侍戦士シンケンピンク
   第一幕「客人之頼」
≪1≫
平成22年、夏。
この世を三途の川で溢れ変えようと目論む外道衆の大将・血祭ドウコクと、この世を守らんと外道衆と戦う一人の殿様と五人の家臣〈侍戦隊シンケンジャー〉の決戦から半年ばかりが過ぎようとしていました。
戦いに勝利した六人の侍たちは皆、侍としてではなく、各々が若者としての平和な日常を謳歌していたのです。

≪2≫
――暑い。
白石茉子は心の中で呟くと、ポシェットから取り出したミニタオルで額に滲んだ汗を拭った。
「……やんなっちゃうなぁ」
今年に入ってから、一番の夏日であると今朝のニュースで言っていたものの、これほどとは思っていなかった。
「……」
茉子は、大通りに面した遊歩道を一人歩き続けていた。
この道を真っ直ぐ行けば、突き当たりに父が買い与えてくれた自宅マンションがある。
ハワイもいいが、やはり、暮らすなら日本だ――茉子がそう言うと、父は渋々この家を買ってくれた。
駅前の繁華街からは遠すぎず近すぎずの、住宅地としては申し分の無い場所だ。
幸い、今現在茉子が働いている保育園からも歩いて十分程度。
だからこそ、今日のように交通費もかけることなく職場から自宅への行き来が出来る。
……もっとも、今日のように暑い一日はたった十分の帰路が果てしなくくたびれるのだが。
茉子は立ち止まり、もう一度額の汗を拭った。
――ダメだ……
今日の茉子の格好は、無地のピンクのティーシャツに白のロングスカート。
特に季節外れな格好というわけではない。
問題は、下半身をぴったりと包むパンティストッキングの存在だ。
Sサイズのパンストは、長身な茉子の下半身にはややサイズが小さい。
食い込むように脚を包むパンストのせいで、異様なまでの熱が下半身にこもる。
じっとりと太腿から滲んだ汗をパンストが吸い込み、妙にすえた匂いが茉子の鼻腔をくすぐった。
「……くっさい」
苦笑しつつ、茉子は歩みを再開した。
こんな真夏に茉子がパンストを履いている理由……それは、至極真っ当なものだ。
――いつか、外道衆が現れた時のためだもんね。
白石茉子。
まだ二十代になって、それほど年月を重ねていない……それこそ、少女のような面影すら残す彼女は半年前まで、「この世」と「あの世」の狭間からやって来た怪物――外道衆と戦った。
現代を生きる侍、侍戦隊シンケンジャーのシンケンピンクとして。
戦闘の際に装着するスーツは、モヂカラという不思議な力によって生成される。
それを装着した時の感覚は、なんとなくパンストを穿いている時に似ているのだ。
下半身を圧迫する不快感、ざらざらとした肌触り、やけに艶めかしい光沢を生むデザイン、ヒップや太腿のボディラインが無理矢理にでも強調される、あの一種独特の高揚感……。
その感覚を保ち続けるのは、侍として必要な最低限の「準備」である。
決してやましい気持ちなど持ってはいない。
「…………」
ふと、茉子が歩き続けていると雑木林の向こうから誰かの声が聞こえた。
甲高い、少年が放つような叫び声。
「……!?」
茉子はその声が聞こえた先に向かい、走った。
昼間だというのに、雑木林の中に広がるのは薄暗い緑色一色の景色。
その中に、ぽつんと取り残されたようにランドセルを背負った少年がいた。
そして、その背後には血のように紅い……人ならざる者の姿が。
外道衆、ナナシの姿である。
幸い敵の数は一人……。
だが、なぜ今になって……?

