れて、倒れそうになる身体を掴む腕がある。彼の腕だった――明石チーフよりもずっと信用している最上蒼太さん。
 ひくり――胸が上下してから身体が強ばる。
「姉さんは何も覚えていない。だけど、ボクのことが好きで仕方なくなる」
 明石チーフよりもずっと信用している最上蒼太さんに、地面へおろしてもらった。足を投げ出したまま、目の前を見ていたが、実のところ何もとらえていなかった。ぼやけた視界にあるものは、白銀とピンクのハイコントラストなアクセルスーツだった。
「ボクのことを考えると、姉さんは身体が火照ってくる。いまみたいに――」
 しゃがんで、さくらをのぞき込んでくる目線に気づいて、顔を少し上へ向けた。
「どう? さくら姉さん?」いつもと一緒の、屈託のない口調。
「いったい何が――起こってるの…ですか?」
「身体の調子はどう? さくら姉さん?」
「身体の調子は」言葉を取りだそうとするのに、もつれた。「熱いです。いったい、何が――」
「何も起こってない」頭をなでる手がある。「何も起こってないよ」
「ナニモ、オコッテ、ナイ」
 ぞわりとした波は、めまいを引き出した。
「そうだよ」
「ソウ…ダヨ」
 さくらは手を地面についた。身体が倒れてしまいそうだった。蒼太がいる。さくらがいる。
「熱い身体は、もっと熱くなっていく」
「あついからだは、もっとあつくなって…いく」
「そうだよ」
 言葉を繰り返そうとしたけど、彼に見つめられた。
 燃える炎が身体を炙るみたいに思われた。汗が出た。寒いのに熱い。熱が奪われるためだけに作り出されてるみたいだった。頷いて首を振る。瞼が重い。ちりちりと身体に重い何かを感じる。
「姉さん?」
 屈託のない声、青く光るマスクの中から、最上蒼太の顔が現れる。彼は引き締まった表情から、優しげな面もちへと溶けるように変化した。頭をなでられ、首をすくめるさくらに首を近づけた。手首を捕まれた。
「あ……」
 どこか幼さも感じる頬に、手を触れさせていた。掌に吸いつくような感覚がある。手首から手の甲へと包み込む手が動かされた。じんとした感覚の中で鼓動が高まる。汗が、身体の内側を打つように流れた。彼の顔、じんとして――綻んで――それで――
「ううっ…ぁっ……」
 小刻みに漏れる吐息、ピンクのグローブを口に含む蒼太――舌の感覚をその内側に受け、顔が赤く熱くなる。
 指を一本ずつなめあげる蒼太――くすぐったさと戸惑い中で、舌が指先から付け根まで沿って下りてくる。彼の舌はピンク色の肉の塊で濡れながら、その液を滴らせながら迫ってくる。
「さ、姐さん?」
 ボウケンブルーはボウケンピンクに跨った。