「ある休日の午後」

「リラ姐…おっそいなー…」
オープンテラスのカフェで出された飲み物をストローでかき混ぜながらフラビージョは腕の時計を見やった。既に約束の時刻を10分もオーバーしている。
人で溢れる休日の午後。穏やかな陽気と相まってか、いつもより人通りが多い。
その時、彼女の座る椅子が一瞬ぐらつく。
「ん? ちゃんと支えてないと駄目じゃ~ん!!」
片手でコップを持ちながら、もう一方の手で椅子を叩く。物言わぬはずの椅子がうっ、と呻いた。
「あ! リラ姐、こっち、こっちー!!」
ようやく見とがめた待ち人の姿にフラビージョは大声で叫ぶ。
店先から大きく振られる茶色いグローブを見止め、リラは微笑を湛えながら近づいていった。
「ごめんねー、取引が手間取っちゃって…久しぶりね、フラビー。元気だった?」
「うん! リラ姐と会えるなんて久々だったからちょー、楽しみだったよ!」
「フフ…わたしもよ。フラビーから連絡もらったときは嬉しかったわ」
そういいながら、脚を組み椅子に座るリラの豊かな胸元を飾るペンダントが僅かに揺れる。
「あれ? リラ姐、そんなアクセもってたっけ?」
「あぁ、これ? ふふ…いいでしょう? 特注品なのよ、世界でコレ一つだけしかないんだから!」
リラは得意げにペンダントの飾りを指でつまむと誇らしげにかざして見せた。
「うわー、いいなぁ~~…ねぇ見せて、見せて!!」
「いいわよ、はい-…」
リラから手渡されたペンダントの飾りは3cmほどの大きさで、人型をしていた。
肩までの髪の、端整な顔立ちが美しい女性だった。
無表情なせいか、その美しさが際立つ。
「なんか…生きてるみたい……」
「フフ…それはそうと、その子が前に言ってた…」
フラビ―ジョの手には赤い手綱が握られている。その先には地面に四肢を突っ伏して項垂れたままの、一匹の飼い犬の姿があった。
その背中にふてぶてしく脚を組んで、フラビージョが腰を下ろしている。
「そう、あたしがオーナーの牝犬。今は椅子だけどねー♪」
全裸に首輪一つという異様な格好に加え、その四肢は第一関節から切除されており、補強の為か、犬の手足を象った黒いケースが嵌めこまれていた。
透き通るような素肌が、女性らしさを残す艶めかしいボディラインをより一層際立たせている。
「あらあら、可愛いワンちゃんね♪ お名前は?」
「――――――――……」
伏せったまま沈黙する飼い犬に痺れを切らしたのか、フラビ―ジョが首輪と直結した手綱を強く引っ張る。
「ほら、教えられたとおりに自己紹介しなさいよ! ほんと、グズなんだから!!」
うな垂れていた頭を無理に上げられ、牝犬はたどたどしい口調で喋り始めた。