≪3≫
「一筆奏上!」
考えている暇は無い。茉子はポシェットからショドウフォンを取り出し、宙に「天」の文字を描く。
刹那、彼女の全身を薄いピンク色の膜が包む。
全身タイツのように身体にぴたりと吸い付いたその姿こそ、天の侍・シンケンピンクへの変身を完了した証である。
「真剣丸!」
腰から名刀・真剣丸を抜刀。縦・一文字にナナシの体を切り裂いた。
「…………」
断末魔の叫び声をあげる間もなく、ナナシは消滅した。
「えっ?」
――と、同時に。
奇妙な赤い光が辺りに充満した。
「これは……?」
だが、光は一瞬のうちに消え、辺りは平穏な雑木林に戻った。
「ぼく、大丈夫?」
茉子……否、シンケンピンクは肩膝をついてランドセルの少年に話しかけた。
「…………」
少年は、頬を紅揚させ、シンケンピンクの顔を見つめ……
「茉子先生が……シンケンピンク?!」
……と告げた。
「えっ?」
その少年の顔をよく見ると、茉子はその顔に見覚えがあった。
丸々と太った人懐っこい顔つき……。
――そうだ、この子は私がシンケンジャーになる前に年長さんだった大介くん……もう○学校にあがったんだぁ。
「先生がシンケンピンクだったんだ!!」
「あ、あのね……このことは、誰にも言っちゃいけないよ? 先生と約束できる?」
そうシンケンピンクが問いかけても、大介は顔を紅揚させたまま首を縦には振らない。
――熱中症?
「ねえ、大ちゃん……大丈夫? 喉、渇いてる? やだっ……ちょっと熱があるかも」
「……暑いよぉ」
「じゃあ、先生のお家そこだから……ちょっと休んでこっか」
そう言って、シンケンピンクは変身を解いた。
茉子は大介の手を握り、自らの自宅へと向かう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
隣を歩く大の息が、やけに上がっている。
――だ、大丈夫かな?
保育士として、侍として、茉子は純粋にこの少年のことが心配だった。
……そんな茉子が、この少年の中に隠された欲望を知ることは、もう少し先の話になる。


