迷い鳥の末路(4)

 アコの目から大粒の涙が溢れ、歯は恐怖でカタカタと鳴り始めた。攻撃を完全には防げないが、肉体を保護している最後の要が、音を立てて引き剥がされていく。
(バードニックスーツが……! お願い……耐えて……持ちこたえて……!)
 破壊されるスーツに希望を託す鳥人少女の視界に、怪物の拳が広がる。
 近づく拳がスローモーションに感じられたが、もう何もできない。爪で穴を開けられた腹部と、乳房の片側を潰された胸部と、損傷した背中と、殴られた右頬と、捻られた首が、それぞれ別に激痛を訴えて、意識をバラバラに引き裂こうとしてくる。
(………いや………もうやめ………)
 半魚人の拳が、先程と同じ右頬に吸い込まれた瞬間、既に陥没したメットは、卵の殻が割れるような音を立ててひしゃげた。衝撃でアコの歯は半分砕かれて口内に広がり、裂けたマスクから赤い飛沫が散って、別の怪物の顔を血化粧で濡らしていく。
 衝撃で意識は消え、がくりとヒザから崩れ落ちる青き鳥人少女。
 しかし、別の怪物に腕を掴まれて引き起こされ、今度は左頬を殴られて覚醒させられてしまう。これまでと同様の一撃が、今度は逆側からアコの顔に叩き込まれた。鈍い音と共にメットに亀裂が走り、両頬が陥没したマスクから破片がパラパラ落下していく。
「ごぼっごぼ!ごほっ!うごおぼごっ!」
 口内に充満した血で窒息し、アコは泣きながら必死に酸素を求め続ける。
 ブルースワローのメットは、マスクが押し潰されて裂け広がり、バイザー端部では装甲が割れて制御回路が露出していた。メットに走った亀裂は頭部を一周しており、火花や白煙が立ち昇る。ヒビが走るバイザーは左端を除いて完全にブラックアウトしており、既に高機能装甲としての能力は維持できていなかった。
(………死にたくない………こんなところで、死にたくないよ………)
 命乞いをしたいが、激痛で言葉も発せられず、涙を流すしかできない。
 怪物の1匹がブルースワローのメットを掴み上げ、メキメキと音を立てて怪力で握り潰し始めた。金属の悲鳴はすぐにメットを一周し、亀裂が瞬く間に広がり始める。
(……助けて………助けて………みんな………)
 同じくして、怪物の爪が彼女の胸元を一閃した。
 火花を散らして、鳥を模した青い表面装甲が破壊される。
 視界の失われたバイザーが真っ二つに裂け、アコが直接自分の目で醜悪な怪物を確認したのと、激痛を発する乳房に生温い外気が直接触れたのは、ほぼ同時だった。
 怪物の手に握られた、割れたメットの残骸や、爪にかかったスーツの胸部装甲を見ても、アコは最初、何が起きたかを理解することができなかった。

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 白いストローが、吸い上げられた珈琲で黒く染まる。テーブルには、高校生と思しき少女たちが4人。待ち合わせの喫茶店には、既に予定している全員が揃っていた。
「じゃあさ、アコって今日も来れないの?」
「最近ずっとだよね」
「うーん、なんか忙しいらしいよ。どこ行ってるのか知らないけど」
 いつも遊んでいるグループが、貴重な休日に集まるという、ありふれた光景。
 アコのクラスメイトである少女は、ストローの先端をガジガジと噛んだ後、溜息をついてテーブルに突っ伏した。仲の良い友人だったアコが、ここ数ヶ月の間、遊びの誘いにほとんど応じなくなったことが寂しいようである。
「ジムとか行ってるんじゃないの? アコっち、最近体育とかヤバすぎじゃん」
「何あれって感じ。前もどっかの大会の記録更新したっていうし」
「運動部から、助っ人依頼もいっぱいだって」
「やっぱりジム通いなのかなあ」
 元より運動神経は悪くなかったアコだが、ここ数ヶ月の飛躍ぶりは、運動を得意とする者からしても驚愕に値する。全国大会クラスの成績を簡単に弾き出しており、しかし、決して自分の記録を公式のものとして申請などはしていないのだから。
「それで、アコっちってすごい可愛い系じゃん。それでさ、年上のインストラクターとかゲットしてたりして。2人っきりで昼も夜もトレーニング」
「師弟愛から、恋愛感情に変わってくのね!」
「きゃー! コーチ!」
「アコに限って、そんなことないって」
「いやいや、私の経験だと、ああいうタイプほど、のめり込んで突っ走るのよ」
「経験てあんた、経験何人だっけ?」
 少女たちはけらけらと笑いながら飲み物を消費すると、財布を取り出しながら次の予定を決めようと話し始めた。女子高生の彼女たちは、休日はみんなで遊んでいる。

 早坂アコが数ヶ月前までいた場所が、そこにあった。
 今の彼女が命を懸けて守っている場所が、そこにあった。
 そして、戦いが終われば、帰れるはずの場所が、確かにそこにあった。