『わ・わたしは…宇宙忍郡ジャカンジャ暗黒七本槍一の槍フラビージョ様の牝犬奴隷"ナナミ"です……』


「あら! お喋りも出来るのねぇ、このワンちゃん!」
「そうなの♪ ほらぁ、続きは?」

『お・落ちこぼれの分際で、調子に乗ったわたしは、愚かにもフラビ―ジョ様に逆らい……ば・罰として人間としての権利を全て剥奪され、い・犬にされてしまいました…!!』

ナナミは声を震わせながら、口上を述べた。
本来なら、断固として不屈の闘志を燃やしながらも影に潜み、外法を闇から闇へ葬るはずの存在が白日の下に晒され、あろうことか絶対の隷属をその身に刻まれてしまった。
折れてしまいそうなほど華奢な腰つきとは対照的に、つんと上を向いた見事な美乳は白く大きく、可憐な薄紅色の乳首は衆目に晒される緊張からか固く尖っていた。
もう、戦うことはできない。
それどころか立って歩く事も、物を掴む事さえできない。
トイレや風呂にも、人の手を借りなければ満足に行く事さえできない。
彼女がこれまで厳しい修行で培ってきた術も、実践で鍛えた戦闘スキルも全て失ってしまった。
今の彼女は首輪をつけ、縄に引かれて四つん這いで歩く。
見世物小屋の下品な装飾が施された檻の中で奇異の目に晒されながら、自分と仲間の食い扶持を稼ぐ為に芸を見せる。逃げ出そうとしても無駄だ。
首輪には発信装置が取り付けてあり、無断で行動をとれば全身に電流が流れる仕組みになっている。
それに、この四足では早くは走れない。
四肢を覆う黒いケースは地面との折衝を緩和すると同時に枷でもある。
ナナミは四肢の間接を閉じられた状態にあり、自重を支えるのに精一杯で二足歩行はできないように設計されている。見せしめと逃走防止の両面から取られた処置なのだ。
身体の機能を奪われ憐れな牝奴隷と化した、若く美しい女戦士の醜聞。
自分達が守ろうとした人達に唾を吐かれ蔑まれながら、収監されている動物園の檻からナナミは大声で叫ぶ。

『わ・わたしは"落ちこぼれ"なので、ま・まだろくに芸も出来ません…ですが、皆様に奴隷犬としての私の成長を見ていただき稟議なきご意見とご鞭撻を持って今後の精進に努めてまいります!
み・皆様、お忙しいとは思いますが、ど・どうぞナナミのショーをご覧くださいっっ!!』

血を吐くような思いで人々の関心を煽り、残された唯一の武器で日銭を稼ぐ。
同じ境遇の二人の仲間がいたが、ナナミが一番の人気者だ。
『ナナミの股間水流波ショー』や『巨乳搾り体験』はどこも引っ張りだこだ。
女性の大事な箇所も"売り"の一つとして提供される。
相手は人間だけとは限らない。
犬もいれば虎もいる。およびとあれば、異星にも出向いて大勢の前で交わる。
どんな卑猥なプレーでもオーダーには応じる。女体盛りも緊縛も木馬も水車も蝋燭も。
拒否する権利などナナミには最初からないのだから。
ナナミの暮らす檻の中には至る場所にカメラが設置されており、リアルタイムでネットの公式サイトを通して全宇宙に無料配信されている。
何億、何兆の好奇の視線に晒されながら餌と言う名の食事を貪り、全身を弄ばれながらシャワーを浴び、右脚を高々と上げ女性器を剥き出しにして小便をする。
アクセス数は常に人気サイトの上位に食い込むほどで、他の追随を許さない。
サイトに寄せられる情け容赦のない誹謗中傷や、欲望をむき出しにしたコメントの一つ一つにナナミは目を通さねばならない。それが飼い主であるフラビージョの定めたナナミの日課だった。
『大股を開いて、鉄格子にマ○コ擦り付けてオナニーしろ』
『仲間のションベンと糞だけ食って、一週間暮らせ』
など、人間の尊厳をまるで無視した凄まじい内容だ。
時折、フラビージョの気紛れでコメントのリクエストに答えることもある。
隣の檻のオスのゴリラにSEXをねだり、メスゴリラの目の前で本番をした事もある。
寒空の下、着物を着て売れない演歌を歌っていた日々が遥か遠くに感じられるほどだ。
衣食住は保障されてはいる。彼女はペットであると同時に金のなる木…商品でもあるからだ。
しかし、それはもう人とは呼べない。一匹の憐れな牝犬だ。