≪4≫
茉子の家にあがった大介は、行儀よく居間に置かれた机の前に座ってジュースを飲んだ。
その後「まだ外は暑いから……」という茉子の言葉に従い、その場で宿題を始めた。
「偉いのねぇ、大ちゃん。先生なんて、大ちゃんぐらいの時は遊んでばっかだったよ?」
「う……うん」
「ふふっ。偉い偉い」
そう言って、茉子は大介の頭を撫でてやった。
緊張したように、びくりとしながらも大は満面の笑みを茉子に向けた。
「あ、ジュースないね……お代わり、いる?」
「う、うん」
そう言って、茉子が台所に向かった。
冷蔵庫からジュースと氷を取り出し、空になったコップに注ぐ。
――勉強してるご褒美に、クッキーとアイスもあげちゃおっかな。
3分ほどの時間を要し、茉子が居間へ戻った。
すると……
「えっ?」
机の前に、大介の姿は無かった。
大介は居間に置かれたクローゼットに引き出しを開け……「ある物」を物色していた。
「ちょ、ちょっと!」
頬を赤らめ、茉子は大介の元に近づく。
そして彼が手にした「ある物」を引ったくる。
「な、な、どーいうことなの……?」
――信じられない。まだ○学生の男の子が、こんなモノを漁るなんて……。
忌々しげに、茉子は手の中のモノを見つめた。
それは、上品な刺繍の入った……ブランド物のピンク色のショーツだった。
「きゃ!」
大介の足元を見ると、彼の足元に置かれたランドセルの中いっぱいに、茉子の下着類が詰め込まれていた。
茉子はそれを逆さまにして持ち上げる。
どどどっ……とフローリングの床に、茉子の下着が落ちていく。
純白のパンティ、ブラジャー、サテン地のランジェリー、パンティストッキング、ちょっとした好奇心で買ったバニーガールの衣装やボディストッキングまで入っている。
しかも不気味なことに――これは家事が苦手な茉子にも責任はあるが――大介がランドセルの中に詰め込んだ衣類は、全て「使用済み・未洗濯」のものなのだ。
「ねえ、ちょっと大ちゃん……」
と、茉子の足元に何かがぶつかった。
見下ろすと、それはランドセルに入っていたと思しきアルバムだった。
「なにこれ……?」
「あ、ああ! それは……」
ぱらり、と一ページ目をめくる。
「……うわ」
茉子は思わず不愉快な声を漏らした。
そこには小学生の筆跡と思しき文字で「えっちな女・しんけんぴんくのえろえろ日記」と書いてあったのだ。
「な、なによこれ……」
完全にイっている。
もしこれを書いたのがこの子でなければ、きっと茉子は激しい嫌悪感と共にこの「日記」を破り捨てていただろう。
「……」
ぱらぱらとページをめくる。
そこには、シンケンジャー……否、シンケンピンクと外道衆との戦いの記録が収められていた。
いつの間に撮られたのだろう……
シンケンピンクが外道衆のナナシ連中に羽交い絞めにされてる写真、桃色のスカートにぴたりと張り付いたヒップの写真、黒く艶やかなタイツに包まれた太腿の写真、若干の凹凸が覗えるバストの写真が丁寧に貼られている。
しかも、写真には一枚一枚にコメントがついている。
「いやらしいおっぱい」「エッチなお尻」「ふともも、触りたい」……たどたどしくも、男の欲求を感じさせる文章。
「はぁーあ」
軽い溜息をついて、茉子はアルバムを大介に返した。
「大ちゃんは、シンケンピンクのことが好きだったのね」
なるべく怒りと不快感を収めつつ、茉子が問いかける。
「うん」
「でも、なんで私の下着を盗もうとしたの? 大ちゃん、男の子でしょ?」
「だって……ぼく、シンケンピンクになりたくって」
「は?」
「でも、絶対ピンクは女の人だと思って……だから、茉子先生の下着を着たら……シンケンピンクに近づけるかな……と思ったんだよぉ」
――呆れた。大人しいイイ子だと思ったのに、この子の頭の中は「性欲」でいっぱいなのね。第一、シンケンピンクになりたいのなら、このアルバムは何なのよ? いやらしいおっぱい? エッチなお尻? ふん、……余計なお世話よ。
大介が自分の写真につけたコメントを読み返し、茉子はわずかに鼓動が早くなるのを感じた。
「……誰にも言わないから、早くお家に帰りなさい」
もう終わりにしよう。
外道衆も一度撃退したのだ。二度とこの子に近づくこともあるまい。
そう思い、茉子がばら撒かれた下着を整理し始めると……
「誰にも、言わない?」
どこか挑戦的な口調で、大介が茉子の言葉を復唱した。

≪5≫
「ちょっと待ってよ、先生……それはボクの台詞だよ。ボクね、先生がシンケンジャーってこと、誰にも言わないよ」
「そう、ありがとね」
淡々とした口調で下着をクローゼットの引き出しにしまう茉子。
「それだけじゃないよ。ほら……」
そう言って、大介はポケットから携帯電話を取り出し、ある動画を茉子に見せ付ける。
「……!」
それは、茉子がシンケンジャーになる以前のこと。

『ほら、白石先生……。イタズラした園児は、どんな罰を受けるのかな? 子供たちの気持ちになって考えてみなさい』
『あ、ああっ……お尻をぺんぺんされます』

保育園の更衣室で、その時の園長先生と逢瀬を重ねたときの映像だった。

『おや? 随分とおパンツが濡れているね……お漏らしなんて、いけない子だなぁ。
茉子ちゃんは、もう大学生じゃないか』
『ああっ……ごめんなさい。茉子はぁ、大人のクセにお漏らし大好きないけない子ですぅ……もっとお仕置きしてください』

