迷い鳥の末路(2)


 アコが何処とも知れない世界で、魚類じみた怪生物に襲われていた頃。
 バイラムの本拠地バイロックでは、バイラムの幹部たちと、天堂竜が変身したジェットマンのリーダー・レッドホークが、地球への転送装置のすぐ前で交戦していた。情報撹乱作戦が成功し、敵の中枢に到達した彼に対して、戦略兵器を死守しようとするバイラム勢は、ラディゲやトランといった幹部たちが全員参戦する総力戦となった。
(あの次元転送装置さえ破壊すれば……!)
 燃えるようなレッドとホワイトのバードニックスーツに身を包み、果敢に応戦する竜だが、地の利が無い上に、幹部たちが相手では分が悪い。ラディゲの剣や、かつての恋人であるマリアの放電ムチなどが、ガードを潜り抜けて、次々と彼の胸部を切り裂いた。
 バードニックスーツが反発し、激しい火花がレッドホークを包み込む。
「うわあああああああっ!」
 彼の生身までは攻撃は届いていないが、受けた衝撃は完全に相殺できない。鍛え抜かれた戦士の肉体の各所に、痛みと疲労が急激に蓄積されていく。幹部たちの攻撃はどれも強力で、煙と火花を噴くスーツの下で、骨格が軋む音さえ聞こえてくる。
 生身で戦っていたら、攻撃の回数分だけ殺されていた。
 攻撃を刻まれ、胸部や腹部の表層が黒く焼けきれたスーツは、しかし、地球の最高の科学の結晶であり、バイラムの攻撃から肉体を守っている。
(さすがに手強いな。しかし、まだまだこれからだ!)
 レッドホークは体勢を立て直すと、バードブラスターを手に反撃を試みる。しかし、バイラムは彼を封じ込めるために、恐るべき兵器を投入してきた。
「行け! 異次元生命体・ジゴクメデューサ!」
 そこにいたのは、二足歩行のイソギンチャクを想起させる怪生物だった。人間で言う胸部に開いた巨大な口の周りからは、大量の触手を花の花弁のように生やしている。冠のとおり、古典の神話に出てくる、姿を見た者を石に変える怪物のようである。
 巨大な口が息を吸い込むと、台風のような突風が起こり、レッドホークの手からバードブラスターを奪い去った。必殺の武器はそのまま、怪物の口に消えてしまう。
(しまった!)
 本能的な勘が、眼前の生物が危険であると警鐘を鳴らす。
 しかし、それと同時に、ジゴクメデューサは強靭な触手を伸ばしてレッドホークを絡めとると、まるで食虫植物が獲物を引き寄せるようにたぐりよせ、そのまま彼の腕を、巨大な顎で思い切り噛み砕いた。牙に抉られて、スーツが悲鳴じみた火花を噴いた。
「な、なんてパワーだっ!?」
 赤き鳥人戦士を、巨大な触手の塊は怪力で、踊るように弄んでいく。
 バードニックウエーブとスーツで強化された状態で、レッドホークは抵抗もままならず怪力に振り回される。背骨を折らんばかりに触手に締め上げられ、巨大な口に片腕を補足された状態では、反撃さえもままならず、されるがままだった
 鋭い牙が、スーツの表層を突き破り、下層部までギチギチと食い込んでいる。ここを破られれば、下にあるのは彼の生身の腕である。このままでは食い千切られてしまう。
(このままでは、やられてしまう!)

 瞬間、閃光が空間を満たした。
 ラディゲの顔が驚愕に歪む。

 閃光の中から、ジェットマンの切り札、巨大ロボットのグレートイカロスが現れた。地球から転送装置の信号を確認し、敵の本拠地に乗り込んだのである。
 バイラムの幹部たちは色めき立ち、レッドホークは援軍の到着を歓迎する。しかし、普段と様子が異なることに、両陣営とも同時に気付いた。
 竜巻の切り刻まれたかのように、グレートイカロスには無数の傷があった。何に切り裂かれたかは不明だが、傷の断面はフラットで、そしてイカロスの頭部には、人間でいう頬の部分に大きな裂傷があった。乗り込んでいる仲間たちの影は、3つしかない。
「アコさんが……! アコさんが……!」
「事故だ! 転送中に装甲に穴が開いて……彼女が外に吸い出された!」
 雷太と香の泣きそうな声が、巨大ロボットから戦場に響き渡る。彼らの言葉を裏付けるように、大きな穴が開いた場所の前で座っているはずの、ジェットマンの最年少隊員、早坂アコことブルースワローの勇姿は、操縦席のどこにも存在していなかった。