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 泥に赤い斑点がぱたぱたとついて、染みてそのまま消えていく。
 怪物が割れたメットを握り潰すのを目の当たりにし、アコは朦朧とした意識で何とか立ち続けていた。胸元を引き裂かれたバードニックスーツと、奪われたメットの下に隠していた、あまりに悲惨なうら若き肉体を晒しながら。
「あ……、う………ああ……」
 生温い風が、小刻みに震える肢体を包むように嬲る。
 かつてアイドルを目指せたレベルの、元気に満ち満ちていた美顔。
 それも今や血と汗に濡れて、乱れた髪が顔に張り付き、顔面を骨折して両頬から鼻がどす黒く腫れていた。唇の隙間からは血液混じりの吐瀉物と、折れた歯の残骸が垂れ落ちている。耳からも血が流れており、既に鼓膜が破れて聴力は残されていない。
 年齢相応に発育していた乳房も、左房は陥没して内出血で黒く変色し、爪に引き裂かれて大きく抉られた右房と並んで、原型を留めていない。母性の象徴としての双房から、既にその機能が破壊されて失われていることは、見ただけで明らかだった。
 脇腹に穴を開けられ、乳房を潰され、顔を砕かれ、身に纏う装甲さえも奪われて、高校生戦士はただ、耐え難い痛みと苦しみに涙を流すしかない。まだ恋もろくに経験できないまま鳥人戦士となった少女にも、敗戦の傷跡は残酷に、そして平等に刻まれる。
「ごぼっ……ぐ………ううっ……っ……うあ……」
 少女としての最後のプライドが、朦朧とした意識をやや覚醒させる。
 ジェットウイングを広げ、マントのようにして乳房を隠すアコ。しかし、鋭い爪で引き裂かれた鳥人の翼は、既に泥まみれのボロ布に等しかった。背中から剥がされ、腕に残された残骸が力なく垂れ下がる。最早、飛翔は愚か、風を遮ることさえできはしない。
 武装の大半を破壊された鳥人戦士は、まさに翼を傷めた小鳥そのもの。
 飛べない小鳥の末路など、どんな場所であろうと1つしかない。
(……みんな……ううん……きっと………私を探してくれているはず………)
 アコは乳房を庇いながら、最後に残されたブリンガーソードを握り締め、怪物の群れを牽制しようとする。しかし、剣先がぶるぶると震える様子では、怪物には何の効果も無く、動きが止まることもない。巨大な腕が、アコの全身に伸びていく。
「うぅ………っ」
 両腕を左右にいた怪物に掴まれ、アコは潰れた乳房を露にされた。
 長剣が落下して泥に突き刺さる。乾いた音を立てて、彼女の右腕と左腕は、オモチャのように肩から引き抜かれた。骨が飛び出した肩の断面から、切断された腕に赤黒い糸が引かれる。まるで人形のように、あっさりと、両腕は奪われてしまった。
 致命的な欠損はしかし、既に痛みも感じず、ただ喪失感が両肩から伝わるのみ。
(………さいごまで………あきらめ……ない……)
 両腕が奪われると同時に、翼は完全に裂けて残骸が飛び散った。
 糸が切れたように倒れそうになるアコの胸元を怪物の爪が一閃し、胸板を左右に割るように鮮血が噴いた。頭をわし掴みにされ、髪の毛がぶちぶちと引き抜かれ、殴られると顔がぼこりと陥没する。焦点を失った眼は、再び光を宿すことはない。
 両腕を失い、爪に引き裂かれ、殴られて潰れ。
 血塗れとなったアコの肢体は、怪物の群れに嬲りものにされ、血肉の塊に変えられていく。しかし、強化された肉体は、彼女を生かし続け、命を繋ぎ止め続けていた。

(……みんな……わたし……ここにいるよ……)

 アコの肢体が怪物に引きずり回される中、潰されたブルースワローのメットは、ゆっくりと泥の中に沈んでいった。

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「クロスチェンジャー!」

 全身に纏うのは、バードニックスーツと呼ばれる科学の結晶。
 ツバメを模して造られたバトルメットで頭部を保護され、発展途上の胸からすらりと長い足まで、清廉なブルーとホワイトの薄型装甲で包まれている。さらに、苛烈な運動を想定したブーツやグローブ、腰に装着された光線銃や長剣、背中に格納された翼など、あらゆる状況下で戦闘を可能にする装備が施されていた。
 洗練された色彩で光沢を放つ武装姿は神々しいほどだが、しかし、薄地のスーツのラインから、瑞々しい色香も漂わせている、可憐な戦士。
 その正体は、まだ高校生の少女だった。
 名前は早坂アコ、コードネームはブルースワロー。
 持ち前のスピードで敵を翻弄して戦う、うら若き鳥人の少女戦士である。

「バイラム! この私がいる限り、お前たちの好きにはさせないっ!」


 ……それは、映像の記録として残る、1人の少女の勇姿。
 しかし、バイラムが滅亡した今も、ブルースワローは行方不明のままである。当時は高校生の少女だった鳥人戦士が、異次元でどうなったのかは誰にも分からない。
 もしも、生きているならば、彼女はもう二十歳になる。

 
 確かなことは1つ。
 青き迷い鳥は、迷ったまま。
 彼女は二度と、元の世界に戻ることはできなかった。