……あの時は今と違い、両親とも音信不通でお金が無かった。

『よしよしいい子だ。ご褒美をあげよう』
『ああっ……ご褒美欲しいれすぅ……』

だからこそ、園長の指示通りに服を脱ぎ、身体を重ねた。

『ほら、どうだ? 美味しいかい、チョコバナナは?』
『はふっ……あふっ、お、おいひいれすぅ……」

あの時は、いやで、いやで、しょうがなかった……。

しかし今、画面の中で園長先生の「モノ」を加えているかつての白石茉子は、快楽に溺れているタダのメス豚……彼女自身でさえ、そうとしか感じられなかった。
「ボクね、ビックリしちゃったよ……。シンケンピンクが好きになる前は、茉子先生のことが大好きだったんだ。だから、パパから携帯を買ってもらって、いつも茉子先生の着替える更衣室で写真撮ってたら……あんなに優しい園長先生と、こーんなエッチなこと始めちゃうんだもん」
――な、なによそれ……信じらんない。
確かに茉子は中学校の女性教師をしている先輩から、時折男子生徒からセクハラ紛いの嫌がらせを受ける――と聞かされたことがある。
だが、茉子が受け持つのは保育園……まだ4、5歳の子供だ。
そんな子が……ここまで歪んだことをするのだろうか。
「返して……返しなさいッ!!」
「ムダだよ。だって、この動画、ボクのパソコンの中に入っちゃってるんだもん」
「……そ、そんな」
まん丸に太った少年は、天使のようにほがらかな笑みを浮かべたまま……茉子に言った。
「先生……いや、茉子」
「…………」
「変身してよ、シンケンピンクに。エッチな写真いっぱい撮りたいんだ……」
ちらり、と少年はクローゼットに目を向けた。
「ああ……そ、それからさぁ、茉子のパンティとかパンストとか……ぼ、ボク、貰っていくからね。全部貰っていくから……」
――気持ちが悪い。
ここまで男とは性欲をむき出しに出来る生き物なのか?
それも、○学生になったばかりの少年が……。
「……約束、守ってよね」
「うん」
一呼吸を置いた後、茉子は決心する。
手馴れた動作でショドウフォンを取り出し……
「一筆、奏上!」
……茉子は変身した。
春に咲く桜のような桃色のスーツがぴったりと全身に張り付く。
下半身には黒く艶やかな光沢を放つタイツ……そして、女性の侍への配慮なのか、腰に巻かれたピンクのミニスカートがより一層、いやらしさを強調させる。
「シンケンピンク、白石茉子」
思わず口上を述べ、見栄をきる茉子。
ぱしゃり、ぱしゃぱしゃ……。
普段なら何とも思わないケータイ電話の写メール撮影音。
それが、今の茉子=シンケンピンクにとっては近所の雑木林から聞こえるセミの鳴き声よりも不愉快で耳障りな、真夏の雑音であった……。

<6>
「す、スカートを自分の……両手でめくるんだ!」
たどたどしい口調で命令する大介。
「……」
無言のまま、シンケンピンクはその指示に従った。
タイトなミニスカートを両手で少しだけ持ち上げる。
……もっとも、中にあるのは黒い無地のタイツだけで、普通に考えれば官能性の欠片もない。
「も、もっとだ! もっとめくるんだ!」
「……はいはい」
そう言って、シンケンピンクはミニスカートが千切れるほどの勢いでスカートをめくった。
破廉恥なまでに露になるデリケートゾーン。
無論、黒地のタイツに包まれた上での……ではあるが。
――ばっかみたい。
一体、どこでこんな知識を得たのだろう?
ばかばかしい。
「……」
ホントに、ばかばかしい。
「…………!」
その時、シンケンピンクは感じていた。
自らの背筋を迸る、一筋の快楽を。
自らの秘部から溢れ出た、一滴の愛液を……。
――こんなの、おかしい!
自分は、侍だ。
この程度のことで、快楽を感じるなど……有り得ない。
――なのに……なのに!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ぱしゃり、ぱしゃぱしゃ。
携帯電話で撮影を続ける大介の声が、どこか血に餓えた獣のように荒くなる。
そして、大介の瞳に輝きが宿る。
比喩でなく、彼の瞳にはうっすらとした紅い光が宿っていたのだ。
――なに?! 何なの、この子……。

この時、ようやくシンケンピンクは己の身に降りかかった悪意の存在に気づく。
しかし、遅すぎた。
半年間――。わずか6ヶ月という月日は、しかし、彼女に「侍」としての感覚を鈍らせるには充分な時間だった……