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 ………………………


(嘘だっ! バードニックスーツが、こんな簡単に破られるなんて!)
 強化された肉体も、スーツを簡単に破るような怪力の前には無力だった。吐血がメットの内側を濡らし、アコの顔を赤黒い化粧で染めあげた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
 吐血がメットの内側を濡らし、胃液の混じる血がアコの顔に乱暴な化粧を施していく。バイラムの攻撃にも耐えられるバードニックスーツが一瞬で破られて、ショックを隠すこともできない。とんでもない怪物に捕まってしまったことを実感する。
 最初は偶然とはいえ、地球でも指で数えられる内に入るエリート戦士となり、それでも戦闘訓練と実戦を幾重にもして戦場に立っていた彼女だが、これまでの戦功による自信と、培われてきた経験と、自然と芽生えつつあった戦士としてのプライドは、眼前の怪物の暴力によって、一つ一つ打ち砕かれていた。文字通り、手も足も出ない。
「げええっ! げぼごぼっ!」
 心の中に、白く塗り潰された世界が広がっていく。
 戦士である前に、高校生の少女として、感じて当然のもの。
 他の何物も考える余地さえない純白。
 アコはしばらく忘れていたが、それは我を失う「恐怖」と呼ばれる。
 バイラム相手ならば克服できた恐怖も、救援が期待できない未知の場所で、未知の生物が相手で、装備が通じないとなれば話は別だった。バイラムの産み出す怪物と戦い続けてきた彼女が言えば、それは冗談のようであったが、紛れもない本心である。
(こんな怪物と戦う訓練、私は受けてないよ……! どうすればいいの……!?)
 職業軍人ではないアコにとって、戦闘ノウハウはジェットマンの訓練が全てだった。その訓練がほぼ全て、バードニックスーツが正常に機能することを前提としており、機能しない場合でも、地球上を想定した退却訓練しか行われていなかった。
 高校生の少女だったアコにとって、教科書通りに受けた実戦訓練を、未知の状況に臨機に適応することは不可能だった。彼女は間違いなく戦士として覚醒していたが、急変した状況で臨機に動くには、戦闘の経験も、専門知識もまるで足りない。
 日常に帰れば、彼女は等加速度直線運動の公式も使えないし、ハロゲンや希ガス元素も覚えていない、サバイバルどころかキャンプの経験も無い、ただの子供なのだから。
 アコの心は、徐々に恐怖に侵食されて、純白に塗り替えられていく。
「ごぶっ! げええっ! えほっ!」
 腹部を締め上げられると、まるで搾り出されたように、巨大な血塊がアコの小さな唇から流れ落ちた。ばたばたと暴れる腕は、必死にバードブラスターを掴もうとしていたが、怪物の腕が邪魔で、とることができない。それでも、必死に、とろうとする。粘りつく黄色い粘液も、腕を胴体に密着させるように絡み付いてくる。やはり、とれない。
 次の動作をあからさまに敵に教えてしまう、戦士としては失格の行動。
 それは、恐怖に押し潰されそうな少女の行動。
(竜! 雷太! 凱! 香! 助けて! 助けて! 助けて!)
 そのとき、突然、大地と空の位置が入れ替わった。
 視界がぐるりと半回転してから、投げ捨てられたことを理解する。
 近づいてきたのは、最初に倒れていた巨大な岩だった。
「く゛う゛う゛っ!」
 回転しながらバキンと背中から岩に激突して、アコのスーツは、激しい火花を散らして煙を噴く。爆風を受けたような衝撃が背中から腹部に伝わり、負傷した内臓をさらに掻き乱した。生身ならば、背中が逆の方向に折れて、腹が破裂していただろう。
(なんてパワーなの……。とても、接近戦じゃ敵わない……)
 バトルメットの奥で、まだ幼さの残るアコの可愛らしい顔は、激痛と呼吸困難で歪み、血の化粧を幾重にも施されて赤黒く塗り潰される。目には涙が浮かんでいた。
 腹部も、背中も、胸部も、胴体の至る箇所で、焼けるような激痛を感じる。
 背骨は無事だが、肋骨等の骨折は確実だった。呼気が乱れるが、必死に呼吸をしようとしても、肺がなかなか膨らまない。肺に穴が開いたのかもしれない。内臓がどこか破裂したかもしれない。舌を噛んでしまい、生温かい血が口内からも沸きだしてくる。
「ジェットウイング……!」
 両腕に展開していたジェットウイングは、破れて背中からだらりと垂れ下がるだけで、彼女を空に運んではくれない。最初に怪物に捕まった時点で、おそらくは破壊されてしまったのだろう。最早、泥まみれの小さな金属マントでしかなった。
「ああ………そんな………」
 泥が堆積した大地に、べちゃりと音を立てて、アコの肢体は斜めに崩れ落ちた。
 肉体とスーツが、限界を迎えつつある。
 生命維持を最優先に、変身が自動解除されないモードを切り替えておかなければ、変身そのものも維持できない。対バイラム戦ならば、退却しているところである。
(でも、今しかない……あいつを倒すチャンスは、今しかない……)
 敵と距離をとることができた今こそが、反撃のチャンスだと思った。
 華奢な肢体に、戦士の炎が再び灯った。メットの半分を泥で濡らし、半分を黄色い粘液に塗れながら、拳を握り締めて、アコは起き上がる。四肢は小刻みに震えていた。
「が、ぁぁぁ……! ごぼっ! ぐぶっ!」
 腰から下を赤黒い血で濡らし、全身から火花と煙を噴くも、戦意は健在だった。ボロボロのブルースワローは、訓練で体が覚えているとおりに、光線銃に手をかける。
「……バード・ブラスター!」
 迫ってくる半魚人風の怪物に、光線が次々と炸裂した。
 爆風が泥を吹き上げ、眩い光を発して怪物の胴体が高温と衝撃に晒されていく。
 聞こえてきた怪物の声は、悲鳴にも怒声にも感じられた。
 アコはトリガーを引くのを止めない。
「私は、こんなことろでやられるわけにいかない……! みんなのところに戻って、バイラムをやっつけて、地球を守るんだ……っ! 高校生だってナメんな……っ!」
 そのまま怪物を黒焦げの焼き魚にしてしまうぐらいの勢いで、連射し続ける。ダメージで指先が震えるが、光線は怪物に命中し続ける。
(このままなら、勝てる!)
 満身創痍のブルースワローが勝利を確信したとき、彼女が背にした岩の陰から、同じ外見をした半魚人の怪物が、ぞろぞろと十匹ほど現れてきていた。彼女は、戦士が未知の場所に来た際に、最初にすべき周囲の安全確認さえ、まだ行っていなかった。



(続)