「あなたは幸せよ、ナナミ。この女は口を利くこともできないんだから」

満面の笑みを湛えて、リラがペンダントの飾りを指で弾いた。
――口を利くことも出来ない…?
ナナミはリラの言葉の指し示す内容に思い至った時、その恐るべき真実に驚愕した。
「ふふ…気づいたみたいね。そう、このペンダントは、元はあんたと同じ人間だったの。うざい刑事でねー…あんまりおいたが過ぎるもんだから、お仕置きしてやったのよ。"圧縮冷凍"って言ってね、元々は未来の犯罪者に対する刑罰なんだけど…」
掌の上でペンダントを転がして弄びながら言った。
リラに生きるも死ぬも生殺与奪を握られた元・刑事。
何も見えない。何も聞こえない。身動きも出来ない。
喋る事はおろか、指一本動かす事も今の彼女には許されない。
意識だけが、肉体から独立して存在していた。しかも、それは自由な状態では決してない。
知覚できない壁の中に塗り込められ、身体の精神の自由を全て奪われてしまった哀れな状態だ。
本来ならば、凶悪犯に対して行われるべき正義の鉄槌が敏腕の時空捜査官に対して行われるという逆転現象。
時間を止められ、憎むべき犯罪者の装飾品として永遠の責め苦を受けるその姿は、もはや生き物ですらない。
一個の物言わぬ人形だ。
彼女は償い続けるのだ。リラに逆らった自らの愚かしい罪を。
身動きもできず、瞳に光を感じることもないままの状態で、500年でも1000年でも。
気が狂う事すら許されずに。
そして―…その罪は未来永劫許される事はないだろう。
「でもさー、持ち運びは便利そうだけど反応が楽しめないのはねー…やっぱ、ムカつく奴の反省を楽しみたいじゃん?」
言いながら、フラビージョは手綱を引っ張る。

「わ・ワンワン!!」

ナナミが慌てて"チンチン"の芸を見せるのを二人の女性は冷笑で見やった。
「そうねー、あのクソ生意気な女がこんな惨めな牝犬に成り下がったら、さぞかし楽しいでしょうね…でも、この姿も結構気に入ってるのよ…ねぇ、『ユウリ』」
そう言いながら、リラはペンダントを首に掛けなおした。
このペンダントを眺めていると飽きる事がない。
彼女がまだ、人間であった頃の姿がありありと浮かんでくるからだ。
茶色いジャケットを羽織り、振り乱した髪から覗くその強い意志を秘めた瞳。鋭くも美しい表情。
もう、二度と聞く事のない悪を断罪する叫び声。
幾度となく商談を妨害されたが、それも今となってはよい思い出だ。
掌の中で転がる惨めな姿が、今の彼女の全てなのだから。
普段は囚人用の圧縮冷凍カプセルに入れられ、リラの気紛れでペンダントの飾りにされる。
この生きたペンダントは、リラの法的拘束力すら届かぬ権勢と畏怖を周囲に強烈に印象付けることができる。それはリラにとって自らを着飾る最高の装飾品なのだ。
ただの見せしめに、ただ腹いせにした処置とはわけが違う。
抜け目なく、商売道具としての役割もこのペンダントは担っている。
そして、間接的とはいえ、犯罪の片棒を担がされてしまうことが彼女の悲劇をより深めていた。
「それに、維持費もかかんないしね。ペットは何かと入用でしょう?」
「まぁねー、でもその分、稼いでくれるからね♪…って、もうこんな時間!!
受付の時間過ぎてるぅ~…もぉ、あんたのせいだかんね!!」
理不尽な怒りをナナミの尻にぶつけながら、フラビージョは大急ぎで立ち上がった。
「あら、これから一緒にディナーでもって思ってたのに…なんか、予定があるの?」
「うん。リクエストでさー、顔をいじれってのがあったんだ。頬骨潰して、あと声帯もいじくって地球の技術じゃ元に戻せなくしてから、フランケンみたいな顔に整形するの。
で、化け物みたいな顔でライブを開くんだ。その収益金が一定額に達すれば、宇宙の整形医に元に戻してもらえるって企画考えたの。もちろん、達しなければ何度でも歌ってもらうけどねー♪」
これ以上ないというくらい、楽しそうな顔でフラビージョは笑った。
「あら、楽しそう。じゃあ、わたしはVIP席で鑑賞させてもらうわね。健闘を祈るわよ、ワンちゃん♪」
リラは不安そうなナナミの顎をなで、軽やかにその場から立ちあがった。
「チケット取っておいてね、必ずいくから」
「オッケー、リラ姐ならチョーVIP待遇だよー、待ってるね!」


二人の元女戦士は…一匹と一つの犬と物はこうして一言も言葉を交わすことなく分かれた。


彼女達にはこれから先もずっと、その身でかつての宿敵の繁栄を支える絶望の現実が待っている。