桐生翔子は、塾帰りの帰路についていた
(はあ…もう嫌だなぁ…)
最近学校の成績が大きく伸び悩んでおり、このままでは志望大学への合格は難しいと言われたのだ
正直、自分には勉強しか取り柄がないと思う
小学校のころから、成績は学年トップだったが、陰で“ガリ勉”“根暗”などと呼ばれていることも知っていた
しかし、全国有数の進学校に入った今ではその唯一の特技である勉強さえも危うくなっている
(私だって、友達と遊んだりしたいのに…)
厳格な家庭で育った翔子は、円滑な友人関係を築くことはできなかった
それが、彼女に更なるコンプレックスを抱かせていた
ため息をつき、トボトボと歩いていたその時、
「あ、翔子!久しぶり~!」
聞き覚えのある声がする
「…愛美ちゃん?」
岡本愛美―小学校からの同級生で、翔子にとっては唯一の友人と呼べる人物だった
スポーツ万能で人柄もよく、誰からも好かれる少女だった
学力も翔子には及ばなかったが、なかなかのもので、市内2番目の高校へ進学していた
結果として翔子とは離れ離れになり、彼女の孤独感を強める結果となったのだが

翔子は、立ち話をしながら長年の友人である愛美にある違和感を覚えていた
最後にあったのは半年ほど前であった
スポーツ少女として知られる愛美は、短髪で化粧っ気も薄かった
それがむしろ、溌剌な彼女の魅力でもあったのだが
しかし今では暗い中でもわかる程に、濃い化粧をしており、髪は明るい茶色になっていた
一瞬、言おうか躊躇ったが
「愛美ちゃん…あのさ…」
「ん?何?」
「何か雰囲気変わったよね…テニスは続けてるの?」
その控えめな問いに、友人は
「あー、先週やめちゃった」
「え…?」
あまりにもあっけらかんとした言い方に、翔子は絶句する
昔の彼女は何よりもテニスが大好きで、全国大会にも常連だったのに
まるで何ともないことであるかのように、そういった
「どうして…?」
「えー、何かめんどくさくなったし、親とか教師もなんかうるさいからさ。もうやめちゃおーって」
「そっか…ごめんね、何か」
自分にとって勉強がそうであるように、彼女にとってテニスは重荷だったのだろうか
「それに、もっと面白いことも見つけたんだ」
「面白いこと…?」
満面の笑みの愛美に、翔子は気圧される
「そ!これから行くけど翔子もどう?」
「え?でも…」
時間はもう夜10時を回っており、門限は過ぎている
「いいじゃんいいじゃん!翔子もたまには遊ばないと!」
ズカズカと、翔子は愛美のペースに呑まれていく
「それに…もう今の自分は嫌なんでしょ?」
耳元で、妖しい考えが囁かれる
それが悪魔の誘いであることに、翔子は気付かなかった

「…ルージュ聖歌隊?」
小さいが小奇麗な建物の、看板を読みあげる
「ここの先生がいい人でね、どんな悩みも解決してくれるの!」
「どんな悩みも…?」
「そう!きっと翔子もすっきりするよ!」
「で、でも私、お金とか持ってないよ…」
不安げな翔子に、愛美は
「大丈夫、悩み相談は無料だから!それと…」
「それと…?」
「聖歌隊に入れば、もっと人生楽しくなるよ!」

「こんにちはー!」
「し、失礼します…」
小さく挨拶する
「あら、いらっしゃい愛美さん…そちらの方はお友達?」
「うん!何か色々迷ってるみたいだから、相談に乗ってあげてよ!」
(綺麗な人…)
同性でありながら、自分達を出迎えたその女性に翔子は見惚れていた
容姿は勿論のこと、その雰囲気には大人の包容力が感じられる
「貴女…お名前は?」
「は…はい!桐生翔子です!」
腰を大きく曲げ、頭を下げる
「美口紅香よ。翔子さん、そんな固くならなくていいわ。いらっしゃい」
女性は、奥の部屋に翔子を招き入れた

「フフフ、可愛いお顔ね」
「そんなこと…」
笑顔を向けられ、思わず俯く
「あら、本当の事よ?」
「…」
恥ずかしさを感じる
「じゃ、本題に入りましょうか」
椅子に腰かけると、紅香は、
「何が悩みなの?」

翔子は、自分の想いを打ち明けた
勉強が上手くいかないこと、もっと友達と遊んだりしたいこと…
全てを聞いた紅香は、
「そう…」
妖艶な笑みを浮かべ、
「なら、毎週ここにいらっしゃい。愛美さんもいるし、他にも素敵なコがたくさんよ」
「え…」
「彼女達と貴女なら、最高のお友達になれるわ」
翔子は驚いた
こんなにも早く、具体的な返答が来るとは思っていなかった
「あ…の…」
「嫌かしら…?」
「い…いえ!絶対来ます!」
一も二もなく翔子は返事をした
「良かった。あと一つ聞いておきたいことがあるの」
「何ですか…」
満面の笑みで、紅香は
「ウチの聖歌隊に入らない?人生がもっと素敵になるわよ」
吸い込まれそうな瞳
それを見ていると、彼女の全てを肯定したくなる
「は…はい!入ります!」
返事を受けて、紅香は嬉しそうに笑い
「決まりね、あと…コレを持って行きなさい」
小さい円筒
その蓋を開けてみる
「口紅…?」
「ええ、コレを毎朝毎晩塗りなさい。そうすれば自信がつくわ」
「…はい!」
この短時間で紅香に絶対的な信頼を寄せた翔子は嬉しそうに言った

その晩、洗面所の鏡の前に立っていた
『コレを毎朝毎晩塗りなさい。そうすれば自信がつくわ』
玲香の言葉が頭の中で再生される
そして、
「よし…」
翔子は、紫色の口紅を自らの唇に付けた

―数分後
(綺麗…)
翔子は鏡に映る自分の顔に見惚れていた
自分はこんなにも美しく、魅力的だったのか
心に自信が満ちる
(紅香先生…)
心の中で、恩師に感謝した

それから、翔子は毎日のように玲香の元へと通った
友人も愛美の他に3人でき、共に聖歌隊として歌を歌った
(何て素晴らしいの…)
翔子の心は、歓喜に満たされていた